終幕
「フォス! フォス!! お前、平気か? 怪我は!?」
シャイードが手を差し出すと、フォスはぐるりと一回転した後に、掌の上に載った。それからまた、ふわふわと浮かび上がる。フォスに間違いない。
「大丈夫そうだな……」
シャイードは胸をなで下ろす。光精霊は、斬っても血が噴き出るわけでもなく、怪我がわかりにくい。
弱ったときには光も弱くなるが、今のところフォスの光は安定している。
シャイードは、手を伸ばしてフォスを撫でた。
「なあ、フォス。お前、海の中にいたか? ドラゴンの姿になれるか?」
フォスはふわふわ揺れているだけで、何とも答えない。明滅するでもない。
「俺の勘違いか? そもそもお前、しゃべれないものな」
口もねーし、と指でつつく。
幻夢界については、シャイードには分からないことだらけだ。
(あとでアルマにでも聞いてみるか)
「行こうぜ、フォス。こんな変なとこ、早く出よう」
シャイードは翼を打ち、フォスは何事もなかったかのように彼に続いた。
◇
蜘蛛の巣に戻ってくると、レムルスが頭をめいっぱい後ろに倒し、空を見ていた。シャイードは後方から近づいたため、隣に降りたときには驚かれた。
「待たせたな」
「なんだシャイードか……。おかえり」
振り返ったレムルスが、胸をなで下ろす。その視線が、シャイードからフォスへと移った。皇帝は柔和な笑顔を浮かべる。
「良かった。無事に友達を取り戻せたんだ」
「まあな。あとはここから出るだけだ」
「そのことだけれど」
レムルスは右手を持ち上げ、空の一転を指し示す。
「お前、あそこに浮いている夢が見えるか?」
「ん?」
シャイードは視線を持ち上げ、レムルスの指さす方を見つめた。「どれだ?」「あれ。あの三つ並んだ夢の、一番右」「ああ」と、やりとりがあった後、シャイードはそれらしき夢の泡に目をこらす。
ここからでは、遠くてよく見えない。
「あの中身が見えるのか? アンタ、目がいいな」
「あ、うん。そう、なのかな……?」
シャイードも目はいい方だが、レムルスはさらに遠目が利くようだ。しかし自分でも気づいていなかったようで、半信半疑で頷いている。
シャイードは翼を動かして、浮かび上がった。そのまま少しずつ、泡へと近づいていく。
途中で、「あっ!」と声を上げた。
すぐにレムルスの傍へと戻ってくる。
「あの劇場だ!」
「だろう、やっぱり!」
レムルスはこくこくと頷いた。
「お前の頭に乗っているときに、あの夢が、すぐ横を流れていったんだ。ここでお前を待つ間、探していた。何か、関係ないか?」
「関係大ありだと思うぜ。アルマが言うには、ここは幻夢界――夢の世界の、深層領域らしい。だから夢の中は、ここより現世界に近いはずなんだ」
二人は見つめ合い、頷き合う。
「行ってみよう」
レムルスを片腕で抱え、シャイードは劇場の夢へと近づいていく。
虹色の被膜越しに夢を覗き込んでみると、魚眼レンズを通してみるような、歪んだ劇場が見えた。観客達は舞台に釘付けで、その舞台上では物語がフィナーレを迎えようとしているところだ。
打ち負かされた運命神が、神殿の石段に倒れ伏しており、主人公の若者が高らかに自由を歌い上げている。背後には、それまでの出演者達が並んで手を繋ぎ、ハミングをしていた。
「間違いない。ここだ」
「そのようだね。良かった」
二人はシャボンの膜に手を伸ばす。虹色の薄膜は、すんなりと二人を招き入れた。
入ると同時に、シャイードは人間の姿に変身する。フォスはシャイードの服に潜り込んだ。
「わっ!」
彼らが出現したのは、天井からつり下がる、シャンデリアの上だ。バランスを崩したレムルスの衣服を、シャイードは無言でつかんで、鎖にしがみつかせた。
「蜘蛛の巣がなくなっているな」
空に浮いていたメリザンヌが二人の出現に気づき、飛んでくる。
「ちょっと、シャイード! 貴方、今までどこに……。あらっ!? そこにいらっしゃるのは……? まさか!!」
レムルスは気まずそうに視線を逸らした。
「子蜘蛛たちはどうなったんだ?」
シャイードはレムルスを凝視するメリザンヌに尋ねる。質問は無視だ。彼女が答えを必要としていないことは、その瞳を見れば分かる。
メリザンヌはむき出しの肩をすくめる。
「貴方に言われた通り、燃やしてあげたわよ。できる限りはね? でも次々に湧いてきてキリがなくって。けれど、さっき突然、全て消え失せてしまったわ」
シャイードはそれを聞いてほっと肩の力を抜いた。レムルスの方を振り返る。すると、レムルスも、シャイードの方を向いていた。
シャイードは口端を持ち上げて笑う。レムルスも笑い返した。
「なによう! 二人だけで目で会話して! もうっ。後できちんと説明してちょうだい。それと、あんなに上空でドンパチやったのに、観客達が全然気づかなかった理由も!」
メリザンヌは豊満な胸の下で腕を組んで、赤い唇をとがらせた。レムルスが揺れる胸を凝視し、目元を赤らめて視線を外す。だが、その後もちらちらと盗み見ていた。
「あ、それについては俺も分からん」
シャイードは片手を立てて首を振った。メリザンヌは目を丸くし、何か言おうと口を大きく開けた。
そこに、客席から「わあっ!」と歓声が上がった。割れんばかりの拍手が、劇場の壁に反射して、全方向からシャワーのように降り注ぐ。
舞台に視線を向けると、幕が下りていくところだ。
「終わったらしいな」
「あーぁ。イイトコを見逃しちゃったわ……」
「ぼ……、余もだ」
拍手が鳴り止まない。劇は大成功のようだ。
……と、再び幕が上がる。
「あ。アンコールか?」
レムルスが呟く。
舞台の上からは、大道具が全て消え失せていた。ただの薄暗い空間だ。
いや、良く見れば、誰かが舞台の中央に立っている。
そこに、上からのライトが当たる。そこにはアルマが――倒されたはずの運命神が立っていた。
拍手の音は急速に減衰し、場内はしんと静まりかえる。
アルマが顔を上げた。
「斯くて、囚われし男は、幾多の困難を乗り越えてついに、
王国を支配する運命神を滅ぼした
しかし――
それは本当に、男が運命に打ち勝ったことを意味するのだろうか?
男は大罪を犯すと予言されていた
そしてまさしく、神殺しの大罪を犯すに至ったのだ」
アルマは片腕を高く差し出した。
「運命に抗い、運命と闘い続けた男は、
結局は運命神の掌の上
運命神の死すらも、運命で定められたものだとしたら――?」
運命神は、開いていた掌を一度握り込み、指重ねてぱちりと鳴らした。
光は消え、再び舞台は闇に閉ざされた。
「善くも、悪くも
――運命とは無慈悲な存在ゆえに……」
声だけが闇の空間に響き、幕が下ろされる。
サブタイトルは「終幕」ですが、第三部はまだ続きます。




