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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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コレクティブ・アンコンシャス

 炎で巣に広範囲の穴が空いてしまったため、フォスの落下地点が分からなくなってしまった。シャイードは泡立つ黒い海のすぐ傍まで降りていく。

 海の色は不透明で、下が全く見通せない。浮かんでくる泡は人々の夢で、光精霊かと思えば虹色の泡、泡、泡ばかりだ。


「フォスーー!!」


 声を張って、光精霊の名を呼ぶ。

 呼びかけに応えて飛んでくる姿はない。シャイードは海の上を、うろうろと飛んだ。


(自我を失うんだったよな……。フォスは、フォスであることを忘れてしまったのだろうか)


 胸が、ぎゅっと締め付けられる気持ちがした。

 そのまま数分、円を描くように飛び続けていたところ、水面に何か、黒い物体が漂っていることに気づく。


(何だ、あれは?)


 早速近づいて、拾い上げてみる。それは帽子だった。皇室の紋章が縫い付けられている。劇場に向かう際に借りたお仕着せの、黒い帽子だ。黒い水面に黒い帽子で、上からは全く分からなかった。シャイードは頭に手をやる。


(そうだ。眠りに落とされたとき、フォスがこの下から出てきて、その時に落とした!)


 ということは、フォスが落下したのもおそらくこの付近ということになる。

 シャイードはその場に留まり、海面を見つめた。


(ここで潜って探せば、フォスの光が見えるだろうか。しかし……)


 自我を失うことがどういうことなのか、よく分からない。


(妖精の森で狂乱状態になったが、ああいう感じか?)


 ここで狂乱するのはとてもマズイ気がする。しかしアルマは”最悪の場合”とも言っていた。


(俺はドラゴンだし、少しくらいなら耐えられるのではないか? ニンゲンが、水中で息を止めていられるくらいの間は)


 シャイードは意を決し、身体を水面と水平に、ギリギリに高度を下げた。息を止め、瞼を閉じる。

 そして顔を、水面につけた。水温は生暖かく、すぐに肌になじむ。恐る恐る、瞼を開いてみた。


(………!!)


 水面下は、吸い込まれそうな青一色の世界だ。水面に近いほど明るいブルーで、深いほど濃い色となって闇に溶けている。現世界の海のように、塩気が目に染みることもないようだ。


(特に、変な感じは……。ん?)


 少し先の深みを、白い鳥のような、ひらひらした布のようなモノが横切った。


(フォスか!?)


 良く見ようと、肩の辺りまで水面下に沈めてみた途端、水圧がかかるように、無数の思考がどっと流れ込んできた。


 ……『……』『だから言ったんですよ』『待ってよー』『やめれば良かったな』『やったぁ!!』『信じられないなぁ』『置いていかないで!』『そうだよ、間違いない』『ええー?』『いいな』『どうしてこうなったの?』『やだ』『まだまだ!』『ふーん、ふふ、ふーん』『くやしいっ!!』『死んじゃえばいいのに』『やめた、やめた!』『くっだらねぇ』『神様、お願いします』『よーし、その調子』『見て見てー!』『なんで!?』『大好き』『許せない』『怖いよぉ……』『どうなってるんだろう』『おーい、こっちだ』『絶対欲しい!』『さいこー!!』『……』……


「ぷはっ!!」


 シャイードは慌てて羽ばたき、顔を水面から上げる。


(な、なんだ? 俺が、俺の中に、俺じゃない奴が沢山)


 混乱した。流れ込んでくる大量の言葉が、感情が、自分の思考や感情を圧倒してくる。渾然一体となったそれらが、全方向から殴りつけてくる感じだ。


(頭をちょっとつけただけで? ヤバいな、これは……)


 しかし青い世界に一つだけ在った、白い色が気になる。フォスではないのか。

 距離にしたら、ほんの数メートル先だ。少し潜れば届きそうな所にいた。


(………)


 シャイードは海の上を飛びながら、目を閉じて考える。握り拳を作った。そして結局は、息を吸い込み、今度は足先から水面へ飛び込んだ。

 すぐに大量の言葉と感情に襲われる。耳を塞いでも聞こえるのだ。

 それが自分の感情なのか、言葉なのか、分からなくなる。


(うるせえ、うるせえ、うるせえ!! 黙れ! 俺はシャイードだ。ドラゴンだ!)


 シャイードは心の中で、大声で叫んだ。自分の名を叫んでいる間は、圧倒的な声と感情が聞こえなくなった。


(よし、いいぞ。俺はシャイードだ、シャイードだ、シャイードだ!!)


 手足と翼で水を掻き、白いひらめきを追う。


(シャイード!! じゃなくて、フォス!!)

『フォスーー!!』


 シャイードは心の中で、ひらめきに呼びかけた。

 ひらめきは方向転換して、こちらに近づいてくる。シャイードは両手を捕獲の形にして待ち構えた。その間も、自分がシャイードで、ドラゴンであるということを、心の中で叫び続ける。


 白い姿は鳥のように見えたが、近づいてくるとドラゴンであることがわかった。

 両手で作る影絵の鳥くらいの、凄く小さな白いドラゴンだ。


(フォス、……じゃない?)


『誰?』『誰かな?』『誰?』『誰?』『俺は誰?』『誰?』『君は誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰なの?』『誰?』『誰?』『誰?』『これは誰?』『誰?』『誰?』『あれは誰?』『誰?』


 思考の叫びを止めた途端、自分が誰か分からなくなってくる。

 いや、違う。これは外部の思考だ。集合的無意識の海の、水圧だ。自分が誰かはちゃんと分かっている。


(俺は……、ええと……。あれ……?)


 分からなくなっている。


『何してる?』『何してるの?』『何しにきた?』『何してる?』『何してる?』『何してんの?』『何してる?』『何してる?』『何してるんだ?』『何してる?』『何してる?』『何してるんだっけ?』


(あれ……? 何してるんだっけ………)


 思考を浸食してくる言葉が、その意味が、段々理解できなくなってくる。しゃわしゃわとした、心地よい音量の雑音に思えてくる。全身から力が抜け、水の中にたゆたう。

 ここは温かくて、静かで、孤独ではなくて、満たされていて、穏やかで、不安も恐怖もない。


 どこからともなく、音楽が聞こえてきた。音楽、というより、ハミングだ。

 聞いたことのない調べ。それなのに、どこか懐かしい……。眠気を誘う優しい鼻歌だ。

 シャイードの瞼が落ちていく。


(かあさん……)


 抱かれたことのない母の腕に、抱かれているような気持ちだ。優しく揺らされ、頭を撫でられ、愛しているわと言ってくれて……


『にぃに』


 まどろむ直前、ひときわ大きな声がそう言った。シャイードは無視をする。


『にぃに、起きて』


 シャイードは眉根を寄せた。


(うるさいな。にぃにって誰だよ)


 閉じている瞼が、急激にまぶしくなる。顔を背け、両手でかばおうとするが、何かが遠慮なく顔にぶつかってきて、まぶしさが少しも収まらない。


『にぃにってば! ねむっちゃだめ、にぃに! シャイード!!』


(シャイード? ……それって、誰だっけ……)


(………。……、………)


(!!)


 シャイードは覚醒した。


(シャイード! そうだ、俺はシャイード。ドラゴン!!)


 シャイードは慌てて、水面目指してもがく。そのまま水上に飛び出した。


「ぶはぁっ!! はぁっ、はぁっ……!」


 肩で息をし、髪から顔にしたたる水を、右手の甲で拭った。


「危なかった……眠りそうになった」


 あのまま眠っていたら……。結果は想像に難くない。


(しかし、俺を呼んだあの声は、何だったんだ)


 顔を上げた途端、目の前に浮かんでいる存在に気づく。


「フォス!!」


 探していた光精霊が、そこにいた。

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