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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第一部 遺跡の町
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クロノトビラ

 シャイードは静かな森の中を歩いていた。

 霧が濃い。

 それなのに辺りは不思議と薄明るく、歩くのに不自由しない。

 聞こえる音は、下生えを踏みしだく自らの足音のみ。鳥の鳴き声さえしない。

 たどる小道は、獣道のように細く頼りなく、うねうねと法則なく折れ曲がっている。


 いつから歩いているのか分からない。

 いつまで歩けば良いのかも分からない。

 どこに向かっているのか。

 或いは何かから逃げているのか。


 背後を振り返ると、小道が霧に消えている。前方も後方も、全く変わらぬ風景だった。

 ――独りだ。


「フォス」


 なじみ深い、いつも一緒にいる精霊ともの名を呼ぶ。

 マントのあわせから現れるはずの精霊も、応えない。


「誰かいるか!!」


 木々に向かって声を張る。声は霧に吸い込まれるように消え、反響すらない。


 恐ろしいまでに独りだ。


 胸に手を当てると、硬い感触が返る。

 首まで両手を持ち上げ、革紐をたぐって取り出した。

 衣服の下から、師匠に託されたペンダントヘッドが現れる。

 それは、少しだけ形を変えていた。

 丸い本体にはぎざぎざとした突起がある。突起の内、下に向かう一本だけが長い。

 そこまでは同じだが、長い突起の先に、新たな突起が出来ていた。


「鍵だ」


 何故気づかなかったのだろう。

 これは鍵だ。

 以前から鍵だった。彼が鍵と認識できなかっただけなのだ。


 道の先から、声が聞こえたような気がした。

 ペンダントを握り、シャイードは先へ進む。


 唐突に森が開けた。

 そこは水域――大きな池だった。

 水は完全に透きとおっており、水底に眠る古い木々の重なりが見えた。

 水深はごく浅い。せいぜい膝から腿くらいまでの深さだろう。

 魚のたぐいは一匹も見えず、ただ静か。


 シャイードは不意に顔を上げた。

 誰かに名を呼ばれた気がしたのだ。


 視線の先、薄霧のベールに包まれて小さな島影が見える。

 小島には、長方形をした黒い建造物が建っているようだ。


 水面に指先をつける。

 ついた水滴を、親指と人差し指でこねて粘性を測る。その後、指に鼻を近づけ、匂いをかいだ。さらには舌先に触れる。

 酸や毒など、危険な液体ではなさそうだ。

 シャイードは岸に腰掛けブーツを脱ぎ、脚衣の裾をまくり上げた。

 池に両足を浸す。水は刺すような冷たさだ。

 意を決して立ち上がると、彼は小島に向かって歩き始めた。


 水面に波を描き出しながら、小島へと近づく。

 水底の木々のおかげで多少の上下はあるものの、進んでも水深は岸辺とほとんど変わらない。

 底に茂る苔に足を取られぬよう気をつけつつ、小島を観察する。

 岸から見えた建造物には厚みがほとんどないことが分かってきた。

 ただ、思ったよりも大きい。

 石碑のような、墓標のような――

 ――扉のような。


 小島へと上陸する。

 柔らかな緑の絨毯が、冷えた足裏に心地よい。

 黒い建造物は、近づけば見上げるほどに大きなものだった。高さは15mほどもあろうか。

 中央に縦の切り込みがあり、やはり扉のようだ。

 銀色の装飾が表面に所狭しと刻まれているが、見たこともない奇妙な模様だ。

 受ける印象は――、異質。


(いや、一度だけどこかで……)


 扉の表面に触れてみる。

 ひんやりと冷たい。材質は石のようでもあり、金属のようでもあり。

 それなのに掌に吸い付いてくるような感覚があり、気持ち悪くて手を引っ込めた。

 扉沿いに端へ向かって歩き、回り込もうとしたところで、名を呼ばれて振り返る。

 今度ははっきりと、聞こえた。


『シャイード』


 扉の中央辺りに、見知らぬ人物が立っていた。彼我の距離は5mほど。


(――男?)


 背の高さから直感的にそう思ったが、よく分からない。

 黒い鍔広の三角帽子から流れ出る象牙色の髪は、地面に触れそうなほどに長い。

 身にまとっている黒い長衣は、扉と同じように銀色の装飾で縁取られていた。


(魔術師か?)


 男が近づいてくる。

 シャイードは反射的に腰に手をやるが、武器のたぐいを持っていなかった。


 相手は会話の出来る距離で止まる。

 そこで男が顔を上げ、帽子の下が見えた。

 その白い顔は、異常なほどに整っていた。国宝と呼ばれる人形師の最高傑作のように、すべてのパーツが正しい位置へ正しい大きさで収まっている。

 誰もがその均整に目を奪われ、驚嘆して息をのむほどの。


 ――だがそこに表情と言えるものは何一つ浮かんでいない。

 瞳は黒。底なしの闇の色で、光を全く反射していない。

 その美しさにも関わらず――いや、それも併せてか――、扉と同様に異質な印象を受ける。

 相手から敵意や害意は感じないのに、シャイードはうなじの毛が逆立つ感覚を味わった。

 彼の内なる獣の本能が告げる。


 これは……こいつは、恐ろしい”存在モノ”だ、と。


 異形が白い手をさしのべた。


『鍵を……』


 そこでシャイードは気づく。

 男の両手には枷がかけられている。枷から伸びる鎖は彼の背後に回り、もう一方の手首の枷につながっているようだ。

 鎖の長さが通常よりもずっと長いため、腕の動きをほとんど阻害していないのが奇妙だった。


(罪人……?)


『鍵を、寄越すのだ』


 シャイードが応えずにいると、男はもう一度、はっきりと催促する。

 奇妙なことに、その口は動いていなかった。


 シャイードは掌を開き、中の鍵を見、それから相手を見た。

 異形の瞳が、わずかに見開かれたように見える。その感情は……、よく分からない。

 驚嘆か、愉悦か、熱望か、焦燥か。

 手をさしのべたまま、異形がもう一歩近づいてくる。

 シャイードは再び鍵を握りしめ、背後に隠して一歩下がる。

 相手の片眉が、かすかに動いた気がした。


『鍵を……』

「いやだ!」


 先ほどからの嫌な予感に背を押され、シャイードは男の申し出を断った。

 何しろこれは、師匠から託された大切なものなのだ。得体の知れぬ人物に、ほいほいと委ねられるものではない。

 ましてやこの危険な異形に。


(誰にも見せるな、誰にも渡すな。……師匠はそう言っていた!)


 男は手をさしのべたまま、固まる。

 時が止まったのかと思い始めた頃に、男は手を下ろした。


『……そうか。汝は”そちら”を”選ぶ”のだな』


 男は最初と同じように、まったく表情を変えぬままそう言う。

 そして扉を見上げ、――消えた。

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