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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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皇帝と病

 室内は薄暗く、広い空間が幾つかの衝立やうすぎぬで仕切られている。入口の脇には水盤と鏡が置かれ、ほのかな明かりを照り返していた。

 背後で扉が閉まると、風の動きが香の匂いを運んできた。サンダルウッドのようだ。シャイードの隣では、アルマが周囲を見回している。


 二人はユークリスに続いて絨毯を踏みしめ、衝立を右に回り込んだ。そこに豪奢な天蓋付きのベッドがあった。ベッドは枕側と足元側に五人ずつ、合計十人ほどが転がれるほどの大きさがある。精緻な彫刻が刻まれた天蓋には紗と厚手のカーテンが付属しており、今は紗のみがおろされていた。

 その紗ごしに小柄な影が見える。幾つもある枕やクッションに背を預け、座っているようだ。


 ベッドの傍らには二人の男がいた。片方は半白の頭をした中年で、椅子に腰掛けている。もう片方はその後ろに控えている若者だ。

 腰掛けていた男が立ち上がり、身体の正面を新たな入室者たちに向けた。

 温厚そうな顔だちで、やや小柄だががっちりした体つきをしている。金蛇が描かれた白のストラを身につけ、さらに首からは小さな薬瓶を下げていた。治療師でありながら、ナ・ランダ神に仕える神官でもある証だ。彼が侍医だろう。

 侍医が丁寧にお辞儀をした。ユークリスもそれに応える。二人が挨拶を交わし合う間に、背後に控えていた若者が椅子を運んできた。どうやら弟子か助手らしい。どうぞ、と並べられた簡素な丸椅子に、ユークリスとシャイードは腰を掛けた。アルマだけは立ったまま、部屋の調度品に視線を流している。


「皇帝陛下の具合はどうですか? マルティアス殿」


 ユークリスは尋ねたのち、ベッドの方に顔を向け、小柄な人物を見遣った。名を呼ばれた侍医は、眉根を寄せて息を吐き出す。


「変わりありませんね。眠っているか、起きていてもぼんやりしておられます。体調は今のところ安定しておりますが、体温はやや低めで、心拍数も同様。お食事は、口元にお運びすれば召し上がります。ただし柔らかいものだけ」

「なるほど」


 ユークリスが頷くと、侍医は目の前の紗を少し開いて見せた。

 看病のため、皇帝はベッドの中央ではなく、端よりに座らせられていた。

 ユークリスの隣から覗き込んだシャイードは瞠目する。

 小柄に見えるのはベッドが大きすぎるせいかと思ったが、そうではなく、皇帝は実際に子どもだった。少なくとも成人しているだろうと勝手に想像していたのだ。

 そこにあったのは肩まである淡い金髪に白い肌をした、華奢な姿。身につけているのは白い絹の寝間着で、最高級品ではあるが飾り気のない簡素なものだった。


(あれ……?)


 シャイードは皇帝に既視感を覚える。思い至ったのは、以前メリザンヌに渡された帝国大型銀貨の横顔だが、妙に心に引っかかるものがあった。ぼんやりとした少年の姿を凝視している間にも、横では会話が続いている。


「起きておられるときは、こちらの言葉も大体は理解されている様子です。手を引けば、歩くことも出来ますし。時には、お一人でお歩きになることも」

「それは報告にある初期の症状ですね」

「ええ。それで、その方々が……?」


 侍医が好奇心と警戒の混じった視線を向けてきた。先に話が通っていたらしい。ユークリスは小さく顎を引く。


「彼らがこの病を治療できる、現状唯一の者たちです」

「治療師なのですか?」


 ユークリスが片手を持ち上げ、二人を示した。侍医の視線はシャイードを素通りして、アルマで止まる。シャイードは少し、面白くない気分になった。口を引き結んで視線を逸らすと、青い瞳とぶつかる。少年皇帝はいつの間にか首を捻り、シャイードの方を見つめて(・・・・)いたのだ。


(あれ……? これって……)


「シャイード君とアルマ君です。治療師ではありませんが、いち早く病の原因を特定し、実際に治癒にも成功しています」

「ほほう、それは素晴らしい! そちらの方は、魔術師のようですな」


 いかにもといった風体のアルマを見て、マルティアスは感心した様子で二度頷いた。アルマは調度品に向けていた視線を、侍医の方へと向ける。帽子は相変わらず深く被ったままで、その鍔の下からそっと視線を送った形だ。

 アルマは何かを言おうとして口を開いた。しかし、そのまま黙り込んだ。マルティアスの言葉を肯定も否定もしない。

 シャイードは、アルマが魔術師ではないと否定するかと思っていたので、少し意外な気がした。魔導書が何を考えているのか気になる。


「是非、治療法を伝授していただきたいものです。帝都内には日々、新たな患者が発生しており、自然治癒はせず、その総数は増加の一途をたどっています」


 侍医は胸の薬瓶に手を当て、目礼した。しかし、アルマはこの丁寧な申し出に対し、あっさりと首を振る。


「教えたとて、汝らには無理であろうな。これは我らにしか出来ぬ事だ」


 侍医は絶句し、弟子はその後ろでむっとした表情を隠さなかった。ユークリスが慌ててアルマの袖を引く。


「アルマ君っ!」

「何だ?」


 アルマは常と変わらぬ口調で、ユークリスに先を促す。


「い、いや……。マルティアス殿はこの帝都でも最高の治療師の一人で……」

「ほう、そうなのか。……で?」

「いや、だから……」

「いえいえ、気になさらんで下さい。術の系統が違うと、そういうことでしょうか?」


 マルティアスは笑いを含んだ口調で片手を挙げた。アルマはそちらを振り返って頷く。


「うむ、そうだ。我の魔法は言うなれば情報再現魔法。取り込んだ情報を、我の都合の良いように一部書き換え、魔力でかりそめの命を吹き込み、再び世界に構築する魔法ゆえ」

「聞いたことがない系統だ」


 食いついたのはユークリスだ。藍鉄色の瞳があからさまに輝いている。


「どこの国の、どういった魔術系統なんだ? 情報を取り込むとは、どのように? 魔力で命を……ということは、創造クリエイト系の術式に近いのかな?」


 アルマの袖を持ったまま、ユークリスはじりじりと詰め寄る。そしてアルマの顔を間近から覗き込んでしまい、突然押し黙った。目を瞠っている。


「あー、こほんっ」


 マルティアスが咳払いをして、ユークリスは我に返った。視線を泳がせて身を引き、アルマの袖を解放する。


「すみません、つい場をわきまえず……」

「ははっ。猫のような好奇心は、相変わらずのようですな、ユークリス殿は」


 マルティアスが笑い、弟子の表情もいつの間にか和む。「面目ない」と、ユークリスは小さくなった。


「なあ」


 とシャイードが唐突に口を挟む。一同の視線が、シャイードに集まった。彼はベッドの上を指さしている。


「さっきから皇帝が、何か言いたそうにしているんだが」

「何と……!?」


 今度は真っ先に反応したのはマルティアスだ。すぐに皇帝を振り返り、ベッドの傍に身をかがめる。皇帝は小さく唇を動かした。侍医は二度、三度と頷いた後、身を起こして振り返る。


「陛下が……、意志をお示しに」


 聞いた本人が、一番驚いている。弟子も同様のようで、それを聞いてベッド脇に寄った。


「意志がお戻りに?」

「良い兆候だ」


 侍医は弟子に向かって頷く。


「陛下は何と?」


 ユークリスが尋ね、侍医は振り返った。


「それが……、シャイード殿とアルマ殿と三人だけで話をされたいそうです」

「俺たちと?」


 シャイードだけではなく、ユークリスの顔にも困惑が浮かんだ。


「せめて護衛だけでも入れるわけには……?」


 弟子がおずおずと尋ねるが、皇帝は頷かない。ユークリスはシャイードに視線を送った。

 シャイードは頷く。


「心配するな。絶対に危害を加えたりしない」

(先の皇帝だったら、これをチャンスと縊り殺していただろう。だが、この皇帝は……、アイツじゃない。ただの子どもだ)


 シャイードは自分の心の変化に驚く。以前はあれほど憎かった人間を、今はそれほど憎んでいない。少なくとも、”人間”というカテゴリでは憎んではいないことに気づいた。


「しかし……」

「大丈夫だ、我が弟子よ。ユークリス殿の人を見る目は確かだよ」


 まだ心配そうにする弟子の腕を、マルティアスは軽く叩いた。足元に開いていた鞄の口を閉じ、持ち上げる。


「陛下の命令とあらば、我ら臣下は従うのみです。行きましょう、ユークリス殿。シャイード殿、アルマ殿、我らは隣室に控えておりますので、何かございましたらすぐにお声がけ下さい」

「わかった」


 三人は皇帝に深々と頭を下げ、順に立ち去っていく。間もなく、ドアの開閉する音がした。その後、部屋の外から護衛官の吠えるような声がした。シャイードたちのいる場所には、くぐもった音としてしか届かなかったが、何か言い合っているようだ。


「……ん?」


 シャイードは三人が立ち去った方を見つめていたが、不意に手に冷たさ感じて視線を落とす。いつの間にか、皇帝が彼の片手をつかんでいた。

 あっけにとられている内に、再び扉の開く音がして、荒々しい足音が駆け寄ってきた。


「陛下!!」


 凄みのある低音で呼びかけつつ、衝立を回り込んで現れた姿は、白い制服の護衛官だ。

 彼はベッドの傍に立っていたシャイードを見、その手が皇帝の手と繋がっていることを確認する。突然、威嚇するようににらみつけながら、大股で近づいてきた。その様子は、まるで大型の肉食獣だ。シャイードはびりびりとした闘志を肌に感じ、身を硬くして正対しようとする。だが彼の片手を捕まえた指が、ぎゅっと握って制止した。


「……駄目だよ、クィッド」


 皇帝が口を開いた。

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