王城
その夜。アルマが帰宅するのを待ち、シャイードは身支度をして再び出かけた。破れたマントと一緒に、フォスはお留守番だ。
通りに出て馬車を拾い、王城を目指す。武器のたぐいは全て置いてきた。どうせ入口で取り上げられる。アルマはもとより空手だ。
城壁の周囲には水路が巡らされ、正面の大門には跳ね橋が備えられている。平時は常に下げられているので、そこに問題はない。しかし、大門は当然のごとく閉まっていた。陳情の時間はとうに終わっているのだ。
シャイードとアルマが近づくと、門番たちが長柄斧を揺らして身構えた。ユークリスから内密の用事で招かれていることを告げると、しばし待たされた後で細い石段を登った先の通用門へ導かれる。
通用門の前で予想通り、武器を隠し持っていないか服の上から改められた。
触れられることに大いに抵抗があるシャイードだが、心を無にして耐える。ターバンを取ってまで調べられなかったのは幸いだ。
アルマもシャイードに少し遅れて門を通された。いつも通りの涼しい顔で、脱いでいた鍔広帽子を被りながら合流する。兵士に前後を挟まれ、城門棟から出たのちは、城壁に沿って右手に向かわされた。中庭を左手に眺めつつ木造の扉を潜り、やがて城内の控えの間に通される。
控えの間は椅子が数客と、壁際に大きな鏡があるだけの簡素な部屋だ。シャイードは中央の椅子に腰掛けた。腕と脚を組み、指先を腕の上で跳ねさせる。アルマはほとんど見るもののないこの部屋を、あちこち探索しはじめた。壁の装飾に触れてみたり、鏡を覗き込んでみたり、絨毯をめくったりだ。
「お前、よくあの変な鎖を咎められなかったな」
シャイードは先ほど疑問に思ったことを尋ねてみた。アルマの両腕は、不思議な鎖で戒められている。衣服の下に隠されてはいたが、触れば存在に気づくはずだ。
「説明を求められたぞ。『制約が具現化したものだ』と正直に答えたが理解されなかった。故に熟慮し、『おしゃれだ』と答え直した。正解だったようだ。それ以上は何も問われなかった」
「おしゃれ? 隠れているのに?」
「上級者は見えぬところにこそ力を入れると本で読んだ。鎖は服の下で、武器になり得ぬと判断されたようだ」
「便利な言葉だな、おしゃれ……。少なくとも、趣味と答えなくてよかった」
「趣味と答えると、また別の反応が得られるのか? ………」
「やり直さなくていいぞ?」
アルマが小さく首を傾けて元来た方を見遣るのに気づき、シャイードは言葉で先回りした。
「ちなみに、おしゃれ初級者はどこに力を入れるんだ?」
「髪型さえ何とかなっていれば、服は適当でもおしゃれにみえると書いてあった」
「ほーん?」
シャイードはターバンから飛び出ている髪を、ちょいちょいと整えた。おしゃれ度は余り変わらなかった。
シャイードがイライラし始めるギリギリのところでユークリスが現れる。
息を切らせているところを見るに、兵舎かどこかから走ってきたのだろう。
「まさか……、こんな夜に……来るとは……、思ってなくて……」
「即刻来いと、偉そうに伝言したのはそっちだろ」
「即刻というほど早くはないよ、シャイード君。ともかく、ご足労には感謝する」
ユークリスは首を少し傾けた後、深々と頭を下げた。シャイードは、椅子に掛けたまま一瞥する。
ユークリスは次に、視線をアルマに向けた。アルマは椅子を絨毯の絵柄に合わせてきっちりと並べていた。椅子だけを見ると、てんでばらばらに見えたが。
その表情は、帽子の鍔に隠されてよく見えない。
「彼が貴方の相棒だね」
「相棒じゃねえっつってんだろ」
「相棒ではないぞ。我はシャ」
「余計なことを言わなくていいぞ、アルマ」
シャイードが早口で言い、アルマは口を閉じた。ユークリスはこめかみに人差し指を立てる。
「では上司と部下だろうか? 貴方はアルマ君、だね。それでは二人とも、早速だけど一緒に来て欲しい」
こちらへ、と入って来たのとは別の扉を示し、ユークリスは二人を先導していく。
部屋を出たところで、護衛の兵士が後ろをついてきた。階段を上り、廊下を渡ってそれなりの距離を歩く。
各所で兵士が見張りを務めている。鎧ではなく詰め襟のお仕着せで、装備は刺突剣と槍だ。視線はまっすぐ前を見て微動だにしない。
ぴりぴりした気配を感じたが、今のシャイードは大切な客だ。なにしろ皇帝の病気を治すことの出来る、唯一の存在なのだから。
シャイードは堂々と胸を張った。
しばしの後、ひときわ警備の厳重な扉の前で、ユークリスは足を止めた。
「ここからは皇族の居室がある区画だ」
ユークリスが振り返り、小声で教えてくれた。改めて身体検査が行われる。
許可が下り、重々しく扉が開かれた。後ろをついてきた近衛兵は、この扉までのようだ。三人はユークリスを先頭に、毛足の深い絨毯の上を静かに進んだ。
内部は意外と質素な作りだ。美術品などが陳列されている様子を想像していたが、そういうたぐいのものは一切無い。それどころか、柱すらも見当たらず、壁面はフラットだ。魔法の明かりが等間隔に灯されている。故に、良く見渡せた。
(物陰がない。暗殺を警戒しているのか)
窓は換気と採光の為の細いもの、小さいものだけがある。どれ一つを取っても、人が通れる大きさではない。
廊下の中央付近にある扉の前に、兵士らしき姿があった。
白い制服を着ていて、肌は日に焼けて浅黒い。髪は白に近いプラチナブロンドの短髪だ。ここに来るまでに見かけた近衛兵の制服は赤だったので、何か特別な兵だと言うことは分かる。
さらに接近し、その顔が分かったとき、シャイードは「あぁっ!」と叫んで立ち止まった。
「おま……っ、あんときの人さらいじゃねーか!?!?」
あまりの衝撃で、偉丈夫を指差してしまう。ユークリスが大声に驚き、振り返った。
「人さらい……?」
固まっているシャイードと、白服の衛兵とを見比べる。衛兵は手を腰の後ろで組んだまま、仁王立ちしていた。シャイードが声を上げたときに彼を一瞥したが、その後は興味なさそうに正面に視線を戻してしまう。
シャイードは衝撃から復活すると、男を回り込んで左頬を確認した。やはり、見覚えのある大きな傷がある。
「クィッド殿がどうかしたのか?」
謎の気配をかぎつけて、ユークリスが顎に手を添えて前傾気味に近づいてくる。
「いや、こいつ一昨日」
「ユークリス殿。先ほどから侍医殿が室内でお待ちです」
見た目に反さぬ低い声で、クィッドと呼ばれた護衛官はシャイードの言葉を遮った。自ら扉に手を掛け、薄く開いて入室を促す。
ユークリスに視線を向け、眼力で圧力を掛けた。有無を言わせぬ様子だ。
「護衛が必要ですか?」
「いや、結構。シャイード君……後で聞かせて貰いたい」
後半はシャイードに対する小声だ。
「何かあれば、すぐに飛び込めます」
護衛官はシャイードに牽制の視線を送り、口を噤んだ。
こほんと咳払いをし、ユークリスは来訪を告げた。内側から男のものと思われる返事がする。
三人は招かれるままに、扉を潜った。