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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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告白

 禁書庫の中は暗く、古い紙の匂いに満たされていた。シャイードは師の部屋を思い出し、無意識に目を細める。図書館の香りにも似ているが、どこか違う。

 ここはもっと謎めいていて、閉ざされていて、闇を纏った香りだ。禁書庫という名からの連想が、そう思わせているだけかも知れないが。


 三人ともが入室したのち、扉は背後で閉じられた。天井や壁の魔法灯が静かに明度を増していく。室温は低く、ひんやりとしている。


 シャイードはフォスを傍に従え、明るくなった部屋の中を見回した。窓のない部屋に、書棚が整然と列をなしている。天井は高く、書棚も高い。各所にスライド式のはしごが備えられていた。

 床は石材で、その上に絨毯が敷かれていた。絨毯の細かな模様は、シャイードには分からなかったが火災除けの魔法紋だ。この絨毯は、通常の火では燃えない。書棚にも、同様の魔法紋が刻まれている。


 長らく閉めきっていたとのことだが、空気に湿っぽさはなく、清浄だ。何らかの魔法で、温度や湿度が管理されているらしいことがうかがえた。

 書棚を眺めながら歩いてくと、奥に別の部屋に続く出入り口があった。


「あっちは?」

「奥にも書物がありますわよ。本だけでなく、巻物や木簡、石版なども。ところで、あなたたちは、何の禁書を探していますの?」


 ユリアはマントを壁の金具に引っかけ、シャイードとアルマを交互に見つめた。アルマは既に、本棚の一つに取り付いて、片端から書物の背表紙を目と指で追っている。


 シャイードは答えに迷った。

 人間に、全てを明かすべきだろうか。

 言っても信じて貰えない、という言い訳は、相手には当てはまらない。なぜなら、既に当事者だからだ。

 言ったところで仕方がない、という言い訳も、成り立たない。

 子どもとはいえ、相手は皇帝だ。もし、信じて貰えて力を借りられるなら……それは、とても大きな前進だろう。


 シャイードは心を決めた。

 ユリアをまっすぐに見つめ返す。


「お前には隠しても仕方ない。俺たちは、ビヨンドという異界の魔物を追っているんだ」

「ビヨンド……。あの、蜘蛛のお化けのことだったかしら」


 シャイードは頷く。


「レムルスから聞いたのか。ああ。アイツだけじゃない。この世界のあちこちで、ビヨンドは世界膜を喰い破り始めているんだ」

「世界、膜……?」


 聞いたことのない単語に、ユリアは頬に片手を添え、瞬いた。

 フォスが胸の高さまで降りてきた。シャイードは指をさしだし、フォスを遊ばせながら続ける。


「劇場に幻夢界の蜘蛛が出現しただろ。あれは現世界と幻夢界、二つの世界を隔てる世界膜が破られたせいなんだ。それで俺たちは、本来は眠りによってしか入り込むことが出来ない幻夢界に、生身のまま入ってしまった。劇場自体も、アルマが破れ目を閉じるまで二つの世界が融合した、不安定な世界になっていた」

「……。確かに、変でしたものね。上で蜘蛛が暴れていても、下の人たちは誰も気づかず……。あれも、現実と夢が入り交じっていたせいなのかしら?」

「あれは、観客たちが既に、我の影響下にあったからだ」


 アルマが一冊の書物を手にしたまま、唐突に口を挟んできた。本の上部には、細い鎖がついていて書棚に連結されている。持ち出しが出来ないようになっているのだ。

 その代わり、本棚の腰の高さには引き出し式の書見台がついていて、鎖を外さぬまま、本を置いて眺められるようになっていた。


「そうですの?」「そうなのか!?」


 シャイードも初耳だ。二人の言葉が重なる。

 二人は顔を見合わせた。フォスは手から離れ、またふわふわと浮かんでいく。


「精神に影響を及ぼす同種の魔法は、一度に一つまでしか掛からぬ、という原則を知っておるか?」

「知りませんわ」「知らねえ」


 またしても言葉を被らせつつ、二人は首を振った。

 二人とも、魔術師ではない。魔術師なら誰でも知っている基本の法則でも、一般人はほとんどが知らない。


「そうなのだ。例えば魅了の魔法にかかっている者に、別の者が魅了の魔法をかけたとしよう。前者の魔法の強度がより強ければ、後者には魅了されない。逆ならば、前者の魅了は解け、後者の魅了に掛かる。要は」

「力こそパワー?」

「そうだ。精神系の魔法は、純粋な魔力の殴り合いなのだ」

「ん? すると、お前が観客を魅了していたのと、蜘蛛が夢に干渉しようとしたのは、同種の魔法なのか?」

「我は何もしていない」


 アルマは首を振り、「演技の他は」と付け加えた。


「でもさっき、お前の影響下って……」

「何もしていないが、何故か、みな影響下にあったようだ。それが防壁として機能していたので、我は汝を助けに行けなかった。我はニンゲンに危害を加えることが出来ない。危害を加えられることが明らかな状況で、手出しせずにいることが出来るのはわかっていたが、出していた手を引っ込めることは出来ぬらしい。制約の難解なところだ」

「おまっ、いつもあれほどニンゲンに影響を与えているのに、無自覚だったのかよ!?」


 シャイードは衝撃を受け、あんぐりと口を開いた。


「何の話ですの?」


 途中から話について行けなくなったユリアが、シャイードの服の袖を引く。

 シャイードはユリアを振り返り、説明しようとしてやめた。

 アルマを手招く。

 アルマは素直に従って、本を棚に戻してから彼らの傍にやってきた。

 シャイードは、アルマの三角帽子を取り上げる。


「ユリア、こいつを良く見てみろ」

「? どうして……」


 言いつつも、ユリアはアルマを間近から見上げた。その頬が、バラ色に染まっていく。


「どんな気分だ?」

「ど、どんなって、その。見たことがないくらい、綺麗なひと……」


 ユリアは頬に両手を当て、目をぎゅっと閉じて顔をうつむけた。けれどすぐ、またアルマを見上げてしまう。


「凄くドキドキしますわ。嬉しくて、気分が高揚して、ふわふわして、ずっと見ていたい。ずっとわたくしを見つめて貰いたい。彼のために、何かをして差し上げたい気分ですわ。わたくしに出来ることなら、なんでも。――駄目だよ、ユリア。僕は皇帝なんだ。そんな風に、誰かを軽々しく崇拝してはいけない」


 ユリア、いやレムルスは、両手を胸で握りしめて目をそらした。

 シャイードはアルマに、三角帽子を深くかぶせた。


「な? 大抵のニンゲンは、コイツを見るとそうなるんだ」

「特にユリアは、綺麗な人にとても弱いからね。効果はてきめんだよ」


 レムルスが言う。


「なんですの? 彼は。人間ではないんですの?」


 同じ口が、すぐにユリアの口調になって続けた。


「あー……、うん。まあ」


 シャイードは後頭部を掻き、お茶を濁した。


「お前、劇場では運命神のアルマを見てもそうはなっていなかったのに」

「シャイード。あのとき、ユリア、というかレムルスは、既にアラーニェの親蜘蛛の影響下にあった。我の影響を受けづらい状況だったのだ」

「ああ、なるほど。お前が観客に影響を及ぼしたのと、逆パターンか」

「まあ、よくはわかりませんけれど……。アルマは人間ではなくて、けれども人に危害を加える存在でもないのですわね? そしてシャイード。あなたたちはビヨンドという人に危害を加える魔物を、倒す旅をしていると?」


 シャイードは首を振る。


「ニンゲンだけじゃない。ビヨンドは世界そのものに危害を加える敵だ。世界膜を喰い破られていけば、現世界だけじゃない。妖精界も幻夢界も……重層的に折り重なったこの世界そのものが崩壊してしまうんだ。そして終わりは、既に始まっている」


 ユリアは目を見開いて絶句した。レムルスからも発言はない。


(笑い飛ばすだろうか)


 青い瞳を真面目な顔で受け止めつつ、シャイードは彼らの反応を待った。

 荒唐無稽な話だ。妄想と片付けられてもやむを得ないほどの。

 ユリアは眉を寄せ、シャイードからそっと視線を逸らした。

 シャイードは息を吐き出し、肩を落とした。


(まあ、そうだよな。……これでいいんだ)

「信じて貰えなくてもいいさ。俺たちはただ……」

「信じるよ」


 レムルスが言った。いつの間にか、その視線がシャイードの顔の上に戻ってきている。青い瞳は曇りなく澄んでいて、揺らぎがなかった。


「僕はお前を……、シャイードを信じる」


 今度はシャイードが瞠目する番だ。その直後。激痛がシャイードの胸を突き刺した。


「……っ!」

(なんだ? また胸が痛ぇ。すごく……痛)


 シャイードは顔を歪めてよろける。胸の上に両手を重ね、その場に両膝をついて蹲った。輝く剣が心臓を貫き、そこから黒い血液がどくどくと流れ出す。そんなイメージが脳裏をかすめた。


 痛い、痛い、痛い。


 心臓の鼓動が激しく、こめかみまでずきずきと痛み始めた。フォスがすっ飛んできて、床すれすれからシャイードの顔を、淡い光で照らす。すぐにまた、どこかに飛び去った。シャイードからは見えなかったが、おろおろとその傍を飛び回っている。


「どうした!? シャイード!!」


 レムルスの慌てた声が頭の上から降った。視界が真っ赤だ。


「……ぁ……」


 声も出ない。

 不意に、重力が消え失せた。視界が反転し、仰向けで身体が浮かび上がる。

 瞼の合間から見えるのは、アルマの顔だ。遅れて、身体を抱え上げられたことを理解したが、今は抵抗する気力もない。フォスが腹の上に落ちてきた。


「レムルス、ユリア。どこか身体を休めさせられる場所を」

「わかった。……りましたわ」


 皇帝は周囲を見回し、奥を指さした。

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