地下通路にて 4
一行は絡繰りの通路に向かっていた。今は下水道から一旦離れ、石造りの古い住居跡を縫って進んでいる。
道すがら、ブロブと呼ばれるヘドロ状の魔物や、天井からぶら下がっていたデッドリーアイヴィーという動く吸血蔦の襲撃を受けたが、シャイードとセティアスが問題なく撃退した。
かなり進んだところで、かつては集会所か何かだったと思われる、大きな住居跡で休憩を挟む。スティグマータたちは、それぞれが思い思いの場所に座って食事や飲み物を取った。
彼らは意外にも強靱だ。一日中、荷車を引いてゴミを集めたり、重い死体を運んだりと、日頃から身体を動かしているから体力がある。
子どもたちには体力はなかったが、とても辛抱強かった。大人が時々気遣って背負っていなければ、一言も疲労を訴えぬまま倒れていたことだろう。
シャイードは出入り口を警戒できる場所で干し肉を囓っていた。そこへセティアスが近づいてくる。グリフも一緒だ。
セティアスは片手に地図をぶら下げている。もう片手は脇腹だ。シャイードに殴られた場所を、彼は大げさに痛がっている。二人はシャイードのそばに座った。
「あとどれくらいだ?」
「地図によると、問題の通路はこの近くだね」
「その後は?」
「出口まで一本道だよ。隠し通路だし、普段は誰も使わない道のはずだ。距離はあるけれどね」
「そうか」
どうやらその絡繰りさえクリア出来れば、この脱出劇は成功出来そうな様子である。シャイードは肩の力を抜いた。
「ふん。小僧、気を抜くのはまだ早いぞ」
グリフが腕組みをし、隣から口を挟んだ。シャイードは干し肉を噛みちぎりながら、ただ片眉を持ち上げる。
「わしらの先祖が作った絡繰りだとすれば、一筋縄ではいかんはずだわい」
「そうかもしれねえな。だが、いざとなれば何とでもなるだろ。壊すとか」
シャイードは顎をしゃくった。
ドワーフは大ぶりのハンマーを腰から下げていた。それに道具箱も持って来ている。グリフは鼻を鳴らした。
「ドワーフが本気でそこを通したくないと思えば、簡単に壊せるようには作らん」
「だがあんたらは魔法仕掛けを好まないだろ?」
「ああ。わしらは魔法を使わずに、魔法のような仕掛けを作るんじゃよ」
グリフは胸を張った。シャイードは鼻先で笑う。
「じゃあ、やっぱり何とでもなるな。俺は今までそうしてきたし、いつだって最後には何とでもなってきた」
「自信満々だね、シャイードくんは」
セティアスが笑う。ドワーフはゆるゆると首を振った。
「口ばっかりでないことを祈るばかりじゃな」
グリフは腕組みをとくと、膝を一つ叩く。
「それにしてもじめじめと不愉快な場所じゃわい。立派な都市を下水道なんぞにしてしまいおって……。やれ、酒の一つでも持ってくれば良かった」
その言葉で、シャイードは先ほど舟から回収した瓶の存在を思い出した。小さくなった干し肉を口にくわえ、バッグを漁って酒瓶を取り出す。
無言でそれを、ドワーフに差し出した。彼は意外そうに目を剥いた。
「ほ? なんじゃ小僧。案外気が利くじゃないか」
声音が上機嫌になる。グリフはそれを受け取り、ラベルに目をこらした。途端に眉根が寄る。
「ラベルの文字が消えておる。何も読めん。何という酒じゃ?」
「知らね。さっき通路で拾った奴だから」
干し肉の欠片を飲み込んでしまうと、シャイードはそう答えた。
「シャイードくん……。下水道で拾った得体の知れないものを人に……」
だがドワーフは気にしなかったようだ。
グリフは眉根を寄せたまま、黄ばんだ犬歯をコルクにかける。あっさりと栓が外れた。鼻を近づけたドワーフは、「うおっ」と驚いた声を上げてすぐに顔を瓶から遠ざける。
「ばっかもーーーん!!」
突然の大声に、シャイードはびくっとする。少し離れた場所で小さな輪を作っていたスティグマータも、全員が振り返った。
ドワーフは構わずに続ける。
「アコルナビアの尿にかけて、こりゃあ酒とは大違いじゃわい!!」
「へ?」
勢いよく突き返される瓶を片手で受け取り、シャイードは匂いを嗅いだ。
「うっ……、臭え!! なんだこれ、油?」
「どれどれ?」
セティアスも興味を引かれて顔を近づける。
「あは、これは胸くそ悪い臭いだね! ドラゴンの吐息もかくやという酷い臭いだ!」
「ドラゴンの吐息は別に臭くないだろうが!!」
つい勢いで反論してしまい、シャイードはすぐに口を噤む。視線を泳がせた。
「お、お前、嗅いだことあるのかよ! セティアス!」
「勿論ないけど。おやおや? シャイードくんこそ、嗅いだことがありそうな雰囲気だね? ならどんな臭いなんだい、ドラゴンの吐息は」
セティアスは口元ににやにやした笑みを貼り付けている。シャイードが何と答えようかと苦慮している間に、グリフがもう一度、シャイードの手から酒瓶を奪って匂いを嗅いだ。
「グリフは癖になったのかい? その妙な悪臭が」
「いや……。どうもひっかかってのぅ。ふむ……。やはりそうじゃ、おそらく」
ドワーフはいつの間にか、深刻な表情になっていた。
顔を上げ、シャイードを見る。
「小僧、これをどこで拾ったって?」
「あ? 橋を渡ったとこの近くだけど」
「鍛冶工房街の地下か」
「なんなんだよ、それ」
ドワーフは唇を引き結んだ。答えないつもりか、とシャイードが訝しんだとき、彼は頬を擦りながら重々しく唇を開く。
「これはおそらく」と、彼は腕をまっすぐに伸ばして瓶を掲げた。「……”海の火”じゃ」
「海の火? 随分詩的な言葉だけれど?」
初めて聞いた単語に、セティアスは瞬きながら身を乗り出す。グリフは首を振った。
「そんないいもんじゃあないわい。これは戦争の道具じゃぞ」
彼は瓶を手元に引き寄せると、何も書かれていないラベルを見つめる。
「この特殊な油で灯された火は、水の中でも消えずに燃え続けると言われておる。恐るべき海戦兵器なんじゃ。木造船なんぞ、ひとたまりもないわい。じゃが当時、その製法が秘中の秘とされていたことが幸いしての。今や誰も調合法を知らん。わしも子どもの頃に一度、じいさんの骨董コレクションに混じっていたのを見たきりじゃったが……、それを再び、こんなところで見ようとは」
歳は取りたくないわい、とぶつくさと呟き、グリフはゆるりと首を振った。
シャイードはそれを聞き、鼻筋に皺を作る。
「でも、いっぱいあったようだぜ?」
「なにっ!?」
「ラベルが読めないくらい劣化しているところを見ると、どこかから引き上げてきたもんかも知れねえけど」
ドワーフはその言葉を聞いて唸った。
セティアスが引き継ぐ。
「シャイードくん。それって、さっき君が襲撃を受けたと言っていた?」
「ああ。ヤバイ兵器を扱ってたってんなら、問答無用の攻撃も納得がいくな」
三者は顔を伏せたまま、三様に黙り込んでしまった。嫌な予感に囚われる。帝国には敵が多いことを思い知らされていた。
「まあ、とにかく」と、セティアスが気持ちを切り替えるように言葉を口にする。
「僕たちはまず、目の前の問題に集中しよう」




