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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
158/350

見送り

 安全を確認し終えたシャイードは、踊り場までやってきていた者たちに”上ってこい”と手で合図した。

 フォスが照らす中、スティグマータたちが秩序だってはしごを上ってくる。その間も、シャイードは念のために周囲を警戒していた。

 兵士がいなかったとしても、夜行性の獣や魔物がいないとは限らない。


 元気な者たちが上り終えてしまうと、今度は怪我人や子どもを引き上げる作業だ。これには幾分時間を要した。進捗を見た結果、小さな子ども以外は自力で階段を上った。

 最後のスティグマータが上るのに合わせて、セティアスとグリフが階段とはしごを相次いで上ってくる。

 全員が揃うと、セティアスは空を見上げて星を確認し、それから一方を指し示した。


「さあ、もう目と鼻の先だよ。急ごう」


 シャイードは片眉を上げ、彼がスティグマータたちを先導する様子を見遣る。グリフは井戸の傍に腰掛けて汗を拭っていたが、重い腰をあげてまたしんがりを努めた。

 藪をかき分けて少し進むと、いきなり地面が消えた。ドワーフの背丈ほどの小さな崖があり、下が窪地になっていたのだ。


 窪地に降り立ったシャイードは、硬い感触に足元を見る。ブーツの底で苔をこそげ落とすと、下には平らな石が埋まっていた。


(石畳……? いや……)


 周囲に落ちている岩塊も、それぞれすっかり苔むしていたのだが、注意深く見比べていくと規則性がある。


(環状列石か)

「シャイードくん」


 不意に話しかけられて振り向いた。セティアスとグリフが並んでいる。吟遊詩人は片手を差し出した。


「ここまで連れてきてくれて、どうもありがとう。君はやはり、僕が見込んだ通りの優秀な引き上げ屋だったね」


 シャイードは彼の手を見つめたあと、掌をぱしっと叩いてすぐに腕組みしてしまった。鼻を鳴らす。


「俺も、こんなに面倒なことになるとは思ってなかったぜ。もうアンタの依頼はこりごりだ」

「またまた。すぐ照れるんだから」

「照れてねえし!!」


 シャイードはそっぽを向いた。そのまま、周囲を見回す。


「てか、こんなところまででいいのか?」

「ああ。ここは古の時代からの門だからね」

「ここが!?」


 シャイードは踏んでいた石から背後に飛び退く。その様子を見て、セティアスが笑った。


「うんうん。この石の範囲から出ておいた方がいいって、今言おうと思っていたんだ。もうすぐゲートが開くからね」


 ドワーフは難しそうな顔で眉根を寄せている。


「アンタも行くのか? グリフ」

「ふん。わしゃあ、あの町じゃ死んでしまったことになっておるからの。魔法仕掛けの門とやらは気に食わんがやむを得ん」


 グリフは話しながら、何度も足を踏み替えていた。


「グリフは転移先にちゃんと出てこられるのか、心配しているんだよ」

「知らんのか!? 転移門は昔、事故が多発したんじゃぞ? 異空間に囚われたまま出てこられなくなった者や、一緒に転移した者と身体が混じり合ってしまった者や、他にも石の中に……」

「そんなのはみんな迷信だよ、グリフ。魔法嫌いの誰かの妄想さ」


 セティアスがあっさりと切って捨てる。それでもグリフの不安を取り除くのには足りなかったようで、ドワーフは落ちつかなげに身体を揺らしていた。


「転移門か。よく兵……、村人に壊されずに残っていたな」

「兵士たちは門のことを知らないし、知っていたとしても壊せないよ。ここの門は石の並びで作動するんじゃないから、石を壊したり取り除いたりしても無駄だ。石は単純に、門の場所を知らせるための標に過ぎないんだよ」


 セティアスは村人のことを、あっさりと”兵士”と言ってのけた。シャイードは片眉を上げたが、それについては突っ込まなかった。


「そもそもね、ドワーフが作った地下の脱出路がここまで延びているのも、ここに大昔から門があるからなんだ。この門を誰が、何の目的で作ったのかは分かっていない。人間の魔法ではないとも言われている」

「ほらの!? 仕組みのわからんものを、お前ら人間はよくほいほいと信用できるの!?」

「僕の話を聞いていたかい、グリフ? 昔のドワーフたちだって、いざという時にはこの門を利用するつもりだったんだよ?」


 セティアスは苦笑し、グリフの肩をぽんぽんと叩く。


「実際に利用したかは、わからんじゃろうが……」


 グリフはしおれた表情で脱力した。その、命を諦めた者のような大げさな表情が可笑しくて、シャイードは喉奥で笑う。ドワーフに睨まれたので、視線を逸らして咳払いした。


「じゃあ、もうすぐ開くってのは?」

「この門は、新月と満月の一定時刻に開くんだ。噂話は知らないかな? この森を歩いていたら、いつの間にか知らない場所にいたっていう人たちの」

「作り話じゃなかったのか! それで? どこに繋がっている?」


 この質問に、セティアスは目を細める。


「一緒に来るというのなら教えるけれど、そうでないのなら知らない方がいい」


 シャイードは眉根を寄せ、唇を引き結んだ。セティアスは柔和な笑みを浮かべているが、言外にこれ以上は踏み込ませないという壁を感じた。まさしく彼が言っていた通り、借りたいときにだけ借りる腕でしかないのだ、自分は。


(考えてみたらコイツ、自分のことはまるで話さなかった)

「セティアス。アンタ一体……」

「わたくしめは春告鳥。一介の、吟遊詩人に過ぎませぬ。……さあさ今ぞ、終章フィナーレの幕が開く!!」


 彼は歌うように言い、片手を上げた。新月の、真に新月たる時間が来たようだ。

 周囲がうっすらとした光に包まれる。


(俺は何をしてしまったんだろう)


 今更ながらに、不安が胸の内で首をもたげた。


 この正体不明の男の目的は何だろう。

 スティグマータたちは、どうやって罪を贖うつもりなのか。

 皇帝は何故、スティグマータを帝都に集めていたのか。

 解放してしまって、良かったのか。


 呆然と立ち尽くす視界に、長老の傍にいた子どもたちが、走り寄ってくるのが見えた。

 子どもたちは手を繋いでいる。お互い見交わした後、揃ってシャイードを見上げた。


「あのね、お兄ちゃん。……ありがと!」

「初めてのお外、うれしい」

「お兄ちゃん、強くてかっこよかった!」


 ぼんやりとした光に包まれ、はにかんで笑う子どもたちは、まるで普通の子どものように見えた。シャイードは表情を和らげ、その場でしゃがむ。

 彼らとシャイードの間には光の膜が立ち上がっている。もう頭を撫でたり、肩を叩いたりは出来ない。出来るのこうして、目線の高さを合わせるくらいだ。


「おう。………。元気でな」

「うん!」


 何を言えばいいのか分からず、口をついて出たのは月並みな言葉だけだ。

 手を振って長老の元へと戻っていく彼らの姿が、次第に透けていく。背後の灌木や岩が見え、同時にどこか、別の風景が重なった。冠雪した山と、岩と針葉樹と、空の景色……

 セティアスが胸に手を当てた。その唇が、短い言葉を紡ぐ。

 音は聞こえなかった。しかし、シャイードははっと身を硬くする。

 その後、吟遊詩人が一礼したのを最後に、人の気配も光も消え、シャイードは暗い森にフォスだけを伴って立っていた。


 シャイードは動揺していた。


『さようなら、ドラゴンくん』


 セティアスの唇は、そう形作った……気がした。シャイードは頭に手をやる。


(あのとき、伸びた角を見られたのか?)


 分からない。例え見られたとしても、角だけでドラゴンと結びつくだろうか?


(セティアスはドラゴンという言葉で、何度も俺をからかってきた。最後の言葉も、ただのからかいかも知れない)


 どちらにせよ、彼はもう遠くに離れた。もう会うことはないだろう。たぶん。……おそらく。

 シャイードはゆっくりと手を下ろした。


「これで……、良かったんだよな?」


 少なくとも、死んだ目をした子どもたちの顔に、笑みを取り戻すことは出来た。この選択は悪ではないと思う。

 ……思いたい。

 フォスは何も答えず、ただ傍らに寄り添って揺れていた。

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