天啓
翌日。
昨日の精神的疲労から、遅い時間まで爆睡していたシャイードは、身体を揺すられて目覚め、瞬時に身を硬くした。
逆光になった人影を、アルマだと認識する。途端に安堵し、シャイードは息を吐き出した。
「お前かよ。……まだ眠らせろ……」
毛布を頭からかぶり直して身体を丸めたシャイードを、アルマはますます激しく揺さぶる。
しばらくは耐えていたが、ゆさゆさは収まらず、シャイードは苛立ちを募らせた。ついに我慢の限界に達し、跳ね起きる。
「おい、やめろマジで。燃やすぞコラ!」
ガラ悪く凄んだところで初めて、シャイードは、部屋にアルマ以外の人物がいることに気づいた。
「のわあぁああっ!?!」
慌てて毛布を肩まで引き上げる。全裸なのだ。
「おそよう、シャイードちゃん」
「燃やす、とは? どのようにして?」
闖入者の片方はメリザンヌだ。トレイに、ポットとカップを載せてニコニコしている。
もう一人はユークリスだった。帝国の軍服を身につけ、興味津々の瞳でシャイードを見つめていた。
メリザンヌの家の、シャイードたちが借りている部屋である。
「な、な、な! 何の用だよ! こんな朝早くに、俺の部屋に!! ノックもせずに!!」
「もうお昼前よ?」
「ノックは何度もしたのだけどね。アルマ君が扉を開けてくれるまで」
「お前のせいか!」
次々に否定されたあげく、シャイードはアルマを睨んだ。
「違うぞ、シャイード。我は何度も声を掛けた。汝がねぼすけなのが悪いのだ」
「う……」
三者三様の視線を受け止め、返す言葉に詰まる。シャイードは「はーあ」と深いため息をついた。片手を布団から出して、ひらりとさせる。
「昨日はいろいろ大変だったんだよ。今日くらい休ませろ」
「大変って。アルマ君はともかく、貴方は陛下のお供で、観劇をしただけでは?」
ユークリスの質問に、シャイードは失言を悟った。助けを求めてメリザンヌを見遣るが、彼女はテーブルの上にトレイを置き、ポットからカップへお茶を注いでいるところだ。
それを両手で持ち、息を吹きかけながら運んできた。
「はい、どうぞ。眠気覚ましになるわ」
「……おう」
カップを受け取り、シャイードはすぐに口をつける。口が塞がっている間は、質問に答えなくても平気だからだ。
ユークリスは興味深そうに、お茶を傾けるシャイードを見つめる。
「ほう。シャイード君は、相当なケル舌だね」
「ぶふっ」
危うく噴き出しそうになる。ケル舌とは俗語で、熱いものを平気で食べられる者のことだ。ケルベロスという、火を噴く犬の魔獣に由来する。
ドラゴンであるシャイードは、人間の姿であっても、この程度の熱さは平気だ。
(しまった。人間の前なのに、ふーふーするのを忘れてた!)
「い、いや。メリザンヌが息で冷ましてくれたせいか、それほど……」
「そうね。ねぼすけさんのせいで、お湯の温度が下がってしまっていたかも? うふふ」
メリザンヌも援護してくれ、ユークリスは前傾姿勢だったのを戻す。
「なんだ。そうか」
どことなくつまらなそうだ。
何とか飲み終えて、空のカップをメリザンヌに返却する。
「つまり、あれだ。劇を見ていて、精神的に疲れたんだよ。アルマがトチったり噛んだりしないか、心配でハラハラして、だな……」
「へえ? 貴方は随分、相棒思いなのだね」
「相棒」
「相棒じゃねえからな?」
もう突っ込むまいと思ったのだが、アルマが繰り返したのを聞きとがめ、気づけばそちらに突っ込んでいた。アルマも頷いたところを見ると、反論しようとしていたのかも知れない。
「はぁ……。ますます疲れた。……で? 何か用か」
不機嫌さを隠しもせずに、ユークリスに問い返す。
「ああ、寝起きにバタバタとすまないね。陛下から直々に、貴方を城に連れてくるようにと仰せつかったものだから」
「レムルスが?」
「約束を果たしたいとおっしゃっていた」
「ああ! そうだった!」
シャイードは声を大きくした。遠路はるばる、わざわざ帝都にまでやってきた目的だ。
そこではたと気づく。
「ユーク。町の人は無気力病から回復したか」
「うん。私も貴方にそれを報告しようと思っていた」
ユークリスは頷いた。直後に、口元に手を添えて肩を揺らす。
「でもまず、着替えて貰った方が良さそうだね。報告は馬車の中で行うとしよう」
かくして数十分の後、シャイードは馬車で王城へと向かっていた。アルマとフォスも一緒だ。
進行方向の向かいの座席に、ユークリスが腰を下ろしている。
「本当に驚いたことだけれど、昨夜から次々に、『無気力病の患者が目覚めた』と報告が来ているんだ」
「へえ」
「フフ。言わなくてもわかっているよ。……貴方たちがやってくれたんだね」
シャイードとアルマは顔を見合わせた。
ユークリスは右の掌を彼らに向ける。
「さっきは観劇していただけ、だなんてしらばっくれてシャイード君を試したけれどね? クィッド殿から、劇場に蜘蛛のバケモノが現れたって話を聞いたんだ。彼は直後に気を失ってしまったらしいのだけれど、目が覚めたときには陛下も無事で、劇も終わっていたと」
シャイードは息を吐き出して、肩の力を抜いた。
「ああ。実はその通りだ。元凶を叩くことには成功した」
ユークリスは満面の笑みを浮かべた。それから唇に人差し指を立てる。
「話は変わるんだけど」
何気ない表情で、彼は窓の外を見た。流れる町並みを見て、しばらく口を閉ざしている。
この流れでどんな話題が、とユークリスの横顔を眺めていたシャイードの瞳に、彼の瞳が戻ってくる。
「シャイード君は、ドラゴンだったりする?」
読書は好きですか、くらいの調子で口にされた質問は、一度シャイードの耳を通り抜けたあとで衝撃をもたらした。
「………え」
聞き間違いかと思った。あまりにも唐突で、あまりにも自然な口調だったからだ。
ユークリスはアルマの方にも素早く視線を向けたが、アルマは完全な無表情だ。目を細めた彼の視線は、シャイードに返ってきた。
ユークリスは顎に片手を添え、脚を組む。
「うーん。実は今朝のことなんだけど。朝食のパンをかじりながら、貴方のことを考えていたんだ」
「お、俺の」
何でだ、と突っ込みたかったが、心臓がバクバクしてそれどころではない。
一体どんなヘマをした。何が手がかりになった。何故そう確定した。どれほどの確信で……。頭の中を疑問符が駆け回る。今までユークリスとの間で交わした言葉を、高速で思い出すが、わからない。
「そうしたら、なんと! 頭の中に、ドラゴンって単語が不意に浮かび上がってきたんだよ」
「………」
「………」
「………。それだけ……か?」
無言で見つめ合った後、シャイードは恐る恐る尋ねた。ユークリスは無言のまま頷く。
シャイードはどっと疲れて、馬車の背もたれに寄りかかった。
「なんだよ、馬鹿馬鹿しい……。そんなわけ、ねーだろ!」
目を瞑り、息を吐き出した。目を開いていたら、動揺を見抜かれてしまうと恐れたのだ。
ユークリスは軽やかな笑い声を立てる。
「まあ、そうだろうね。一応、聞いてみたかっただけだ。気にしないでくれ」
彼はひらひらと手を振った。妙にすっきりした表情になっている。
シャイードは瞼を開き、窓の外に視線を向けた。
「レムルスは? アイツは何か言っていたか。無気力病のこと」
「多くを語っては下さらなかったのだけれど、貴方に助けられたと繰り返しておられたよ」
「そうか」
「あとはお目にかかって、直接伺うといい」
ユークリスは満足した様子で口元に笑みを浮かべ、腹の上で両手を組んだ。




