ともだち
――ねぇシャイード、知ってる? 『ニンゲンが誰もキミを好きにならない』を証明するのはすっごく難しいんだ!――
シャイードの脳裏に、亡き友の言葉が浮かんだ。シャイードは咳き込みながら目を細め、手の甲で唇を抑える。落ち着くために、牙で小指球を甘噛みした。
(違う。俺をドラゴンと知った上で、友達になりたいと言ったわけじゃない)
「だ、大丈夫か? 水……」
レムルスはシャイードの背をさすり、書見台を素早く振り返った。
「アルマ、水を取ってくれ」
「………」
アルマは動かない。当然のように命令に従うと思っていたレムルスは、水がやってこないことに驚く。
「アルマ? 水を」
「シャイード。水が欲しいか?」
アルマはレムルスの要請を無視し、シャイードに問う。シャイードは頭を下げたまま片手を持ち上げ、横に振った。
「はぁ……。何を言い出すかと思えば」
シャイードは顔を上げた。レムルスは手を下ろし、身をひく。
シャイードは咳払いをして、胸を軽く叩いてから相手を振り返った。何故かその表情が不機嫌で、レムルスは困惑する。
「あのなあ。俺がアンタの友達になんか、なるわけねーだろ」
「……!」
鋭い拒絶に胸を切り裂かれ、レムルスは息を止めた。
シャイードは振り返っているにもかかわらず、微妙に視線をずらしている。相手と目を合わそうとしない。
「大体アンタ、俺のことをなんにも知らないだろうが。正直、俺はアンタの思うような奴じゃないし、皇帝陛下にふさわしいニンゲンとは思えないね」
シャイードは片手をひらひらと振って、否定の意志を強調した。レムルスの唇が震える。彼は息をするという困難な作業を行い、何とか言葉を絞り出した。
「でも……、それは友達になってから、少しずつ知っていけば……」
「俺は、嫌だって言ってんの。第一、ここに長く留まる気もねえ。他を当たってくれ」
「………」
レムルスは唇を噛んで、心の痛みに耐えた。拒絶とて予想の範疇だ。だが、構えていたからといって、上手に受け身を取れるとは限らない。目を閉じ、少しずつ息を吐き出して肩の力を抜く。小さく顎を引いた。
「そうか。それならば、……仕方がない、な」
精一杯、虚勢を張って、口ぶりだけは何ともない風に答えたが、唇も声も震えていた。レムルスは、自分が思うよりも遙かに打ちのめされたことを自覚する。ユリアも、同じくらい衝撃を受けていて、何の慰めも口にしてくれない。
シャイードは、俯くレムルスを横目に見ながら立ち上がった。大きく息を吐き出し、彼の方を振り向いて腰に手を当てた。
「だが、まあ。友達じゃなくても、協力は出来るだろ。アンタだって、世界が滅んでしまっては困るはずだ」
レムルスがゆっくり顔を上げる。
「……ああ。うん、そうだな。手を繋いで……問題に対処、しよう」
青い瞳に少し明るさが戻った。シャイードはふん、と鼻を鳴らし、アルマに向き直った。片手を薙ぐ。
「おい、アルマ。とっととビヨンドに関する文献を探すぞ」
「うむ」
アルマは同意し、しかし書棚へは行かずにシャイードに近づいて向かい合った。瞳の動きだけでレムルスを見、それからシャイードに視線を戻す。
シャイードは今、レムルスに背を向けている。眉根を寄せ、唇をへの字に結んでいた。鼻の頭には皺が寄っており、金の瞳には、悲しみと諦めが浮かんでいる。
アルマは無言でシャイードの肩を軽く叩き、僅かに目を細めた。
文献の捜索を初めて30分も経たないうちに、シャイードは声を上げた。
「レムルス、ちょっと来てくれ!」
調査を手伝っていたレムルスが、書見台に本を重ねたまま、シャイードの傍へとやってくる。
「どうかしたか?」
「いや……。書棚のこの一角、ごっそりと本が抜け落ちているんだが」
シャイードは、壁際にあった本棚の中央、中段辺りを示した。上にも下にも、本はきっちりと段に収まっている。それなのに、中段の端から途中まで、奇妙な空白があった。
鎖だけが、棚の上でむなしくとぐろを巻いている。
何冊か残った同段の本は、横倒しになっていた。ブックエンドなどもない。
明らかに、元々あったものがなくなっている形だ。
「本当だ。おかしいな」
「誰かが借りっぱなしだとか?」
「禁書だぞ? 基本的に貸し出しは不可だ。何のために鎖がついていると思う」
レムルスは眉根を寄せた。
「シャイード。精査が終わった。この部屋に、ビヨンドに関連する書物はない」
はしごを下りてきながら、アルマが告げる。
「えっ、もう全部を?」
レムルスが目を丸くした。アルマは頷く。
「ない」
シャイードは片顔を手で覆った。「なんてこった……。ここまでハズレだとは……」
なんのために、こんな遠くまで苦労してやってきたのか。
力が抜け、シャイードはその場にしゃがみ込んでしまった。
レムルスが、申し訳なさそうに眉尻を下げて見守る。何と声を掛けようかと迷っているところに、呟きが聞こえた。
「……いや。そんなはずはない」
シャイードだ。
「帝国の宮廷魔術師だったグレッセンがビヨンドについて知っていたんだ。帝国には必ず、ビヨンドの文献があったはずだ」
彼は言いつつ、立ち上がった。そして書棚の空白を睨む。
「誰だ?」
「えっ?」
「誰なら、この禁書庫に入れる? レムルス」
シャイードは顎に手を添え、書棚からレムルスに視線を移した。表情が険しい。
レムルスはゆるりと首を振る。
「入れる者は限られているよ、シャイード。僕と、宮廷魔術師長のトゥルーリ老。それか、僕らのどちらかに許可された者だけだ。僕は皇帝になってから、お前以外の誰にも許可を出していない」
「じゃあ、その宮廷魔術師長が?」
「トゥルーリは厳格な人柄だ。不正をしたり、それを見逃すとは考えづらいが」
「何か理由があるのかも知れねえ。本人にその気がなくても、だまされたとか、脅されたとか、幾らだってあるだろ」
「う……ん……」
レムルスは納得いかなそうに首を傾げる。
沈黙が降りた。
直後。廊下の方から複数の足音が近づいてくるのが聞こえ、扉の外でくぐもった大声が交わされた。
性急なノックの音が追う。
「何かあったのだろうか」
レムルスがシャイードに視線を送り、身を翻して駆けていく。途中でツインテールを解き、ワンピースの上からマントをすっぽりと羽織った。
シャイードとアルマも、顔を見合わせた後に続く。
「まさか。それは本当か!」
薄く開いた扉の向こうから、レムルスの鋭い声が聞こえる。
「はい。兵士らが対応しておりますが、何しろ数が多く。宰相の命令で、陛下をお迎えに」
「……分かった。準備をして、すぐに行こう」
「どうしたんだ?」
シャイードは扉を開き、皇帝の顔をしていたレムルスに、部屋の中から声を掛けた。
レムルスは険しい顔で振り返った。逡巡した後、彼はまっすぐにシャイードを見て口を開く。
「民衆が城門前に陳情に押しかけているようだ。なにやら興奮しているらしい。話を聞いてみるよ。トゥルーリの件はあとでまた」
レムルスの表情は緊張のためか、血の気がない。彼は鳩尾に、握り拳を当てていた。
今にも倒れそうな様子の彼に向け、シャイードは片手を伸ばした。
「平気か?」
レムルスは、逃れるように一歩下がる。小さく首を振った。
「問題ない。これは余の仕事だ」
「陛下は自分がお守りする」
クィッドが険しい瞳でシャイードを牽制し、彼らは兵士を従えて立ち去った。
シャイードはその背中を見送り、行き場を失った掌に視線を落とした。