似たもの
シャイードはアルマを見、アルマもおそらくシャイードを見た。
直後、シャイードはへたりこむ皇帝の膝先に、思い切り足を踏み込んだ。石床に、ビキビキとヒビが入り、レムルスはびくっと肩を跳ねさせた。
「おい! ふざけたこと言ってんじゃねーぞ。この俺が、わざわざアンタに取り憑いた蜘蛛を払ってやったんだ。無駄にする気か!」
「……誰も頼んでない……」
「ユークリスに頼まれたんだっつーの!!」
「僕が頼んだわけじゃないっ!」
レムルスは顔を上げ、右腕を大きく横に薙いだ。前傾がちに彼を覗き込んでいたシャイードは、その勢いに身をひく。レムルスは大粒の涙をこぼしていた。彼は袖口で涙を拭った。
「もう嫌だ……、もうたくさんなんだ。見下されるのも、役立たずと思われるのも、影で笑われるのも、何も出来ない無力な自分も!!」
「………」
シャイードは言葉を失う。その間に、レムルスはよろよろと立ち上がった。シャイードよりも背が低く、体型は華奢に見える。先ほど、正確な射撃を披露した人物と同一とはとても思えなかった。弓を引くには、かなりの膂力が必要だ。
感情を高ぶらせたレムルスは、肩を大きく揺らして荒い息をついていた。シャイードは困ったようにアルマを見るが、アルマは何も言ってくれない。
人の心が分からないアルマに、そもそも期待する方が間違っている。
眉間に指先を当て、それから再びレムルスを見つめた。シャイードは人間の姿に変身する。
「アンタの気持ち、俺にも……少しだけわかる」
「……っ」
レムルスはその言葉に苛立ったように顔を上げた。大人がすぐ口にする気休めだ、と思ったからだ。けれど、いつの間にか目の前の竜人が、自分とたいして歳の変わらぬ少年の姿に戻っていることに驚き、言葉を失ってしまった。レムルスは困惑しながらも僅かに緊張を解く。シャイードは両手を持ち上げ、肩をすくめた。
「まぁ俺も、こんなナリだし……? よくチビだとかガキだとか見くびられるんだ。気分は良くないよな。俺はもう充分大人だし、中身に見合ったもっと格好いい男の姿になりてえけど、なんか、こうしかなれないし」
『汝、皇帝のことをクソガキと言ってなかったか?』
「るせえ! 俺だって言われてんだから、たまには言わせろ」
『言われて嫌な事は、人に言うなと習わなかったか?』
「お前が言うなだよ、マジで! お前がな!?」
闇精霊を両方の人差し指でさし、イライラと反論するシャイードを、レムルスはきょとんと見つめる。横顔にその視線を感じ、シャイードは咳払いをした。頬が赤い。
「まあ、なんだ。俺のことはさておき。さっきはその、……悪かったな! アンタをクソガキって呼んで。だが、アンタがチビなのもガキなのも、時間が解決するだろうがよ。特にニンゲンなんて、あっという間にでかくなるんだし」
闇精霊が突然、ぶわっと大きく膨らんで元の大きさに戻った。
シャイードは謝罪の言葉を口にするとき、視線を逸らしていた。耳まで赤い。口調は怒っているようで、まるで謝っている態度ではなかった。
けれどもレムルスには、それが彼の精一杯なのだと分かった。
彼は小さく頷く。
「……よい、許す」
皇帝はその身分にふさわしい尊大さで口にする。他意はない。彼にとっては普通のことだ。
「しかし、現実に僕は今、皇帝なんだ。偉大すぎる先代がやり残した仕事が山盛りの帝国の。時間は僕の成長なんて待ってくれない。やるべきこと、やらなくてはいけないことが多すぎるのに、やれうちの奴隷が傷つけられただの、やれ隣の畑との境界争いがだの、みんな好き勝手に問題を起こして次々に持ち込んでくる! それも毎日だ! それだけじゃない。武官と文官は仲が悪いし、病気は流行るし、境界地方は不穏だし、流言飛語を振りまく煽動者は現れるし、妙な新興宗教まで。まるで世界が、よってたかって僕をじゃましているみたいだ!!」
「そんなの、大人だって一人じゃ捌けねえよ。アンタが出来なくても当たり前だ」
「でも僕は皇帝だから! 僕がやらなくてはいけないんだ!」
レムルスは握り拳を胸の前に持ち上げる。
「毎日毎日、新しい重しを身体に乗せられるんだ。払いのけても払いのけても、いっこうに重みは減らない。頑張っても潰される。そんな僕を見てみんなが、がっかりした顔をする。先の皇帝だったら、先代だったら。そんな声ばかりが耳に入るんだ。右の意見を聞けば左が不満を持ち、左の意見を聞けば右が不満を持つ。どっちに行っても、どんなに頑張っても、ただただ人をがっかりさせるばかりだ。ずっと迷路の中にいる。行き止まりの壁ばかりの。出口が見えない。出口なんて、……初めからないのかも」
「そうか……」
レムルスは独白を自嘲で結んだ。シャイードは一度、ゆっくりと瞬きする。
それから彼に一歩近づき、身構える相手の頭に片手を載せた。
こわばった相手の表情を見つめながら、その手をわしわしと左右に動かす。
「アンタは、すごく頑張ったんだな」
レムルスは固まった。その瞳が、唇が、ぽかんと開いていく。
「あ? 僕……が……? 頑張った……??」
「ああ」と、シャイードは頷いて手を離す。そしてその手を、じっと見つめた。「アンタ、自分でそう言っただろ。二度も」
レムルスは、手を見る相手の顔を凝視した。
それでいながらその青い瞳は、シャイードを通り越してどこか別の所を見ていたようだ。レムルスはそれに気づき、口元に片手を添えて視線を落とす。
シャイードは手を下ろし、視線を持ち上げた。
「俺の師匠はさ、たまにこうやって、俺を撫でてくれたんだ。……最初は、上手く出来たときに褒めてくれるんだと思ってた。でも、実はそうじゃなくて……。師匠は俺が、『頑張ったとき』『挑戦したとき』褒めてくれたんだ。例えその結果が失敗でも」
レムルスはぼんやりしているが、シャイードは構わずに続ける。
「アンタはちゃんと、アンタが頑張ったって、自分自身を認められてるじゃねえか。だったら他の奴がどう言おうと、どう思おうと関係ねーよ。気にするな。それにな。アンタの頑張りを、見てる奴だってちゃんといるだろ? ユリアとか」
「………」
レムルスはぎゅっと瞼を閉じた。痛みを感じているかのように、寝間着の胸を握り込んでいる。彼が俯いていたため、シャイードはその表情の変化には気づけなかった。
そこで彼は、少し考え、話題を変える。
「……ある奴が言ってたよ。自分は負債王の無能王だって」
「王? どこの国のだ?」
その言葉に、レムルスが顔を上げた。シャイードはその真摯な瞳に居心地の悪さを感じ、視線と身体の向きを横にずらした。腰に手を当てて首を振る。
「いや、そいつは全然、王とかではないんだが……。そいつにはでかい夢があるんだと。でも自分には権力も財力も知恵もないから、その夢を叶えるために、人の手を借りまくっているそうだ。――初めてその話を聞いたとき、俺は正直、そんなのは惨めで嫌だなって思っちまったんだ。自分の無能さを認めるようで恥ずかしいって」
シャイードはひらひらと片手を振った。レムルスは頷く。
「だって俺は、俺一人でなんだって出来るし? 他人なんて足手まといでしかないとずっと思っていたんだ。でもこの都に来て、……ちょっと思うように行かないことがあって……、もしかして俺の方が足手まといじゃないかと思ったら、――いや、思ったっつっても、ほんのちょっと。いいか、ほんのちらっと、だからな! ――凄く苦しかった。俺は出来るのが当たり前だと思っていたから、出来ないことが怖かった。認めたくなかった。負けたみたいに勝手に思い込んで、相手からも足手まといだと思われているんじゃないかと勝手に不安になって……」
闇精霊は知ってか知らずか、ゆっくり漂っているだけだ。
レムルスはシャイードをまっすぐに見つめたまま、話に聞き入っている。
「考えてみたら、誰にだって得意なことと、苦手なことがあるよな? どんなに優秀な……ニンゲンだって、一人で出来ることには限りがある。そんなの、当たり前なんだ。頭は一つしかねえし、腕はたった二本しかない。それで包み込める範囲なんて、たったこんだけ」
シャイードは左右の指先をつきあわせ、両腕で輪を作ってみせた。すぐに離し、肩の高さに両手を持ち上げて、ひらひらさせる。
「でもこの二本の手をアンタら……、いや、俺たちはつなぎ合わせることが出来るだろ。どこまでだって繋げられるんだ。そうしたら、どんなに大きなものだって、大きな問題だって、囲うことが出来る。……俺の周りにいた、ちゃんと大人な奴は、みんなそれを知ってたよ。手を差し伸べてもくれていた。俺はくだらないプライドでそれを突っぱねてきたんだけど、アンタをみて、俺は俺自身の失敗がはっきり分かった」
シャイードはレムルスに改めて向き合った。
「アンタはこの夢の中でも、民を守ろうとした。緑竜に俺を焼かせようとしたときだって、一瞬ためらっただろ? 俺は敵だったのに。俺は……、アンタにはちゃんと王の資質があると思う。子どもなんかじゃない。アンタは荷物を背負えるニンゲンだ」
「………っ! ぅ、……うぅ……っ」
レムルスは両腕に顔を埋め、泣いてしまう。シャイードは相手を追い込んでしまったと思い、慌てた。両手をばたばたして、レムルスを右から左から覗き込む。
「だ、だけど! 大きすぎる荷物を一人で背負う必要はないんだぞ!? そういう意味じゃねぇ! アンタは皇帝なんだから、周りにいる優秀な奴らにめいっぱい荷物を背負わせておけ? な? むしろ荷物なんて、アンタは持たなくていい。アンタの仕事は荷物運びじゃねえ! 地図を見て、そいつらをどこに連れて行くか考える役だ」
突然、レムルスはシャイードを両手で突き飛ばした。シャイードは不意打ちの拒絶に蹈鞴を踏む。
「ぅう……、ああ、あぁああ……っ!!!」
レムルスは両耳を塞ぎ、天を仰いで慟哭した。堰を切ったような涙の流れは、彼の頬を濡らし、寝間着の肩口を濡らし、天から豪雨を降らせる。
シャイードは、がっくりと肩を落とし、その場にしゃがみ込んだ。頭を抱えてしまう。
「あーーーっ!! 駄目だ! すげーー難しい、恥ずかしい!! これ以上は無理、俺には無理だ! どうすりゃいいんだよ、アルマ……。クソっ!! わからーんっ!!」
『シャイード』
闇精霊は、心を貫けなかったと落ち込む主の上へと移動した。そして頭の上に乗る。
「……。何の真似だよ!」
『撫で撫で、だ』




