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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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運命神アルマ

 話し合いの末、ユリアはレムルスが目覚めるまで、彼のふりをすることとなった。治療のために呼ばれたシャイードとアルマは、皇帝が治癒しなければ解放されない。

 それでは困るからだ。


「余はもう、何の問題もない。すこぶる調子が良い」


 お気に入りのツインテールを解き、弟の衣装を身につけたユリアは、マルティアスとユークリスにそう宣言した。

 マルティアスは大層驚き、喜んだ。同時に、皇帝がその日一日、安静にして検査を受けるべきであると、がんとして主張した。

 ユークリスはほっとしていたものの、ユリアの挙措に違和感を覚えているようで、ずっと目で追っており、時折首を傾げていた。


 アルマは遅ればせながら劇場へと向かい、シャイードは王宮に残ることを選択する。一つは大層腹が減っていたのと、もう一つは、王宮で確かめたいことがあったからだ。

 皇帝たっての願いと、難病の治療に成功した功績とで、シャイードがユリアと食事をすることに異を唱える者は誰もいなかった。

 彼は豪華なご馳走をたらふく食べ、皇帝の寝室のソファで昼寝をし、起きると検査の合間のユリアに切り出す。

 ユリアは元気なのにベッドに寝ていなくてはならない境遇にうんざりしていて、シャイードが傍にやってくると瞳を輝かせて歓迎した。

 シャイードは人払いをし、二人きりになると椅子に座って切り出す。


「治療の礼が欲しい」

「あら、当然ですわ。あなたは皇帝陛下の命を救ったのですもの。一生遊んで暮らせるくらいの帝国金貨を、受け取る権利がありますわ」


 ユリアが二つ返事で頷くのに、シャイードは片手を振る。


「いや、そんなのはいらねえんだけど、俺とアルマが、ある場所に入る許可を貰いたい」

「ある場所?」

「王宮の禁書庫だ」


 ユリアは大きな瞳をめいっぱい見開いて絶句した。桜色の唇に人差し指を当て、ベッドの天蓋を見上げる。


「駄目か?」

「ううん。駄目ってことはないと思うのですけれど……、どうしてそんなところに入りたいのかしら?」

「どうしてって……、そりゃ……ええと……。ちょっと調べてることがあるっつーか……」

「禁書庫にあるのは、危険な魔術書や、人に悪影響を及ぼしそうな偏った思想の本よ? 他にも、ただ古いだけとか、宝石で装丁された高価なものというだけの書物もありますけれど」


 ユリアは厳しいまなざしをシャイードに向ける。


「まさか、あなた、やっぱり凄く悪い人……なのかしら?」

「あー、まあ。少なくとも悪いではない。安心しろ」


 シャイードは髪を掻きつつ、”人”の方を否定するつもりで言った。善悪については、正直自信がない。

 ユリアはそれでも、疑わしそうに見つめていたが、最後には小さくため息をついた。


「レムルスの恩人であるあなたの頼みとあれば、断るわけにはいかないでしょうね。皇帝陛下の沽券にも関わるわ。でも、禁書庫に入るときにはわたくしも同行します。ちゃんと見てますからね!」

「ああ、それでいい。それにその礼は、”皇帝を助けきってから”でいい」

「……どういうこと、ですの? レムルスはもう、治ったのではなくて?」


 シャイードは首を振る。


「俺は説得に失敗しちまったんだ。アイツは夢から出てくることに、最後まで同意してくれなかった。それじゃ駄目なんだ。蜘蛛を……いや」


 シャイードは唇を噛んで俯いた。ユリアは小首を傾げていた。


「………」


 それから折り曲げた指を顎に添え、シャイードとは別の方向を見つめる。

 シャイードは顔を上げた。


「ともかく、明日が最後のチャンスだと思ってくれ。レムルスを治療して、同時にこの町に蔓延する病を一蹴する」

「……、わたくしにも、お手伝いできること、あるかしら?」

「ああ。……アンタが一番、危険かも知れねえけど……、何があっても絶望せずにいてくれ。――そんな心配そうな顔すんな。俺とアルマが絶対何とかしてやるから」


 ユリアはまっすぐにシャイードを見つめる。シャイードは何かを考え始めてしまったようだ。その真剣な表情をしばし眺めた後に、ユリアはほんのりと頬を赤らめて視線を落とした。


 ◇


 歌劇の初日がやってきた。第一回の公演は午後からで、午前中いっぱいは劇場内で最後の調整が行われているという話だった。

 シャイードはユリアと一緒に、皇室御用馬車で開演時刻より早めに現地に入った。そこで初めて知ったが、劇場には皇室関係者のみが馬車で直接乗り入れられる通路があり、その先には専用の待合室があった。護衛官のクィッドは当然同行しているが、それ以外にも数人の近衛兵がついてきてる。お忍びのため人数は少なめだが、ユリア曰く「精鋭部隊ですから、全く問題ありませんわ」とのことだ。


(本人の命令とは言え、俺、よく皇帝と二人きりにして貰えたよな……)


 シャイードが少年に見えることも、或いは良い方に作用したのかも知れない。クィッドは、心底不服のようだったけれども。


 ユリアは移動の馬車の間、ずっと不機嫌だった。弟の衣装が気に入らないらしい。なにしろ、大好きなリボンやフリルもなく、詰め襟が苦しいのだそうだ。シャイードから見れば、充分ひらひらしているように思えたが。

 今日のシャイードは、動きやすくも見目も良い、こぎれいな格好をしていた。色は絶対に黒がいいと頑として譲らなかったので、シックな小姓(ペイジ)といった風情だ。

 シャイードは待合室でユリアと別れ、楽屋へと向かった。途中には警備員もいたが、帽子についた皇室の紋章の威光で、誰にも咎められない。

 楽屋へ向かう道は、左右の壁が深紅のカーテンで飾られている。何人かが、そこでかくれんぼをして遊んでいた。親に観劇に連れてこられた子どもたちだろう。


 楽屋は落ち着きなく、複数の人間が入り乱れてわさわさとしていたが、アルマの姿はすぐに分かった。ひときわ背が高いし、周囲の慌ただしさにも動じた様子がなく、のんびりしていたからだ。


「おい、アルマ!」


 シャイードは人混みをぬって背後から彼に近づき、声を掛けた。

 アルマが振り返る。

 シャイードは石のように固まった。


 彼は額に、銀鎖と細かい透明な宝石の連なる宝冠サークレットをつけている。象牙色の長い髪は油を塗られたのか艶やかで、魔法灯の明かりを受けて虹色の光を宿していた。丁寧に櫛をかけられ、彼が振り返った動きに合わせてサラリと肩から胸へと滑り落ちる。

 唇にはほのかに色が載せられ、却って彼の肌の白さを際立たせていた。底なしの黒瞳を取り巻く長いまつげには、キラキラする粉がまぶされている。

 衣装は白で、詰め襟の長衣だ。いつもが黒だから、まるで印象が違う。さらに長くて柔らかな素材のマントを引きずっている。こちらにも、パールのような光沢があった。舞台照明の下では、さぞかし映えることだろう。


「シャイード、来たのか。汝の武器と、フォスも連れてきてある」

「………」

「……どうしたのだ、呆けた顔をさらしおって」

「あ、ああ。いや……。誰……? って思った」


 アルマは小さく首を傾げる。


「無慈悲な運命の神であるぞ」

「そうだったな」


 シャイードはこくこくと頷く。


「神に見える。ほんとにそんな感じだ。ニンゲンの技術ってすげーな……」

「神を見たことあるのか、汝は」

「いや、ねえけど。イメージで」

「そうか」


 アルマは特に感慨もなさそうに同意した。そして振り返ると横長のトランクの取っ手を持ち、シャイードに差し出す。

 シャイードは受け取ったトランクを開いた。途端、フォスが飛び出してくる。

 人の多い場所が苦手なフォスは、シャイードのマントの下に潜り込みたかったのだが、今日のシャイードはマントを身につけていない。少しの間、困ったようにうろうろした光精霊は、やむなく帽子の下に潜り込んだ。

 他には二振りの剣と、折りたたまれたクロスボウとその矢が入っている。

 シャイードは剣帯に流転の小剣(フラックス)短刀カルドをつけた。クロスボウはそのままに、トランクを閉じる。周囲を見回し、アルマに一歩近づいて声を潜めた。


「アイツは上手くおびき寄せられるかな?」

「今のところ、気配を感じない。だが奴は手負いであるし、皇帝も来ているとあっては出てこざるを得ぬだろう。餌と、拠り所を得るために」

「お前、劇に出てるわけだろう? 舞台の上から、どうやって俺に魔法をかけるつもりなんだ?」

「必要ない」


 アルマは首を振った。そして僅かに視線を持ち上げる。


「前回、汝と共にこの劇場を訪れた際、我は、”世界膜を超えて、直接魔法をかけることは出来ない”と言ったな?」

「ああ、覚えてる。だから俺は、いつもみたいに世界膜が喰い破られて、アラーニェの親蜘蛛はこちら側(・・・・)で眠りの魔法をかけたんだと思った。でも、お前は世界膜は破られていないって」


 アルマは頷く。


「その謎が解けた。この劇場の、現世界と幻夢界を仕切る世界膜は、汝の言う通り、既に喰い破られている。あのとき、二つの世界がきちんと分かれているように感じられたのは、蜘蛛が糸で、世界膜の破れを一時的に閉じたからだ。おそらく、奴は今回もその糸を自ら解き、現世界に現れるであろう。故に、眠りに落ちる必要はない。幻夢界と現世界は融け合う」

「! 皇帝は大丈夫か?」


 シャイードはさらに声を潜めた。アルマは視線を戻し、シャイードをじっと見つめた。


「な、なんだよ……」

「いや。汝が皇帝の心配をする日が来ようとは。面白いこともあるものだ」


 シャイードは眉根を寄せ、唇を引き結んだ。アルマの言う通りだ。別人のことだとは言え、ほんの少し前までは皇帝という存在を、深く憎んでいたのだ。


「さて質問の答えであるが……、それは汝次第だぞ、シャイード。我は当面、役を演じねばならない」

「足手まといだらけで辟易するが、まあ、俺ならやれる」


 シャイードは憎まれ口を叩いて息を吐き出し、剣の柄を確かめた。

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