レムルスと”ユリア”
僕の母は、元は帝国の被征服民の一貴族でしかなくてね。皇帝の正式な妾ですらなかったんだ。
月光のような、と人々に形容された静かな美貌を見初められて、父が寝所に通うようになったものの、いつもどこか悲しげな雰囲気を纏う彼女に対する寵愛は、長続きしなかった。
それでも、僕が生まれた。
大人しい母はその出自も相まって、王妃や他の妾たちから憂さ晴らし相手にされていた。陰に日向に執拗ないじめを受け、それは皇帝の通いが絶えても止むことはなかった。
当然の結果として、母は心を病んでしまったんだ。
母の場合、その症状は、楽しかった子ども時代への逃避という形で現れた。
ユリアはね、母の姉なんだ。
気が強くておてんばで、母とは正反対の。でも優しくて、母は大好きだったみたい。
あるときから、僕は母に認識されなくなってしまった。当然だ。子ども時代の母に、子どもがいるはずがないから。
母は子ども時代を生きて、目に見えないユリアと会話し、笑い合っていた。
僕は凄く寂しかった。悲しかった。辛かった。
父だけでなく、母からも、いらない子どもだといわれた気がしたんだ。
そこで僕は、ユリアのふりをしてみることにした。女の子の服を着て、女の子みたいに話して。そう、会ったことのない、母の姉を演じたんだよ。
そうしたら、母にはまた、僕が見えるようになったんだ。
……ユリアとして、だけれど……
でも、僕は嬉しくて。母がちゃんと、僕を目で追ってくれるのが嬉しくて。僕は常に、ユリアを演じた。
演じている内に、僕はユリアが本当の自分みたいに思えてきたんだ。
結局母は、数年の後に肺の病を得て、死んでしまった。
母との別れは辛かったけれど、僕の中にはもうユリアがいたから、耐えられた。ユリアは僕を励ましてくれて、これからは僕のために一緒に生きてあげる、と言ってくれた。
シャイード。白状するとね。
僕とユリアは、お前が考えたように、別の人格ではないんだ。僕はユリアで、ユリアは僕だ。
ユリアが見たことは、僕も直接見ているし、僕が経験したことは、ユリアも経験している。
僕たちは考えを整理するために、それを口に出して教え合うけれど、起きたこと自体は知ってるんだ。
夢の世界……、幻夢界、というのだっけ?
いや、劇場の時のことじゃなくて、その前の夢のこと。その夢にも、お前が出てきたんだ。
あれは、お前だろう? 違うか?
お前の言葉は痛くて、……優しくて、でも受け入れがたくて。
僕はすぐに頷くことが出来なかった。
自分の未熟さが恥ずかしくて、許しがたくて、お前に合わせる顔がなくて。目覚めてからは、お前をだましてユリアとして振る舞ったんだ。
ごめん。
そしてありがとう、シャイード。
僕は民のためといいながら、結局いつも自分の気持ちばかりを優先していた。
勝手に他人の気持ちを推し量り、勝手にそれが真実だと思い込み、勝手に傷ついて、勝手にいじけた。
人を、信じられなかったんだ。
人は、怖い。
母を壊した人は、……本当に怖い。
でも、全員がそうじゃないんだよな。当たり前だけれど。
ユリアはちゃんとそれを知っていた。ということは、僕だって知っていたんだ。
幻夢界でシンモラールと正面から対峙したとき、僕はまた逃げだそうとした。お前に会う前の僕なら、絶対逃げていたと思う。
でも、お前は僕を、……認めてくれた。思いを受け止めて、返してくれた。
ドラゴンになったお前を弓で撃ったときでさえ、お前はまっさきに僕の”弓の腕前を信じた”。
そのお前を裏切ったり、失望させることは、炎に燃やされるよりももっと耐えがたいことだと気づいたんだ。
信じて良かった。
お前は僕に、人を信じる心を取り戻させてくれた。
だから、その。だから……
◇
長い独白を終えると、レムルスは俯いてもじもじし始めた。
シャイードは話の途中からずっとそっぽを向いていたが、頭髪から飛び出す耳の先端は赤い。
「ユリア、代わりに言ってくれない? ――この期に及んで、あなたはまたそんなことを! しゃっきりなさい、レムルス。簡単なことでしょう? ――でも、もし……。――いいから! 言っておしまいなさい。ほら! 今!」
背後から、肩に手が置かれた。
何とも言えない顔で、シャイードはレムルスを振り返る。
「シャイード。その……。僕と、……ともだち、に、なって貰えない、だろうか……」
シャイードは目を見開き、息をのんだ。口元がゆっくりとほころぶ。
そして直後、――咽せ込んだ。