手がかりを追って
「ここ……か」
シャイードは手にしていた地図から顔を上げ、目の前に立ちはだかる門を観察した。そしてその奥にある邸宅も。
貴族街に存在するその邸宅は、中でもとりわけ立派な部類に入るだろう。塀は高く、門は上部が槍のように尖っている。左右の門柱の上には、皮翼とくちばしを持ち、蹲った姿勢の怪物像が置かれていた。遺跡で良く見る、ガーゴイル像のレプリカだ。
邸宅には蔦が絡んでおり、瀟洒というよりもどこか陰気な雰囲気だ。今日の空はどんよりと曇っていたから、そのせいもあるのかも知れない。
シャイードは、買ったばかりの真新しいマントの内ポケットに、持っていた地図を畳んでしまった。フォスも定位置で大人しくしている。
アルマは門扉に手を掛け、がたがたと揺らした。
「閂が掛かっておるな。どうやって入るのだ?」
「レムルスがいうには、門に仕掛けがあるとかで……」
シャイードは門扉を確認したあと、一歩下がって見回す。
「……おっ?」
良く見れば、右門柱の目線の高さに凹みがあり、鉄の輪がついていた。シャイードはそれを、ドアノックの要領でカチカチと鳴らしてみる。
「……。屋敷まで聞こえるとは思えねえんだが」
「押して駄目なら引いてみろと、古より言い伝えられておるぞ」
「うーん。なんかこう……、引くのって抵抗あるんだよな」
罠が発動しそうで身構えてしまう。こんな場所に罠を仕掛けるはずがないと理性ではわかっているのだが。
「こういうの、職業病っていうのかね」
引っ張ってみる。ガーゴイルの瞳が一度光って消えた。
「ほれ、見るのだ」
「威張るほどの事じゃねーし!」
もう一度、門扉を見遣る。とくに変化はなかったので、シャイードは少し待つことにした。
「職業で思い出したけどお前、劇場には行かなくて良かったのかよ。まだ公演してるんだろ? リモードの歌劇」
「うむ。また出てくれと泣いて頼まれたが、断った。もう用はない」
「酷え……!」
あっさりと述べるアルマの非情さに、思わずシャイードはのけぞる。
「お前に心はないのか……!?」
「ない。前に言わなかったか?」
「……言ったかも。けど、」
その時、ザザッという奇妙な音が聞こえた。ぎょっとして音の方に目を向けると、門柱の上のガーゴイル像の目が再び光っている。続いて声が降ってきた。
『何者だ。物売りなら用はない。帰れ』
「俺はシャイード。こっちはアルマだ」
『知らぬ名だ。帰れ』
「は!? 用件も聞かずに帰すのかよ!?」
『興味はない。帰れ』
「聞けって! ここはラザロって奴の家だろ。そいつに訊ねたいことがあって来た」
『ラザロ様は誰にも会われない。帰れ』
再び雑音が入った。シャイードは会話が一方的に打ち切られそうになったことに焦る。
「まてまてっ! 俺たちは宮廷魔術師長のトゥルーリと、皇帝レムルスの紹介でここに来ている。アンタ、勝手に帰してみろよ。ラザロ様とやらに怒られるぜ?」
『…………』
ガーゴイル像は目を赤く光らせたまま、しばし沈黙した。
シャイードは唇を引き結んだまま、ガーゴイルを睨んでしばし待つ。やがて。
『チッ……。ラザロ様が会われる。入るがいい』
「おい! いま舌打ちしただろ!! 聞こえたぞ」
突っ込みを入れた直後、門扉が勢いよく開き、シャイードの左肩を打った。
◇
「客人に対する態度がなっちゃいねえ! 文句いってやる!!」
打った箇所を撫でつつ、シャイードは肩を怒らせて館の廊下を進んでいた。
前を歩いているのは陰気なメイドだ。なぜか目と口に細い切れ込みのあるだけの、白いお面を被っている。邸宅の玄関扉を開いてくれたのは彼女だが、出会ってから一言も口をきいていない。
廊下に面する扉の一つを開き、メイドは室内を片手で示した。シャイードとアルマは、中を覗き込む。
ローテーブルを囲んで、革張りのソファが並んでいる。左手の壁には暖炉があり、その上には風景画が飾られていた。
向かいの壁はカーテンで覆われている。庭に面した窓があるはずだが、カーテンは閉じられたままで、部屋は魔法灯で照らされていた。
二人が室内に入ると、背後で扉が閉じられる。
シャイードは唇をへの字に結び、ソファにどかっと腰掛けた。途端、埃が舞い上がる。
「掃除……っ! っくしゅっ!!」
「来客は久しぶりのようだな」
アルマはシャイードの様子を見て一言述べたのち、室内を観察し始めた。
「……くしっ!! 魔術の将は人嫌いだと警告されてはいたが、度を超してるだろ!」
「うむ。我らは嫌うに値しないはずなのだがな」
暖炉の上の風景画を眺めながら、アルマが同意する。少し離れたシャイードには、青空と流れる雲を背景に、黒く輝く王城が描かれていることはわかった。
それよりもアルマのものいいに引っかかりを感じ、眉根を寄せる。
「嫌うに値するって……、それじゃあまるで嫌われるのはいいことみたいじゃねーかよ」
「違うのか?」
暖炉の上の燭台を手にし、アルマが振り返った。
「またお前は妙なことを。嫌われるのは、普通、誰だっていやだろうが」
「普通というのはわからぬが。嫌いということは、それだけ相手の心に印象づいているのかと思っていた」
「印象づく?」
「うむ。嫌いだと思うためには、それだけ、相手のことを知り、考える必要があるであろう? どこをどのように、どうして嫌いなのか。相手に思いを馳せるであろう? それは好きなのと何が違う?」
シャイードはぽかんと口を開いた。
「いや、好きと嫌いは全然違うだろ……」
「そうであろうか。属性は逆だが性質は同じでは?」
「だって」と、シャイードは反論を試み、胸の前で両手を動かした。やや言葉に詰まり、視線を上に向ける。
「あー……。そうだ! お前、濡れるのが好きじゃないといっていただろうが」
「ああ、うむ。良く覚えておったな」
アルマは頷く。シャイードはほっとし、得意げに胸を反らす。
「つまり、お前は水が嫌いなんだ。ほら、好きと嫌いの違いは、わかるだろ?」
「我が濡れるのを厭うのは、紙がふやけるという悪い結果が引き起こされるからだ。水そのものを嫌悪しているのではない。水を受けることによって、ふやけた状態になる我を回避したいだけだ」
シャイードは片手を前に突き出した。
「ちょっとまて! わからなくなってきた。お前は水が嫌いなわけじゃないのか?」
「特に好きでも嫌いでもない」
「あれ?」
シャイードは頭を抱える。好き? 嫌い? と、手元をさしてぶつぶつ呟く。
「ならこれはどうだ。お前、情報が好きだろうが。嫌いじゃないだろ?」
「情報は好きも嫌いもないぞ。欲しいし、喰いたいだけだ」
「欲しいし、喰いたいってことは、好きなんだよ」
「そう……、なのか?」
「おう」
アルマは考え込んだ。
「……では、例えば」と、彼が何かを思いついたとき、扉をノックする音がした。
返事をするとそれが開き、向こうから落ち着いた物腰の中年男性が現れた。
年齢は三十代後半といったところだ。理知的に整った顔立ちで、中背だががっしりとした体格、髪は灰色できっちりと整えられていた。袖口がゆったりとした、黒いローブを身につけている。
その両手を、互いの袖口に突っ込み、相手は室内に入ってきた。
「お待たせした」
表情を動かさぬまま、相手が口にするのを、シャイードは瞬いて見つめる。
(思っていたのと大分違う)
意外だった。
人は見かけではわからぬとはいえ、目の前に現れた男は服装や髪型からして整然としており、誠実そうに見える。
背後で扉が閉まり、男はしっかりした足取りでシャイードの傍にやってきて、向かいのソファに腰掛けた。シャイードは再びくしゃみをして、指の背で鼻を擦った。
その間に男は組んだ両手を袖口から現し、やや前傾姿勢を取る。
「私に質問があるとのことでしたな」
館の主と思わしき人物は、挨拶もなしに単刀直入に切り出した。
うろうろしていたアルマが、シャイードの傍に戻ってきて背後に立つ。
予想外の相手の姿に出鼻をくじかれ、文句を言おうと息巻いていたシャイードの気持ちはしぼんでいた。
「アンタが魔術の将ラザロか?」
「左様」
ラザロは瞬きもせずに答える。
「アンタ、ビヨンドって知ってるか?」
「……いいえ」
少し間があったものの、ラザロはシャイードをまっすぐ見つめたまま答えた。
シャイードは相手の表情をじっと観察した。不意打ちのような言葉選びは、相手を探るための故意だ。しかしラザロの表情はぴくりとも変わらず、嘘をついているようには見えない。
(……これはハズレか?)
シャイードが黙り込んでいると、ラザロが唇を開く。
「質問は以上ですかな? であれば私は失礼して、研究に戻りたく思いますが」
「いや、待ってくれ。アンタは王宮の禁書庫に良く入っていただろ? トゥルーリから聞いた。俺は禁書庫から消えた本について調べているんだ。アンタが持ち去ったのではないとしても、何か知っていることはないか?」
「…………」
ラザロはしばし、沈黙する。
「いえ、存じませんな」
「アンタが最後に入ったとき、棚からごっそりと消えている本はなかったか?」
「気づきませんでした。興味のある書棚しか、見ないものですから」
ラザロは姿勢と表情を崩さぬまま、淡々と答えた。シャイードは大きくため息をつく。
「そうか……」
「質問が以上であれば」
「汝、どうして自ら話さないのだ?」
シャイードが返答するよりも先に、アルマが唐突に質問した。