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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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霧の先

 翌日。朝早く集落を出たイールグンドとキールスは、ドワーフたちの足跡をさかのぼり、北へと向かった。


 大勢の足跡をたどるのは容易い。湿った腐葉土には、鎧を身につけた彼らの足跡がくっきりと刻まれていたし、土が草や枯葉に覆われた場所であっても、折れた灌木の小枝や、幹についた傷跡がしるべとなる。

 唯一、川の流れだけが追跡を邪魔したが、対岸に渡ればすぐに行軍の痕跡を見つけることができた。

 途中で幾度か休憩を挟みつつ、狩組トゥラの二人は慣れた足取りで移動する。


 次第に、霧が濃くなってきた。

 大高地から流れ落ちる幾つもの滝には、足がない。落差から、滝は地上にたどりつく前に霧に変わってしまうからだ。


 イールグンドは、癖の強い髪が湿気を吸い、さらに癖強くなるのを鬱陶しく感じた。前をゆくキールスを羨ましそうに見遣る。

 キールスの髪はしなやかなプラチナブロンドの直毛で、肩胛骨の下で切りそろえられている。側頭部に編み込みをして、顔に髪が掛からぬようになっているが、彼が浅瀬の岩から岩へ飛び移る度に、背中でさらさらと軽快に揺れた。この湿気の中、艶が増すことはあっても、イールグンドの髪のようにくるくると渦を巻いて暴れたりはしていない。

 イールグンドは編み込みが苦手で、前髪は蔓草を加工したカチューシャで押さえている。髪はキールスよりかなり短く、肩につく程度だ。


「お前はいいよな」


 唐突に呟くと、キールスが足を止めて振り返った。


「何の話?」

「この辺り、湿気が凄いじゃないか」

「ああ」言われて初めて気がついたかのように、キールスは顎を持ち上げた。「そうかもね」


 それから何かに気づき、また相棒を振り返った。


「もしかして、また髪の話か? イールグンド、いい加減しつこい。何十年繰り返すつもり?」


 キールスは呆れたように眉を跳ね上げた。

 イールグンドは頬を赤らめる。


「悪い。忘れてくれ」

「君の髪は、集落でも珍しいから、姿を探すときは便利だよ」

「流石にフォローになってないぞ、キールス。それは俺にとって、何のメリットでもないだろう?」


 少しむっとした様子で、イールグンドはいい返す。

 キールスは鼻で笑い、腕を組んだ。浅瀬の真ん中の、尖った岩に立っているが、みじんも揺らぐ様子がない。


「じゃあ別の話をしよう。僕は君のその身体が欲しい」


 腕を組んだまま、片手の指でイールグンドを指さす。

 イールグンドは、中性的でしなやかな体つきが多いエルフの中にあって、珍しくがっしりとした体格をしていた。鍛えあげられた人間の戦士の肉付きには劣るものの、エルフから見ればそれに近い体つきだ。


「父親の影響かな? 仲間内では力も一番強いし、体力もあるだろ、君は。僕はずっと羨ましかったよ」

「お前が? 俺を?」


 初耳だ、とイールグンドは目を丸くする。キールスとは長く組んでいるが、彼の口から羨ましいなどという言葉を聞いたのは今日が初めてだった。



 イールグンドの父親は人間だ。


 エンズフィールの人族の中で、人間だけは他の種族との間に子をなすことが出来る。

 それは人間以外の人族――エルフ、ドワーフ、獣人セリアン鱗人レプトイド、ロビン族――が、人間から派生した種族であるからだといわれている。このため人間は、他種族をまとめて亜人と呼ぶこともあるが、この呼称は当該種族たちにとって蔑称に聞こえるようで、昨今は余り使われなくなった。


 人間と他種族との混血は、必ずどちらかの種族となる。ハーフは生まれない。相手の種族により割合は変化するが、子どもは人間になる割合が85~95%と圧倒的だ。

 ゆえに、他種族は人間との婚姻を忌避する風潮が強い。繰り返せば、やがて種族が滅びてしまうからだ。


 とりわけ、人間とエルフの間の子どもがエルフになる確率はとても低い。

 イールグンドはこの稀有な例にあたる。彼自身、尖った耳の形や寿命、身体を構成する魔力の割合などから完全なエルフなのだが、髪の色や質、体つきなどはエルフの範疇を超えぬ程度に父親の影響を残している。


 ちなみにエルフは、人間こそが人族の祖という説に反対している。

 エルフこそが人族の根源で、人間はそこから派生し、さらに他の種族に分かれていったのだと主張していた。人族の中で、エルフが最も長命かつ魔法との親和性が高いことを根拠にしている。エンズフィールに棲まう幻獣や動物は、古代種に近いほど概ね長命で魔力が高く、魔法との親和性が高い傾向にあるからだ。



「髪なんかで良ければ、喜んで交換したいところだけれどね」


 キールスは腕組みを解き、自らの髪をサラリと撫でて踵を返した。浅瀬に取り残されたイールグンドは、その後ろ姿をしばし呆然と見送る。


「日が暮れるよ」

「あ、ああ」


 対岸にたどり着いたキールスに促され、イールグンドは戸惑いながら彼に追いついた。


 森の果てにやってくるころには、霧でほんの数メートル先も見通せなくなった。時間はまだ昼になっていないはずだが、空を見上げてもぼんやりと明るいばかりで、どこに太陽があるのかもわからない。

 二人ははぐれぬよう、先ほどまでより距離を詰めて歩いていた。

 もはや足跡の痕跡を追うどころではない。


「変だな」

「ああ。何かおかしい」


 いくら霧が濃いとはいえ、そろそろ湿地帯に辿りついていい頃だ。だが、霧の中から次々に生まれてくる木々は途切れがない。

 二人はどちらからともなく足を止めた。


「キールス。考えたくはないが」

「道に迷ったかも知れない?」


 イールグンドは頷く。そして片手を持ち上げた。


「まっすぐに歩いているつもりだったが、この霧ではな」


 キールスがもう一歩近づき、イールグンドの耳にささやく。


「気づいている? イールグンド。さっきから鳥の声が聞こえない」


 イールグンドも気づいていた。


「葉擦れの音すらしないぞ。なんだここは。俺たちはどこに出てしまった?」


 その時、進行方向の左手から風が吹き、霧のヴェールを巻き上げた。

 二人のエルフは、目を瞠る。


 いつの間にか、彼らは崖の上に立っていた。まっすぐに進んでいたら、落ちていたかも知れない。

 いや、それはおかしい。道はほぼ平坦だったはずだし、地面はこんな風に岩がちでもなかったはずだ。


 二人は恐る恐る、崖の切れ目まで歩を進めて見下ろした。

 眼下にも霧がかかっており、数多くの人影があった。湿地と岩場が二重写しになったような奇妙な風景だ。人影はみな、所在なげにうろうろしている。

 何をやっているんだ、とイールグンドが眉根を寄せたとき、隣からキールスが強い力で腕をつかんだ。

 驚いて相棒を見遣ると、キールスはリーフグリーンの瞳に恐怖をたたえている。


「帰ろう、イールグンド。僕たちは、来てはいけない場所に足を踏み入れてしまった」


 声が震えている。


「あれは……、あれはぜんぶ死霊アンデッドだ」

「! まさか!? あの影が全て……?」


 信じられない、とイールグンドは首を振って眼下に視線を戻す。ここからではよく分からない。だが見渡す限り、数多くの人影が大地の上を彷徨っている。そして遙か遠くに、霧にまかれて岩山のような影が見えた。


「違うんだ、イールグンド。ここは、――どうしてこんなことになったのか、僕にもわからないけれど――、話に聞く冥界そのものだ!」

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