緑竜
「ドラゴンだ……! やっぱり、ドラゴンはまだ……」
『しっかりするのだ、シャイード。皇帝の夢だと言ったであろう』
喜びと安堵の余り、足腰が砕けそうになっていたシャイードに、アルマが無慈悲な現実を、いや夢を、思い出させる。
シャイードははっと息をのんだが、その瞳はドラゴンに釘付けされたままだ。闇精霊姿のアルマは、シャイードの斜め前方で揺れた。
『うむ……。それにしても、なんという想像力だ。このスケールにも関わらず、この夢にはまるでぼやけたところがない。細部に至るまで鮮明だ。汝が現実と思うのも無理はない』
ドラゴンの背で、金の髪を緩やかに束ねた青年が立ち上がる。片手を上げ、興奮する民衆に笑顔で応えた。若く、輝かしく美しい、立派な体格の青年だ。自信とカリスマがその身からハローのように放射されている。
「陛下! 陛下!」
「我らが皇帝陛下!」
「万歳!」
ドラゴンの方にばかり気を取られていたシャイードも、民衆の声で我に返り、その騎手に視線を移した。
「陛下だと……!? あれが!?」
夢の主であるはずの華奢な子どもとはまるで別人だ。――いや、良く見れば面影はある。
『自己像を理想化しておるのだな。ここはあやつの夢だ。どうにでもなろう』
「親愛なる民衆よ! ありがとう!!」
自信に溢れた爽やかな声で、青年皇帝は応える。民衆は、彼らの信奉する神のごときカリスマの言葉を聞くべく、静まりかえった。
「此度の遠征も、つつがなく終えることが出来た。行く先々で、我々は輝かしい勝利を飾り、帝国の版図は父の御代の倍を超えるに至った。ひとえに勇猛なる我が兵達のお陰だ! ありがとう! そして支えてくれた愛しい臣民よ、ありがとう! この勝利は、全てお前たちのものだ!!」
民衆の声が、再び熱狂に沸き立った。それでも皇帝の声はよく通る。彼は騎獣の首筋を撫でた。
「そして余が朋友、帝国の宝にして最後のドラゴン、シンモラール。彼女がいる限り、帝国に敗北はない。我らは富み栄える。そして帝国の庇護を求める者はあまねく、余が守り抜くと誓おう!」
「「「わあああ!!! 皇帝陛下、万歳!! 帝国に栄光あれ!!」」」
「なるほど。これが皇帝の”夢”なのか。ドラゴンを従えて、帝国の版図を広げることが。フォレウスが言っていた通りだな。俺を捕まえて戦争の道具にする気なんだ、アイツらは」
シャイードは半眼になり、喉の奥で唸った。
「ふざけるなよ。ニンゲンどものくだらない戦なんかに、誰が加担などするものか! いくぞ、アルマ!」
『うむ。”ぶった”するがいいぞ』
シャイードは民衆の輪から抜け出し、緑竜と皇帝に向かって走る。警備兵がいち早く気づいて前に立ちはだかった。
「どけ!! 邪魔だ!」
シャイードは魔法剣と短刀を引き抜き、警備兵に斬りつけた。
兵達はそれなりの技量だが、シャイードが胴を薙ぎ切りすると、真っ二つになって床に倒れる。血も内臓も全く出ない。切り口はすっぱりとした灰色の断面になっているだけだ。まるで、絵か何かのように。
「手応えが軽い。藁人形でも切っているみたいだ」
『ほう。……では皇帝は、おそらく人を斬ったことがないのであろう』
アルマの言葉に、シャイードははっとした。
「そうか。アイツ、ただの子どもだったな」
「あれは……」
レムルスは民衆の一角から飛び出した少年を、ドラゴンの上から認めた。止めようと現れる警備兵を、素早く、無駄のない動きで次々と仕留めて近づいてくる。戦士の戦い方ではない。密偵か、暗殺者のような。
「かっこいいな」
レムルスはその美しい動きにほれぼれと目を細めたが、自分の役割を思い出す。ドラゴンの首筋を撫で、その身体の正面に彼を捉えた。
「止まれ、シャイード。臣民に手を出すことは余が許さぬ」
シャイードは名を呼ばれ、皇帝を見上げた。走り込んできた警備兵の一撃を、そちらを見もせずに躱して、返す刀で斬り返す。
「何が臣民だ、このクソガキ! 人形遊びやってる場合かっつーの!!」
この言葉に、民衆が怒りの声を上げた。
皇帝は片手を上げて、彼らを鎮める。警備兵も動きを止めた。
「旅人風情が、聞き捨てならぬ! お前にはこの巨大なドラゴンが見えていないのか!?」
シンモラールと呼ばれたグリーンドラゴンは、頭を下げ、牙を剥きだして威嚇する。その鼻から熱い蒸気が噴き出した。
シャイードはその様子を見ても、一歩も引かない。魔法剣を持った右手を、横に薙いだ。
「うるせえ! 俺はドラゴンなんか怖くねえ。いいから早く目を覚ませ。アンタがいないと困るやつらが、ちゃんと現実世界にいるだろうが!!」
「そんなもの、いるもんか!! シンモラール、アイツを懲らしめろ!!」
皇帝の顔が歪み、声が急に幼くなった。姿がぶれ、一瞬だけ本来の子どもの姿が重なって見えた。
「!?」
『何か、痛いところを突いたようだな』
闇精霊が傍らでささやく。
直後、ドラゴンは翼を広げ、浮き上がった。
広場に暴風が吹き荒れ、民衆の姿が消える。
シャイードは顔の前に両手を交差して、風に抗った。
(民衆を傷つけたくないって気持ちは、本物なんだな)
ドラゴンは急降下し、かぎ爪で襲いかかってきた。シャイードは背後に跳んで躱す。
続いて噛みつき、尻尾でのなぎ払いと連撃が来た。牙からは何とか逃れたが、バランスを崩したところに尻尾が襲いかかり、生えていた尖ったトゲが胸をかすめた。
衣服が三筋に切り裂かれ、裸の胸から血が滲んだ。傷は浅い。皮膚を切っただけだ。
(くそっ、体重がないみたいな動きをしやがる……!)
『気をつけろ、シャイード。夢とは言え、致命傷を喰らえば……』
「わーってるよ!」
(とはいえ、このままでは分が悪いな)
シャイードは手元の剣に素早く視線を走らせた。どちらも、ドラゴンに致命傷を与えられる大きさではない。
そこで、左手の短刀を腰に戻し、魔法剣を両手で構えた。瞬間的に目を閉じて軽く意識をすると、小剣だったそれは巨大な両手剣に姿を変えた。それも、巨人が振るうような、馬鹿みたいな大きさだ。
(重……っ、くないっ!! これは”空気のように軽い!!”)
見た目に引きずられ、地面に取り落としそうになったところで、シャイードは定義した。途端、大剣は軽々と持ち上がる。
(切れ味も、凄い! ”ドラゴンの鱗を、易々と切り裂く!!”)
「何っ!?」
「喰らえぇ!!」
次なる攻撃を仕掛けようとしていた皇帝が、慌てて騎竜の首を叩いて身をひかせようとする。だが間に合わない。シャイードは両手剣を下段に構えて走り込み、緑竜に向けて斬り上げた。
ギャオォォウゥ……!
「よしっ!!」
首元に深く入った。続けて突きを入れようとする。が、緑竜はたまらずに、悲鳴を上げてがむしゃらに羽ばたいた。
「うおっ」
シャイードが風でバランスを崩した隙に、緑竜は空に逃げてしまう。
「シンモラール! 大丈夫か、シンモラール!!」
レムルスまでも悲鳴を上げる。
「痛くないよ、シンモラール! ”僕のシンモラールは、怪我なんかすぐに治る”、治るよ!!」
彼が涙声で鼓舞すると、緑竜の傷はみるみる癒えた。再び、石畳の上に降り立つ。
皇帝の瞳が怒りに燃えていた。
「よくもやったな! もう許さない。シンモラール! アイツ、……っ、燃やしてしまえ!!」
「アルマ、離れてろ!!」
緑竜は命令に従い、大きく息を吸い込んだ。その胸が赤熱する。
シャイードはその場で大剣を正眼に構え、緑竜をまっすぐににらみつけた。
アルマは大きく距離を取り、炎の範囲から逃れる。
直後、巨大な炎が放射状に広がり、広場の石畳もろともシャイードを焼き焦がした!




