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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第四部 死の軍勢
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黒森の異変

【第三部あらすじ】

 神聖帝国の首都グレゴールにて、シャイードとアルマは魔女メリザンヌとの約束を果たす。

 帝都では折しも、奇妙な疫病が流行していた。患者を一目見て、アルマは原因がビヨンドであると看破する。


 帝都図書館でアルマと喧嘩別れしたのち、シャイードは吟遊詩人のセティアスと再会した。

 そこで目にしたのは、普通の奴隷と違い、人間扱いすらされないスティグマータ。かつてシャイードが救えなかった少女イレモノと同じ、生まれつき身体に魔法陣めいた痣を持つ奴隷たちだ。

 セティアスから協力を求められたシャイードは、戦えない大勢のスティグマータを引き連れて、下水道の突破を目指すことに。


 一方で、図書館の情報を食べ尽くしたアルマは、再びシャイードと合流。帝都に巣くうビヨンドを一掃すべく、宿主と目した皇帝レムルスに接触を図る。

 皇帝を目覚めさせることには成功したものの、ビヨンドに逃げられた二人は、幻夢界と一つになった劇場にこれをおびき寄せる作戦に取りかかった。

 アルマが運命神を演じる間、ドラゴンになったシャイードは皇帝レムルスと共に、人の夢を喰らうビヨンドと対峙する。

 それは幼きレムルスが負った心の傷を、乗り越えるための戦いでもあった。


 皇帝からの信頼を得たシャイードとアルマは、ついに王宮の禁書庫に入る許可を得る。

 しかし、そこにあるはずのビヨンドに関する書籍は、何者かによって持ち去られた後だった――


 夏至祭を翌々週に控えたその夜、キールスは広場を足早に横切っていた。


 新月を過ぎたばかりの暗夜だが、広場は光精霊たちのお陰で明るく、いまだ多くの仲間たちの姿があった。立ち話に興じている者もいれば、祭りの準備をしている者もいる。楽器を奏でている者も。

 所々に間伐材を削りだした高い柱が立てられ、間に蔓が張り渡されていた。光精霊たちは蔓の上を行ったり来たり、転がったりぶつかったりして戯れている。

 花やハーブはまだ飾られていないが、あと数日もすれば中央に櫓も組まれ、すっかり祭りの舞台が整うことだろう。


 エルフは大きな火を好まないが、夏至祭の時ばかりは別だ。盛りとなった太陽の力を、森の木々に移すその祭りには、炎が欠かせない。

 一晩中、櫓を燃やして周囲を歌い踊り、花や香木やハーブを炎に投じる。そうして出来上がった太陽を宿す灰を、翌日以降に森の各所に撒くのだ。

 夏至祭以降、太陽は少しずつ力を失っていくことになるが、こうすることで森は以後も、冬の王の先触れが木々の衣を染めるまで、繁茂し続けることになる。

 また、櫓の崩れ方で今後一年の吉凶も占う。去年の占いは余り良くなかった。今年こそは、良い結果が出て欲しいと、仲間たちは期待している。


 キールスのリーフグリーンの瞳は、せわしなく周囲を見回した。

 探し人の姿は、広場にもないようだ。外れまでやってくると、滝にかかった橋を渡り、石段を下りた。滝壺が作り出す池の東屋にも、小舟にも、その姿はない。

 小魚が跳ねるのを見たキールスは足を止め、下唇に指を添えて考えた。


(森に出たのかもしれない)


 探し人は――イールグンドは近頃、森の異変を調べているようだったから。

 キールスは門の傍の建物に立ち寄り、弓と矢筒を背負って森に出た。


 ◇


 イールグンドは立ち枯れした樹の幹に両手を当てて俯いている。しばらくの間、目を瞑っていたが、やがてゆっくりと瞼を開いた。

 樹上を見遣る。

 宵闇の濃い蒼を、樹形のシルエットがひび割れめいて切り裂いていた。

 明かりを持っていなくとも、エルフである彼の瞳には、周囲の物の形と明暗はよく見えていた。


(ひと月前までは、立派に葉を巡らせていたが)


 今は変色した白い葉が少し残るばかりで、見る影もない。樹皮は石のようだ。

 西の高地から落ちる滝が霧となって降り注ぐこの森は、水の気が豊かだ。幾つもの川が流れ、集まり、東の平原へと流れ出ている。土壌には力があり、彼らエルフの集落に多くの恵みをもたらしていた。

 なのに、このところ立ち枯れする木が相次いでいる。

 虫に中を食い荒らされたのでも、鹿に樹皮を剥がされたのでもない。

 健康な樹が、ある日突然涸れてしまうのだ。


(何かの病か。或いは、もっと別の原因が……)


 尖った耳がぴくりと動き、沈んでいた思考が引き戻される。

 下生えを踏みしめる音を聞きつけたのだ。イールグンドは剣の柄に手を掛けた。

 振り返らぬまま、いつでも動けるように全身が張り詰める。


「僕だよ」


 聞き慣れた声に緊張を解き、イールグンドは振り返った。彼の狩組トゥラであるキールスが立っている。


「良くここがわかったな」

「見遣り櫓に寄ったら、一人でこちらに向かう君を見たと教えられたんだ」


 イールグンドは納得したように頷き、足を踏み替えた。


「何かあったのか? キールス」

「そういうわけではないよ。ただ、姿が見えなかったから」


 キールスの返答に、イールグンドは片眉を上げた。それから唇の片側だけを持ち上げて笑う。


「俺がまた何か、問題を起こしているとでも?」

「自覚はあるようだね」


 穏やかだがたしなめる響きの言葉に、イールグンドは鼻を鳴らした。

 キールスはその間に近づいてくる。隣までやってくると、梢を見上げた。


「枯れたの?」

「ああ、まただ。ここら一帯やられている」


 イールグンドが片手で辺りを示す。キールスは小さく顎を引いた。


「良くないね」

「ああ。全く良くない」


 深くため息をつく相手を、キールスはそっと盗み見る。


「……。長老会議での発言、まだ考えていた?」

「……」


 キールスが突然話題を変えても、イールグンドはそれほど表情を変えなかった。何しろ、つい先ほどの話だ。

 イールグンドは足元を見つめたまま、「あいつらとは話が合わん」と吐き捨てた。それから相棒を見る。


「お前も、俺が旅に出るのはやはり反対か?」

「まあ、そうだね」


 キールスは素っ気なく答える。彼らは黙って視線を交わした。先に逸らしたのはキールスだ。腰に手を当て、右足のつま先で、石のように硬くひび割れた木の根を擦った。


ここを出ていくエルフは、変質してしまうから。大抵は良くない方にね」

「馬鹿なことを」


 イールグンドは再び鼻を鳴らした。そして自らの胸を、親指で指し示す。


「この俺が、そんなに簡単に変わるものか」


 これに対し、キールスは返事をしない。同意するほど保証できないし、反論するほど根拠もない。


「もう少しよく考えてみたら? とりあえず、あと五年か、十年くらいは」

「お前も知ってるだろ、キールス。俺は既に二十年は悩んでるんだ」


 イールグンドは唇を引き結んだ。


 彼らエルフは種族ごと内向的な性格で、ほとんどの仲間が、その長い生をお互いだけで過ごすことを選ぶ。不老の肉体の上に、穏やかで平和で変わり映えのしない時間は静かに流れ、己の興味のあることに打ち込み、命を終えていく。

 死の間際まで、彼らの容姿はほとんど時の浸食を受けない。そして最後は、眠るようにゆっくりと土に還る。

 ごく一部の者だけが、外界へと踏み出した。ある者は刺激を求めて、ある者は知的好奇心に揺さぶられて、そしてまたある者は仲間とそりが合わずに。


 森を出たエルフにとって、最初は見るもの聞くもの全てが新鮮で、刺激的だ。彼らは大いに感銘を受け、成長する。

 しかし遠からず、刺激には慣れてしまう。必ず飽きが来る。

 そのうえ外界に暮らすのは、時の流れの違う種族ばかりだ。どれほど交誼を結び、どれほど親愛の杯を重ねようとも、みな彼らを置いて変化し、年老い、あっという間に死んでしまう。エルフだけが取り残されてしまうのだ。


 そうしたときに、エルフの取る道は概ね二種類となる。

 一つは、失望し、倦み疲れて故郷への道をたどること。

 もう一つは、さらなる刺激を求めて、危険な道や、悪の道へと走ること。

 どちらの道を選んだとしても、もう穏やかに満たされた死は望むべくもない。


 ――たねよ種。いかに地平線が恋しくとも、汝は撒かれた土地で咲き、実を結ぶべし。


 エルフたちは自らをそう戒める。それ故に、彼らの安息の地である森を、守ろうとする。



「君が退出したのち、最長老が発言したんだ。以前にも同じ事があったらしい」


 キールスの発言に、イールグンドは眉根を寄せる。黙することで先を促した。


「君も知っているはずだよ、イールグンド。……白森を」

「白森……。まさか、これが……?」


 キールスは頷く。

 彼らの住む黒森から、湿地帯を超えた北に、白森という名の大きな森があった。

 森という名ではあるものの、その木々は白い石で出来ている。触れれば滑石のようにもろいが、雨に溶けて消えることもなく、生物を育むことなくあり続ける。


「あの森も、元は普通の森だったんだって。僕たちが生まれるずっと前の話。けれど、人間たちが喚び出した魔神の力で、あのような姿になってしまったらしい」

「魔神、だと……?」


 これが、と、イールグンドは穢らわしいものを見る瞳になった。


 ふと会話が途切れる。二人は同時に身体をこわばらせた。

 彼らの鋭敏な感覚に、違和感が忍び込んだのだ。空気に混じる魔力イーサの質が変わった、とでもいうような。

 視線をせわしなく周囲に配ったのち、お互いの瞳を合わせて頷く。

 彼らは前後に並び、姿勢を低くして音もなく木々の間を移動した。少し離れた灌木の陰に身を潜める。

 灌木の向こう側はなだらかな坂になっており、気配と物音はその下方からしていた。

 二人はそちらを伺う。


 何者かが、森を歩いていた。一人ではない。大勢だ。

 道なき道をたどっており、下生えや茂みに阻まれて歩く速度は遅々としている。

 明かりを持っていないか、隠しているようで、エルフの瞳に侵入者たちは黒いシルエットとして認識された。どれもそれほど背が高くない。だががっしりした体型で、武装している。誰も彼も無言だ。


『ドワーフか?』

『そうらしい。けれど、一体どこから?』


 二人は手話で意見を交わす。イールグンドは肩をすくめた。キールスが頷いて正面に向き直る。


『待て! 何か妙だ』


 手話の途中で、彼は息をのんだ。

 その瞳に、驚愕が浮かんでいる。

 イールグンドは眉根を寄せ、キールスの視線を追った。そしてまた、彼も目を見開いた。


 一人のドワーフが足を止め、こちらを見上げていた。

 その瞳が、青白い光を放っている。

 生気のない、その光は。


「……死人ゾンビだ……!」

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