かくれんぼ
人々はそこで、夢から覚めたような表情になった。ざわざわとし始めている。
シャイードもまた、ぽかんとした表情で舞台を眺めていたが、メリザンヌを振り返った。
魔女は目の上に片手を当てて、顎を持ち上げている。
「ええと? 何だったんだ、結局? これはハッピーエンドなのか? それともバッドエンドなのか?」
「旦那様の悪い癖が出たんだわ……」
「というと?」
メリザンヌは姿勢を戻し、腕を下ろす。スミレ色の瞳をシャイードに向けた。眉が困っている。
「どうにもね? あの人は話を捻ろうとしすぎるの。もうっ。シンプルに勧善懲悪モノでいいじゃないって思うのだけれど」
先ほどとはうって変わって、観客たちは戯鬼につままれたように顔を見合わせている。彼女はため息をついてそれを見下ろした。
やがて再び幕が開き、舞台上が明るく照らされる。出演者達が次々に現れ、笑顔で一礼して去って行った。人々の注意は舞台に戻され、ぱらぱらと拍手が送られる。
先ほどの、会場が割れんばかりの拍手と比べたら、大分トーンダウンして聞こえた。
「大丈夫かしら……この舞台の興行」
「よ、余は、いいと思うぞ。うん。こういう終わり方も、その……余韻が残って」
「ありがとうございます、陛下。主人に伝えておきますわ」
「次は頭から、きちんと鑑賞させて貰うとしよう」
「光栄ですわ。……さあ、お手を」
メリザンヌは「それまで続くかしら?」という言葉を喉で飲み込み、皇帝陛下にうやうやしく片手を差し出した。自身の隣に招く。
杖に横座りしたレムルスを、魔女は皇帝のボックスへと運んだ。
それを目で追った後、シャイードは音を立てずに通路に飛び降りる。
舞台挨拶はまだ続いており、舞台の上は明るく、観客席は薄暗い。それでも、通路ぞいの席に座っていた観客の何人かは、上から落ちてきた少年の姿に気づいてぎょっとした顔をした。
(コイツらの意識も、通常に戻っているようだな)
シャイードは何事もなかったかのように立ち上がり、少しよろめいた。
(……? 平衡感覚が……)
何かがおかしい。
(そうか。親蜘蛛の空けた穴がそのままだ。そのせいで、空間が不安定なのか)
蹈鞴を踏んで顔に手を当てた。目眩のような感覚が残っている。頭を振り、何度か瞬いてから、通路を舞台と逆方向へ歩いて行く。
途中、愛用のクロスボウが落ちているのを見つけ、拾い上げた。
客席の一番後ろにたどり着くと、立ったまま壁に背を預ける。クロスボウを畳み、舞台挨拶を眺めた。
アルマの姿は、いくら待っても現れなかった。
公演が終了すると、客席の照明が灯され、人々が出口へと流れてくる。シャイードは壁際に背をつけたまま、その表情を観察した。
どの人も、どこかぼんやりしているように見える。瞬きは緩慢で、瞳の動きも少ない。連れと感想を言い合うでもない。
妙にまったりとしていた。
(寝起きみたいな顔だ)
そう感じてから、鼻で笑った。
(いや、実際。夢を見ていたみたいなもんなんだろう)
舞台の傍ではリモードが、幾人かの人々に囲まれていた。彼は機嫌が良さそうだ。舞台の出来が、彼にとっては満足のいくものだったらしい。いつも以上に身振り手振りを添え、何かを語っては笑っている。
傍にはいつの間にか、メリザンヌが控えめに寄り添い、微笑んでいた。
そこから視線を上げていくと、皇帝のボックスがある。この位置からは、中の様子は分からない。
そのうちに出口を通過する人の波が収まり、係員が客席を回って忘れ物の点検を始めた。
シャイードは踵を返す。
楽屋へと通じる道は、開演前とはうって変わって、人でごった返していた。
「押さないで、押さないで下さい!」
警備員が横一列に並び、自らの言葉を裏切って人々を押し戻そうとしている。しかし、興奮した民衆は口々に「一目でいいんです」「お花を渡したいだけで」「握手だけ、どうか!」と必死だ。
「駄目です。どなた様もお通しできません。お帰り下さい!」
「そこを何とか!」「是非!」「お願いします!」
シャイードは瞬いた。後ろからも、続々と人々が、買ったばかりの花束を手にやってくる。いつの間にか、人の群れに巻き込まれていた。
(これ……、もしかしなくても)
隣の人物のがっちりした肩が頬に当たり、もみくちゃになる。
「運命神を演じられた方に、是非、お目に掛かりたい!!」
「私も!」
「エルドリス神が降臨されたと噂に聞いたが!?」
(やっぱり! うおおっ、潰される……!)
シャイードは身を沈め、人々の脚の間を這い出してきた。
立ち上がり、服についた埃を払う。
「酷ぇ目にあった……。それもこれも、全部アルマのせいだ」
肩の力を抜き、げっそりして廊下の端に寄っていく。カーテンの下の方が膨らみ、動いているのが見えた。それを目で追う子どもの姿もある。
(またかくれんぼをしているのか)
邪魔にならぬ所に寄りかかったが、膨らみは波のように近づいてきた。
「?」
探検中の子どもの進路を妨害しないよう、壁から背を浮かせる。
突然、カーテンの切れ目から手が伸び、シャイードは右手首をつかまれて中へ引きずり込まれた。予想外に強い力だ。
「!? はなっ」
「静かに」
右手を背中に捻り上げられ、背後から口を手で塞がれている。抵抗をやめたのは、耳元で聞こえた声をよく知っていたからだ。
「我だ」
(アルマ!?)
アルマは相手に認識されたことを確認したのち、ゆっくりと口を塞いでいた手を放した。
「お、おまっ! なにやってんだ、こんなところで」
「うむ。汝と合流するつもりが、楽屋から出た途端に進路を妨害された。警備員が対応している隙にカーテンに隠れ、ここまで移動してきたのだ。しかし、この通路から先はカーテンがない。どう進もうかと思案しておったら、汝の声が聞こえた」
「ばっ……」
シャイードは溜めた。
「………かじゃねーの!?!? マジで!! お前なら、魔法で何とでもなるだろうが!!」
シャイードはささやき声での、精一杯の罵声を背後に浴びせた。
アルマは小さく首を振る。
「忘れたのか、シャイード。我はニンゲンに危害を加えることが出来ぬ。確かに、吹き飛ばせれば簡単ではあったが……」
「そこまで物騒でなくても! なんかあるだろ。ほら、眠らせるとか、命令を聞かせるとか」
「数が多いし、隠れる方が簡単で早かった」
「ここからどうするんだよ! 俺がいたって同じだろうが!」
「汝は馬鹿か?」
今度はアルマが冷静に言った。
「汝がいれば、我は本になって移動すればよいであろうが」
シャイードは瞬く。
黒い魔導書を小脇に抱えてカーテンを出てくると、先ほどの子どもと目が合った。鼻水を垂らしながら見上げてくる。
(かくれんぼじゃねーよ!?)
シャイードは赤くなり、そそくさと足を動かして立ち去る。
子どもの視線が、見えなくなるまでずっと追いかけてくるのがとても恥ずかしかった。




