地下通路にて 3
反射的に姿勢を低くする。二矢目は頭上をかすめた。
シャイードは舟を蹴った反動で通路に身体を戻し、壁際に背をつける。倒れた松明は濡れた石畳でやや光が弱まったが、まだ燃えている。これでは格好の的だ。
三矢目が足元の石に当たって弾かれるのを確認した直後、松明を拾い、矢の飛んでくる方角に向けて思い切り投げた。
シャイードの周囲は闇に沈み、先方が照らされる。光に浮かび上がったのは、フード付きのローブに身を包んだ二つの影だ。木箱を遮蔽にして、弓を構えている。彼らの片方が、落ちた松明を下水道に蹴り落とし、辺りは闇に閉ざされた。
(少なくとも二人か。どうする? このままにはしておけないが……)
誰何もせずにいきなり仕掛けてきたということは、相手には何か後ろ暗いことがあるのだろう。つまり悪人だ。
シャイードは心の中でそう認定した。
(先に攻撃してきたのはあっちだしな。……よし)
そうと決めると早かった。
松明が消える前に浮かび上がった光景が、まだ脳裏に焼き付いている内に、通路を一気に駆けて二人組に迫る。
木箱を飛び越え、気配の一つに斬りつけた。
くぐもった呻吟が聞こえ、手応えを感じた。相手は分厚い鎧のたぐいは身につけていないようだ。
(魔術師か?)
それならば尚更、詠唱時間を与えてはいけない。もう片方の気配を探ると、走り去る足音が聞こえた。
(仲間を呼ばれるのもまずい!)
シャイードはそちらに向け、手にしていた流転の小剣を投擲した。
「ぎゃっ!」という苦鳴の直後、転倒音がする。
シャイードは手近にいた方のローブをつかんで持ち上げた。
「お前ら何者だ? 何でいきなり射てきた?」
相手は呻くばかりで答えない。左手が生暖かいぬるりとした感触で汚れた。
見えずとも臭いで分かる。血だ。
(思った以上に、深く入っちまった。見えなかったからな)
殺すつもりではなかったのだが、やむを得まい。シャイードは目を閉じて相手を離そうとした。その際、手に何か硬いものが引っかかった。
咄嗟に握り込んで引っ張ると、革紐が切れて手の中に金属片が残る。ペンダントか何かのようだ。
もう一人の方に尋ねようと通路を進み、つま先が倒れ伏した身体に当たった。シャイードは思わず瞼を手で覆った。
「やってしまった……」
こちらもどうやら心臓を貫いてしまったようだ。剣を引き抜き、血糊を相手のローブで拭って鞘に納める。
「お前らが悪いんだからな。問答無用でかかって来やがって」
自分に言い訳するようにぶつくさと口にして、シャイードは踵を返した。積み上がった木箱に右足を掛けたところでふと、スティグマータたちがここを通るかも知れないことと、中には子どももいることを思い出す。
「………」
シャイードは二つの正体不明の死体を、下水道に蹴り込んだ。
最後にもう一度、周囲の気配を探ったが、水の音しか聞こえない。もし二人以外の何者かがいたとしても、とうに逃げてしまっているだろう。シャイードはゆるゆると首を振った。
自分たちがここを通過するまで、戻ってこないことを祈るしかない。
シャイードは手探りで舟から酒瓶を一本引き抜き、バッグにしまった。
壁に手を添えて通路を早足に戻り、角を曲がる。先の方に明かりが見えた。向かって左手に偏っていることから、無事に渡河を終えたことを知る。
シャイードが音もなく戻ってくると、セティアスが驚いた表情で出迎えた。
「シャ、シャイードくん? 君、猫みたいに静かだな!? いつ戻ってた?」
「今だ」
「松明はどうしたんだい?」
「……落とした」
シャイードは拗ねたような表情で答えた。セティアスは何かを感じ取ったようで、シャイードの背に片手を添えると、スティグマータたちから少し離れて壁のそばに寄った。
「何かあったんだね?」
シャイードは頷く。
「なんか、こそこそしているやつらから攻撃された。片付けてきたけれど……」
片手を開き、奪ってきたペンダントを見せる。シャイードも初めて光の下でその形を確認した。円の周りを、炎を思わせる意匠が取り囲んでいる。中央は空洞だ。
「これは?」
「そいつらが身につけていた。何かの聖印っぽいな」
「はて? どこかで見たような気がする」
セティアスは顎に手を添えて記憶を探った。そのタイミングで、スティグマータが彼の背を触った。
「ああ、すまない。みんな渡り終えたんだったね」
セティアスの脇から覗くと、グリフが背後を気にしながら近づいてくるところだ。
「急がんと間に合わんぞ」
「ああ、分かってる」
セティアスは答えた後、シャイードを振り返った。ランタンを彼に押しつけ、自らは地下道の地図を取り出すして目の前に広げた。
「うん……。念のため、その道は避けておきたいね。こっちの道から迂回しよう」
「別の道を選んでも、先で合流出来るのか」
シャイードはセティアスの広げた地図を、聖印を握り込んだ手でなぞった。セティアスは頷く。
「こちらでも問題ないと思う。問題はこの地点なんだ」
セティアスは×印の付いた地点を示した。南の方で、通路が行き止まりになっていた。
「鍵か?」
「いや。……どうしても開かない扉がある。そこさえ突破できれば、もう町の外だ」
「魔法仕掛けだとどうにもならないぞ」
シャイードが渋面を作ると、セティアスは首を振った。
「それはなさそうだ。ドワーフの都市だった頃の絡繰りのようなんだ。解除できるかい?」
「見てみないことには、何ともな」
シャイードは肩をすくめる。それから、スティグマータたちを見遣った。
「だがまあ……。やるしかないってんなら、やるだけだ」
一行は準備を整えて出発する。
少し歩いたところで、セティアスは話の続きを語り始めた。
「……商人は落としたランタンを探り当てた。どうにかして再び火を灯さなくては、帰路も覚束ない。覆いのガラスは一部割れてしまっていたが、幸い、油は半分ほど残っていた。燧袋を取り出したところで、彼は動きを止めた。ぶつくさいう話し声が聞こえた気がしたのだ。さてはドワーフたちが戻ってきたのかと泣きそうなほどに安堵し、自分の存在を知らせるべく口を開いた。だがすんでの所で、彼は思いとどまる。おかしい。何かが変だ」
「………」
セティアスが、前方を確認するようにランタンを掲げた。シャイードは無言でそれを見遣る。先には誰もいない通路が続いているだけだ。
吟遊詩人はランタンを下げて、耳に手をやった。
「商人は近づいてくる足音に耳を澄ませ、相手を確認しようとした。気配が近づいてくるにつれ、彼にはそれが少なくともドワーフではないことが分かった。まずそれは明かりを持っていない。足音がしない。音は話し声というより、低い唸り声――いや、違う。まるで沢山の羽虫の立てる音のようだったのだ。そして気配が近づくにつれて濃くなる異臭……。商人は袖口で鼻を押さえながら、石柱に寄り添って震えていた。彼は心の中で祈った。彼の知る、ありとあらゆる神に。羽虫の音はそれでも、どんどんと近づいてくる。こちらの場所が分かっているかのように、まっすぐに……。そして、闇の中についにそれが、」
セティアスは言葉を切った。
沈黙が続く。
「………。で?」
耐えかね、シャイードが続きを催促する。セティアスは彼の方に顔を向けた。謎めいた笑みが浮かんでいる。
「おい、じらすなよ。そいつは何だったんだ? 商人はどうなった?」
シャイードは吟遊詩人を肘で小突き、いらだつ口調で問う。セティアスは少しよろけ、口端を持ち上げた。片手をひらりと振る。
「商人は、無事に帰還した。――無事と言えるのなら、だけれど。彼は戻ってくると、誰とも目を合わさず、口も聞かずに家に閉じこもってしまった。元は社交的な性格だったんだけどね? 彼を心配する友人や隣人が尋ねてきても、ドアを固く閉ざして誰にも会おうとしなかった。そうして彼は人知れず、地下で起きたことを手記にしたためたんだ。詳細は今まで僕が語った通りさ。しかしだね、彼が地下で出会ったモノについては、僕が語ったところまでしか書かれていない」
「はあっ!? なんだよそれ!! 結局、正体を見たのか、見なかったのか? そいつが何だったのか、気になるじゃねーか!!」
「そうだよね、はは。僕も気になっているんだ。だから、もう少し付け加えてあげよう。数日後、食料すら買いに出た様子がないという商人の噂を聞き、心配した友人がドアを破った。家はもぬけの殻だった。最初は、近所の人々が知らないうちに仕入れに出かけてしまったのだと思ったそうだよ。けれど机の上の手記と、椅子の上の衣服を見て考えを改めた。衣服はね、商人が戻ったときに着ていたひとそろいが、腰掛けた状態で残っていたんだ。まるで中身だけが、煙のように消えてしまったかのように、ね。――そして愛用の手記は、最後の頁にこんな文が殴り書きされていたんだ。『もうおしまいだ。我々はみんな、だまされていた。私は知ってしまった』」
「あ~~~~っ!! くそっ、アンタ! そういう話は先に断ってからしろよ、くそっ!!」
シャイードは髪をかきむしる。
激しい反応に、セティアスは瞬いた後、目を細めて小首を傾げた。
「ふふっ。怖がって貰えた、のかな?」
「怖くねえ!! ただ、そういう中途半端なのは、気になって眠れなくなんだよ!! ああだろうかこうだろうかって、止めようとしても考えが止まらなくなる……!」
シャイードは首を振り、肩を上下させて大きなため息をついた。
「だがまあ、今回のはいかにも作り話なのがせめてもの救いだな……。なんだその手記の最後の頁って。いかにもじゃねーか。これがもし実話だったら、バケモノの正体がマジで気になって仕方ないとこだぞ」
「なんと! シャイードくんに、そんな難儀な弱点があったとはね? なんて面白……いや、かわいそうに」
「てめえ……、ほんと、マジに……」
シャイードは握り拳を作った。隣の吟遊詩人を思いきり殴りたい衝動と戦い、震えた。
「まあそうは言っても、この話はただの実話なんだけどね?」
遠慮なく脇腹を殴った。