見送り
安全を確認し終えたシャイードは、踊り場までやってきていた者たちに”上ってこい”と手で合図した。
フォスが照らす中、スティグマータたちが秩序だってはしごを上ってくる。その間も、シャイードは念のために周囲を警戒していた。
兵士がいなかったとしても、夜行性の獣や魔物がいないとは限らない。
元気な者たちが上り終えてしまうと、今度は怪我人や子どもを引き上げる作業だ。これには幾分時間を要した。進捗を見た結果、小さな子ども以外は自力で階段を上った。
最後のスティグマータが上るのに合わせて、セティアスとグリフが階段とはしごを相次いで上ってくる。
全員が揃うと、セティアスは空を見上げて星を確認し、それから一方を指し示した。
「さあ、もう目と鼻の先だよ。急ごう」
シャイードは片眉を上げ、彼がスティグマータたちを先導する様子を見遣る。グリフは井戸の傍に腰掛けて汗を拭っていたが、重い腰をあげてまたしんがりを努めた。
藪をかき分けて少し進むと、いきなり地面が消えた。ドワーフの背丈ほどの小さな崖があり、下が窪地になっていたのだ。
窪地に降り立ったシャイードは、硬い感触に足元を見る。ブーツの底で苔をこそげ落とすと、下には平らな石が埋まっていた。
(石畳……? いや……)
周囲に落ちている岩塊も、それぞれすっかり苔むしていたのだが、注意深く見比べていくと規則性がある。
(環状列石か)
「シャイードくん」
不意に話しかけられて振り向いた。セティアスとグリフが並んでいる。吟遊詩人は片手を差し出した。
「ここまで連れてきてくれて、どうもありがとう。君はやはり、僕が見込んだ通りの優秀な引き上げ屋だったね」
シャイードは彼の手を見つめたあと、掌をぱしっと叩いてすぐに腕組みしてしまった。鼻を鳴らす。
「俺も、こんなに面倒なことになるとは思ってなかったぜ。もうアンタの依頼はこりごりだ」
「またまた。すぐ照れるんだから」
「照れてねえし!!」
シャイードはそっぽを向いた。そのまま、周囲を見回す。
「てか、こんなところまででいいのか?」
「ああ。ここは古の時代からの門だからね」
「ここが!?」
シャイードは踏んでいた石から背後に飛び退く。その様子を見て、セティアスが笑った。
「うんうん。この石の範囲から出ておいた方がいいって、今言おうと思っていたんだ。もうすぐゲートが開くからね」
ドワーフは難しそうな顔で眉根を寄せている。
「アンタも行くのか? グリフ」
「ふん。わしゃあ、あの町じゃ死んでしまったことになっておるからの。魔法仕掛けの門とやらは気に食わんがやむを得ん」
グリフは話しながら、何度も足を踏み替えていた。
「グリフは転移先にちゃんと出てこられるのか、心配しているんだよ」
「知らんのか!? 転移門は昔、事故が多発したんじゃぞ? 異空間に囚われたまま出てこられなくなった者や、一緒に転移した者と身体が混じり合ってしまった者や、他にも石の中に……」
「そんなのはみんな迷信だよ、グリフ。魔法嫌いの誰かの妄想さ」
セティアスがあっさりと切って捨てる。それでもグリフの不安を取り除くのには足りなかったようで、ドワーフは落ちつかなげに身体を揺らしていた。
「転移門か。よく兵……、村人に壊されずに残っていたな」
「兵士たちは門のことを知らないし、知っていたとしても壊せないよ。ここの門は石の並びで作動するんじゃないから、石を壊したり取り除いたりしても無駄だ。石は単純に、門の場所を知らせるための標に過ぎないんだよ」
セティアスは村人のことを、あっさりと”兵士”と言ってのけた。シャイードは片眉を上げたが、それについては突っ込まなかった。
「そもそもね、ドワーフが作った地下の脱出路がここまで延びているのも、ここに大昔から門があるからなんだ。この門を誰が、何の目的で作ったのかは分かっていない。人間の魔法ではないとも言われている」
「ほらの!? 仕組みのわからんものを、お前ら人間はよくほいほいと信用できるの!?」
「僕の話を聞いていたかい、グリフ? 昔のドワーフたちだって、いざという時にはこの門を利用するつもりだったんだよ?」
セティアスは苦笑し、グリフの肩をぽんぽんと叩く。
「実際に利用したかは、わからんじゃろうが……」
グリフはしおれた表情で脱力した。その、命を諦めた者のような大げさな表情が可笑しくて、シャイードは喉奥で笑う。ドワーフに睨まれたので、視線を逸らして咳払いした。
「じゃあ、もうすぐ開くってのは?」
「この門は、新月と満月の一定時刻に開くんだ。噂話は知らないかな? この森を歩いていたら、いつの間にか知らない場所にいたっていう人たちの」
「作り話じゃなかったのか! それで? どこに繋がっている?」
この質問に、セティアスは目を細める。
「一緒に来るというのなら教えるけれど、そうでないのなら知らない方がいい」
シャイードは眉根を寄せ、唇を引き結んだ。セティアスは柔和な笑みを浮かべているが、言外にこれ以上は踏み込ませないという壁を感じた。まさしく彼が言っていた通り、借りたいときにだけ借りる腕でしかないのだ、自分は。
(考えてみたらコイツ、自分のことはまるで話さなかった)
「セティアス。アンタ一体……」
「わたくしめは春告鳥。一介の、吟遊詩人に過ぎませぬ。……さあさ今ぞ、終章の幕が開く!!」
彼は歌うように言い、片手を上げた。新月の、真に新月たる時間が来たようだ。
周囲がうっすらとした光に包まれる。
(俺は何をしてしまったんだろう)
今更ながらに、不安が胸の内で首をもたげた。
この正体不明の男の目的は何だろう。
スティグマータたちは、どうやって罪を贖うつもりなのか。
皇帝は何故、スティグマータを帝都に集めていたのか。
解放してしまって、良かったのか。
呆然と立ち尽くす視界に、長老の傍にいた子どもたちが、走り寄ってくるのが見えた。
子どもたちは手を繋いでいる。お互い見交わした後、揃ってシャイードを見上げた。
「あのね、お兄ちゃん。……ありがと!」
「初めてのお外、うれしい」
「お兄ちゃん、強くてかっこよかった!」
ぼんやりとした光に包まれ、はにかんで笑う子どもたちは、まるで普通の子どものように見えた。シャイードは表情を和らげ、その場でしゃがむ。
彼らとシャイードの間には光の膜が立ち上がっている。もう頭を撫でたり、肩を叩いたりは出来ない。出来るのこうして、目線の高さを合わせるくらいだ。
「おう。………。元気でな」
「うん!」
何を言えばいいのか分からず、口をついて出たのは月並みな言葉だけだ。
手を振って長老の元へと戻っていく彼らの姿が、次第に透けていく。背後の灌木や岩が見え、同時にどこか、別の風景が重なった。冠雪した山と、岩と針葉樹と、空の景色……
セティアスが胸に手を当てた。その唇が、短い言葉を紡ぐ。
音は聞こえなかった。しかし、シャイードははっと身を硬くする。
その後、吟遊詩人が一礼したのを最後に、人の気配も光も消え、シャイードは暗い森にフォスだけを伴って立っていた。
シャイードは動揺していた。
『さようなら、ドラゴンくん』
セティアスの唇は、そう形作った……気がした。シャイードは頭に手をやる。
(あのとき、伸びた角を見られたのか?)
分からない。例え見られたとしても、角だけでドラゴンと結びつくだろうか?
(セティアスはドラゴンという言葉で、何度も俺をからかってきた。最後の言葉も、ただのからかいかも知れない)
どちらにせよ、彼はもう遠くに離れた。もう会うことはないだろう。たぶん。……おそらく。
シャイードはゆっくりと手を下ろした。
「これで……、良かったんだよな?」
少なくとも、死んだ目をした子どもたちの顔に、笑みを取り戻すことは出来た。この選択は悪ではないと思う。
……思いたい。
フォスは何も答えず、ただ傍らに寄り添って揺れていた。




