天秤
謁見の間は城の中でも特に広く、皇帝の権威を表すように豪華な空間だ。吹き抜けの天井は、高い位置にステンドグラスが飾られ、その光が玉座に降り注ぐように設計されている。
柱ごとに据え付けられている魔法灯からは、帝国旗が垂れ下がっていた。
階段状に高くなった高台の中央に、黄金の玉座が置かれている。
高台の背後左右には、巨大な神像が飾られていた。向かって左側は剣を掲げた雄々しい男神、右は盾を足元に立てたりりしい女神だ。二つの神像はそれぞれ大きな台座に載っていたが、台座は高台の後ろで連結していた。
レムルスは玉座につくと、陳情に来た彼の民を観察する。
城門前に詰めかけた民衆には、自由民も奴隷もいた。全員をこの部屋に入れることは警備的な意味で難しかったので、彼らの中からそれぞれ数人の代表を選んで貰い、入室させた。
今、十数名の代表たちは深紅の絨毯の上に跪いて頭を垂れている。
柱の前には絨毯を挟むようにして、槍を手にした近衛兵がずらりと並んでいた。クィッドはその中でも、皇帝に最も近い階段直下の位置だ。
皇帝の隣には、宰相のナナウスが控えている。
レムルスが僅かに片手を上げると、ナナウスが「頭を上げなさい」と声を張った。民衆が頭を上げる。
「畏れ多くも、皇帝陛下が直々に、そなたたちの陳情をお聞き下さる。順に述べよ」
ナナウスが続けると、民衆は顔を見合わせ合った後、前列中央にいた壮年の男がまず立ち上がって一礼した。
「では私から、皇帝陛下。初めてお目に掛かります。旧市街の鍵屋通りに住むエイムスと申します。陳情は葬儀についてです。一昨日、父が亡くなったため、スティグマータの所へ遺体を運んでいったのですが、門は閉鎖され、兵士たちが敷地内に集まっておりました。遺体の焼却を依頼したかったのですが、今はそれどころではないと追い返されてしまい……。やむを得ず、当家にて遺体を保管しておりますが、穢れを思うと気が気ではありません。私の他にも、市内で多数、同様に困っている者がおるようで、私が代表として陳情いたします。一日も早く、遺体の処理をスティグマータに再開させて下さい」
男は深々と一礼する。
スティグマータが煙のように消え失せた一件については、レムルスも今日、シャイードたちがやってくる前に聞いたばかりだ。逃走経路については察しがついているものの、彼らがなぜ、またどのようにして脱出を図ったのかについては調査中とのことだ。
「エイムスよ。そなたの陳情はしかと聞いた。隠しても露見することであるから正直に伝えるが、スティグマータは現在、この帝都にはおらぬ」
「えっ?」
レムルスの答えに、民衆がどよめく。
「ほら、やはりそうだ」
「じゃあ、あの噂も……」
彼らはこそこそと小声で言葉を交わした。ナナウスが咳払いをしたことで、民衆は口を閉ざす。
「この件について、余も先頃、報告を受けたばかりである。だが、遺体の焼却については別の人員を手配することを既に命じてある。おそらく今日じゅ」
「陛下。俺たちはそのことで来ました!」
粗末な衣服を身につけた禿頭の若い男が唐突に立ち上がった。言ってから、彼は思い出したように慌てて頭を下げる。
皇帝の言葉を遮っての発言に、ナナウスが口を開きかけたが、レムルスは片手で制した。
「よい。この際だ。どんどん発言して貰おう」
ナナウスは顎を引いて引き下がった。禿頭の若者が顔を上げる。
「俺たち奴隷にも、陳情の機会を与えて下さって、感謝します。俺は、工房街で製鉄作業に従事しているドニと言います」
「うむ。そなたはどうしたのだ?」
「はい。実は俺や仲間が先ほど急に集められ、スティグマータの居留地で遺体を焼く作業をしろと命じられました。俺たちは困惑しました。それは、スティグマータの仕事です! 俺たちの仕事じゃあない」
レムルスは面食らった。
「先ほどの余の言葉を聞いていなかったか、ドニ? スティグマータは目下、行方不明だ。取り急ぎ誰かが、彼らの仕事を引き継がなくては、エイムスのように困る民が大勢発生してしまう。そなたら工房街の奴隷なら、高炉の扱いにも長けておるだろう?」
「しかし、陛下! それを俺たちにやらせるのはあんまりです。俺たちは確かに、戦争で負けました。俺も兵士でしたから、奴隷となったことは納得しています。だから、いつか再び自由になる日のために、俺も仲間達も、毎日過酷な作業に耐えて働いています。その報いが、これですか? スティグマータの仕事ですか!? 俺たちは穢れた奴らなんですか?」
ドニは筋骨隆々の手を握りしめ、悔しそうに唇を噛んだ。
レムルスはその言葉に衝撃を受けた。
(それほどのことなのか? スティグマータの仕事は、そこまで、民に蔑まれ、忌避される仕事なのか?)
レムルスは困惑し、ナナウスを見遣る。
ナナウスは陛下の視線に気づいてか気づかぬか、奴隷を見下ろしているだけだ。
「……では……。そなたは、スティグマータの仕事は、誰が引き継げばいいと思うのだ?」
ドニは沈黙した後、首を振った。
「俺にはわかりません。奴らの仕事は、奴らがやるべきだ。スティグマータを急いで連れ戻して、奴らの責務を全うさせて下さい。俺たちを、あいつらの代わりに据えないで下さい! お願いします! 陛下」
「陛下。畏れながら、私はスティグマータを連れ戻すことには反対です」
別の女性が立ち上がった。痩せぎすで背の高い、白髪交じりの平民女性だ。瞳だけがぎらぎらとしている。
彼女はスカートの裾を持って、ぎこちなく一礼した。
「私は旧市街の広場通り南に住む者で、名をアマリアと言います。発言をお許し下さい」
「許す。なぜ、スティグマータを戻すことに反対するのか、思うところを述べよ」
「ありがとうございます。私が思うに、彼らこそが今回の疫病の元凶だからです」
「えっ!?」
レムルスは思わず素の声に戻って驚いた。アマリアは我が意を得たりとばかりに口元に笑みを浮かべた。
「そうなのです、陛下。実は私の息子も、かの病に倒れました。私は彼の看病をしながら、病の原因を探したのです。他にも同様の病に倒れた者の家族を訪ね、共通点を探しました。果たして共通点がありました! どの者も、病を得る一週間以内に、スティグマータとすれ違った者ばかりだったのです」
(僕は違うぞ……!)
レムルスは思ったが、口にしなかった。スティグマータは働き者で、その仕事のために町のあちこちをさまよい歩いている。数は多くないが、人の多い広場なども通過するので、動き回っていれば出会うこともあるだろう。もちろん、滅多に出会わない者だって沢山いるだろうが。
彼女の数少ないサンプルには、たまたまそのような共通点があったのかも知れない。
「そして、そしてですよ。陛下! 私の息子は昨日、突然目覚めました。病に倒れていた他の者も、一斉に癒やされたというのです。私はこの発見をご報告に参ったのですが、なんと、驚いたことに時期を同じくしてスティグマータがこの都からいなくなったというではありませんか! 間違いありません。彼らが、無気力病の原因です。あの病は穢れた彼らによる呪いなのです、陛下。もう二度と、スティグマータにこの帝都の神聖な土を踏ませてはいけません!」
この言葉に、陳情に来ていた別の民たちの何人かが頷いている。
「そうじゃないかと思っていた」
「やはり彼らは呪われた血脈なのだ」
そして別の民達が、それに対して反論し始めた。
「遺体はどうなるんだ」
「俺はやりたくないぞ」
レムルスは玉座の肘掛けに腕を載せ、頭を抱えた。
(まるで三すくみだな。ここで僕がどんな決断をしても、誰かの恨みを買うぞ。世の中は教科書と違って、こんな問題ばかりだな、全く……)
「………。スティグマータが引き受ける前、遺体を焼く仕事をしていたのは葬儀をあげた各神殿の神官達だったな、ナナウス」
「その通りです。陛下」
「では元通り、神官達にやらせるのがいいだろうか?」
「果たして、納得させられるでしょうか。神官は、少なくとも奴隷よりは身分が上ですが」
「む……。仕方があるまい。神官は、少なくとも奴隷よりも、その身分のぶんだけ帝国に対し責任を負うはずだ」
ナナウスが皇帝の言葉に目を閉じた。
その直後。
陳情者の中から人影が立ち上がる。
「その仕事、我々が引き受けても構いませんよ。皇帝陛下」




