黒竜のサガ
長椅子に横たえられ、シャイードの呼吸は少し楽になった。心臓の痛みも和らいでいる。
ユリウスかユリアだか分からないが、ツインテール姿が心配そうに覗き込んでいた。
アルマもその後ろから見下ろしているが、彼はいつも通りの無表情だ。フォスはシャイードの左手にまとわりついている。
「彼、何か持病でもありまして?」
ユリアが振り返り、アルマに尋ねた。アルマはわずかに首を傾げる。
「ふむ。確かにこれは、発作のようなものかもしれぬな」
「そんなん……別に……」
シャイードは右肘を立て、上体を起こした。少し顔をしかめる。
「無理をしては駄目ですわ。まだ顔色が良くありませんわよ」
「へーき、だ」
「わたくし、お水を持ってきますわ。少し待っていて下さいませ、シャイード」
「お、おい。俺は別に……」
ユリアは立ち上がると、言葉も聞かずにぱたぱたと足音をさせて立ち去っていった。シャイードは息を吐き出す。
足を下ろし、座った姿勢になった。
心臓に手を当てる。今までにも何度か、同じようなことがあった。ここまで酷いのは初めてだが……。
「俺、……病気なのか……?」
青い顔を上げ、アルマに問う。アルマは少し考えた後、首を振った。
「安心せよ。それくらいで死にはしない。……多分」
「多分って。少しも安心できないぞ。お前、何か知っているならちゃんと教えろ」
「………」
アルマは主をじっと見つめた後、目を閉じて小さく首を振り、シャイードの隣に腰を掛けた。両手を膝の上で組む。
シャイードはその仕草に、目を見開いた。
(いつの間にか、随分ニンゲンらしい仕草をするようになった)
両手の中に入ってきたフォスを、アルマを見つめながら無意識に撫で、それから上に放った。淡い光は、ふわふわと離れていく。
「あの単語を使うことを許せ。説明しづらい」
「あの単語?」
「ドのつくやつ」
「!」
シャイードは瞬き、周囲を見回した。今は誰もいない。
「小声で、なら……」
「承知した」
アルマはシャイードの方へ身をかがめ、声量をささやきに落とした。
シャイードは手元に視線を落とし、その言葉を聞く。
「汝はブラックドラゴンだ。そうだな?」
「あ、ああ……」
「汝はな、つまり憎悪のドラゴンなのだ。憎しみの感情から、何よりも強い力を得る。イ・ブラセルを破壊した原因も、ニンゲンへの憎しみだ」
「……っ」
シャイードは自身の両手を握り合わせた。
それを知らぬ訳ではなかった。
だからこそ、師からは過去に何度も念を押されていた。『憎悪の炎に身を任せてなはならない』と。結局のところ、忠告は生かされず、身をもって学ぶこととなった。
「そ、それがっ。……何だって言うんだ」
「汝の獣の心、ブラックドラゴンとしての本質は憎しみだ。それに対し、信頼や愛情は、最も遠い感情なのだ。汝の力を弱め、時には痛みを与える。特に、長らく憎悪の対象であったニンゲンからのそれは、汝に対して最も強く影響するのだ。注意せよ」
「………」
シャイードは唇を薄く開いたまま言葉を失う。アルマは上体を傾け、主の表情を覗き込んだ。
シャイードの耳は直前、笑みの気配を拾ったように思うが、瞳を動かして確認してもアルマは無表情だった。気のせいかも知れない。
「汝は実に、理想的な悪者だな。神聖なものに弱いとは……。例え輝いて見えても、そういう宝を求めすぎるでないぞ。汝には毒だ。……以上だ」
アルマは宣言して立ち上がる。ぱたぱたと軽い足音がして、ユリアが書棚の向こうに現れた。シャイードもその頃には顔を上げ、姿勢を戻していた。
「シャイード、お水っ!」
ユリアは両手で、ガラスのカラフェを抱えていた。グラスはない。
よほど慌てていたのだろう。前髪は乱れ、肩で息をしている。
シャイードは差し出されたカラフェを受け取り、縁に直接口をつけてがぶりと飲んだ。その様子を、ユリアは心配そうに見つめている。
「ぷはっ。……はぁっ、はぁっ……。その、……助かった」
シャイードは濡れた唇を手の甲で拭い、半分ほど水の減ったカラフェをユリアに返す。
「少しは落ち着きまして?」
まだ顔色が悪い気がして、ユリアはシャイードの頬に手を伸ばす。
「もう心配いらぬ」
シャイードの代わりに、アルマが答えた。ユリアは途中で手を止め、眉を困らせたままアルマを見上げる。そしてそのまま片手を下ろした。返されたカラフェを、手近の書見台に置きにゆく。
戻ってくると長椅子の、シャイードの隣にちょこんと腰を掛けた。
ワンピースの膝の上に、両手を握り拳にして置いている。
「……先ほどは、申し訳ありませんでしたわ。すごく、びっくりしてしまって……。咄嗟に反応が出来なかっただけですの」
シャイードはその様子を横から見守った後、片手を振った。
「気にしちゃいない。むしろ、驚いて当然だ」
「驚きはしましたけれど、すぐに信じたのは本当ですわ。だって、あなたの言葉ですもの!」
「……うっ」
シャイードの方に上半身を捻り、顔を近づけてユリアが主張する。シャイードは思わず身をひいた。
アルマが二人の間に割って入り、ユリアの肩を片手で押しとどめる。
「?」
「それはもう、言わずともシャイードには伝わっておる。痛いほどにな」
ユリアは戸惑いながらアルマを見上げ、少しうっとりとなり、それから口元に手を当てて姿勢を戻した。
「分かった。もう言わない」
レムルスが引き継いだ。
「お前達が大変な使命を持って、旅をしていたことを理解した。僕には想像も出来ぬ苦しみも、沢山経験してきたのだろう。秘密を打ち明けてくれて、感謝する。代わりと言ってはなんだけれど……落ち着くまで少し、僕の話を聞いてくれないか? 僕たちが、どうしてこうなっているのかを」
女装姿のレムルスは両手を胸に当てた。それから上目遣いにシャイードを見つめる。
「知りたい」
アルマは即答した。
「お、俺は……別に……」言ってからシャイードは、両手を前にかざして首を振る。
「いや、聞きたくないって意味じゃねえ。話したければ勝手に話せ、っつーか、別に聞いてやってもいい」
「ふふ。ありがとう。お前に聞いてもらいたいんだ」
レムルスはおかしそうに肩をゆらし、それから姿勢を正した。口元に手をあて、目を閉じて少しうつむく。
「さて、どこから話そうか……」




