偽計
落下地点は森だった。人の手が入らぬ、深い森の中心だ。
森の上からおおよその位置を見定めた後、レムルスはシンモラールを降下させた。
巨大なドラゴンが後脚と尻で、密集する木々をバキバキと折り倒しながら地面に到着する。
その背から、レムルスは素早く降りた。
「この近くにいるはずだ」
彼は油断なく、弓に矢をつがえたまま左右を見回す。耳を澄ますが、シンモラールが木々を折った衝撃に驚いて、付近にいた鳥は飛び去り、獣は逃げ去ったらしい。何の音も気配もしない。動きもない。
いや、背後からバキバキと大きな音がして、レムルスは慌てて振り返る。シンモラールが彼を追ってこようとしていた。
「そこでじっとしているんだ、シンモラール。お前が動くと、気配が探れない」
皇帝のドラゴンは、大人しく命令に従った。
視線を前に戻す。と、枝が不自然に折れている木が前方にある。
「あの下だな」
レムルスは弓を前方に向け、矢をいつでも放てるようにして灌木を回り込んだ。
――いた。
黒い人型が、くの字の状態で苔むした地面に倒れている。
ぴくりとも動かない。傍らには、大剣が墓標のように突き立っていた。
「……死んだか?」
心臓を貫いた手応えは感じた。いくらドラゴンとはいえ、心臓を貫かれてしまえばどうしようもない、……はずだ。
レムルスは様子が見えるところまで慎重に近づき、足を止めた。万が一、シャイードが急に動いても手の届かない位置だ。一方、そうなればレムルスの方は、確実に彼の頭を撃ち抜ける、絶対的安全圏だ。
「愚かだな、悪竜シャイード。お前がドラゴンの姿のままであったなら、心臓の場所に確信は持てなかったのに」
どこか残念そうな口調で、レムルスは口にする。自分の夢の中にどうやって踏み込んできたのかは分からないが、姉のお気に入りの彼を、こんな風に殺したくはなかった。あんなに美しい獣を――ドラゴンを。
シャイードはぴくりとも動かない。
「……本当に、死んでしまったようだ」
レムルスは小さくため息をついた。試すように弓矢を下げる。
それでもシャイードは動きそうにない。
レムルスはゆっくりと踵を返した。
一歩、足を踏み出したところで、奇妙な胸騒ぎを感じる。
彼は素早く振り返った。
シャイードは、そのままの姿で横たわっている。
「……? 気のせいか? 何か、……違和感が……」
レムルスは振り返った姿勢のまま、シャイードの遺体を見つめる。
やはり死んでいるのだろう。間違いなく、少しも動きがない。そこで不意に、違和感の正体に気づいた。
「……! 矢はどこに?」
シャイードの胸を貫いたはずの矢が、なくなっている。落下した弾みで折れたのか。木にでも引っかかったのか。
レムルスは周囲を見回し、梢を見上げた。
その時。
グオアァァオゥアォアアアア!!!
断末魔の悲鳴が森にこだました。
「!?」
レムルスは前方に向き直る。木々の向こうで、シンモラールが悶え苦しんでいる。
レムルスは背後を振り返った。シャイードは動いていない。死んだままだ。
「シンモラール!? どうした!? 何があった!!」
レムルスは走り出した。
緑竜は身をよじって苦しみ、周りの木々を手足や尻尾でなぎ倒している。
駆け寄ったレムルスの方にも木っ端が飛んできて、彼は足を止めて顔をかばった。
「シンモラール!?」
何が起きた? 何故、愛竜は苦しんでいる?
まるで分からないが、レムルスは樹木を盾に位置取りし、緑竜を見遣った。はっと息をのむ。
シンモラールの顎の下に、金の矢が深々と突き立っているのだ!
「!?!?」
何故、と彼は自分の矢筒を確認する。本数は合っている。奪われてはいない。とすれば、あれはシャイードを貫いてどこかへ消えた矢だ。まさか、シャイードが?
いや、そもそも、シャイードは死んでいた。
「一体、誰があの矢を……」
シンモラールが動きを止め、丸く蹲る。すると、その姿がみるみる縮んでいく。
館ほどの大きさだったものが、幌馬車ほどの大きさになり、美しかった緑の鱗が、艶のない黒色へと変化した。
四肢がそれぞれ二つずつに分かれ、尾は糸状の何かに変化する。
緑竜は、黒い大蜘蛛の姿に変わっていた。致命傷を負った蜘蛛は、ギチギチと歯をかみ合わせながら、驚愕に目を見開くレムルスへとよろよろ近づいてくる。
「ヒッ!?」
蜘蛛が前肢の一つをレムルスに伸ばしてくる。レムルスは逃げようとして、足を絡ませて尻餅をついた。いつの間にか、子どもの姿に戻ってしまっている。裾の長い寝間着が、足に絡みついてしまったのだ。
へたり込んで視線を上げると、蜘蛛の顎の下に金の矢が刺さっているのが確認できた。
「……お前……、シン…モラ……」
矢が突き刺さったその蜘蛛は、夢の主に癒やしを求めた。レムルスは顔を背けて目を瞑り、拒絶した。
恐ろしい、おぞましい。
どうして自分は、この醜い蜘蛛を友達だなんて思えたのだろう。
「怖い。誰か、……た、助け……」
その時、風を切って何かが飛んできて、蜘蛛の眉間に突き刺さった。大剣だ! 蜘蛛はたまらず、前肢を振り上げてもがき、後退していく。呆然と見守っていたレムルスは、背後から強い力で抱きかかえられた。加速度がかかり、地面が急速に後退する。
「アルマ、来い!」
背後から声がする。首を捻って見上げると、シャイードだ。
「なん……で、お前、死ん……」
「暴れるんじゃねえ。落ちたら死ぬぞ、クソガキ」
もう地面が足元のずっと下だ。片腕で脇に抱えられたレムルスは、大人しく従うしかなかった。
闇精霊が飛んできた。
「アラーニェの親蜘蛛は? やったか?」
『いや。まだ主と繋がっているせいで殺しきれなかった。ここの夢を一部喰らって、逃げた』
シャイードは舌打ちした。そしてレムルスを見下ろす。
「こいつを何とかしないと駄目な訳か」
『うむ。完膚無きまでにぶった切らねば』
レムルスは身を震わせた。