遺跡探索 2
シャイードは急に、息苦しさを感じる。
鼓動が早く、呼吸が浅くなっていた。
(圧倒的な土砂の下に、出口も無いまま埋められている。これでは緩やかな埋葬だ)
恐怖がじわじわと、喉元にせり上がってくるのを感じた。
帰還用のポータルストーンが壊れている。
それはすなわち、帰還不能という現実を意味していた。
「ははっ、……嘘だろ、おい……」
隣でフォレウスが引きつった笑いを顔に浮かべた。膝を折った姿勢で、ポータルストーンであった石を拾い、手元で組み合わせている。
そんなことをしても無駄なのは、彼にも分かっていた。ただ、事実を確認せずにはいられなかっただけだ。
死、という概念が、急速に現実味を帯びた。
それは今までにも、常に彼らの影に潜んでいたのかも知れない。
気づかずに引きずっていた存在が、いきなり背後に立ち上がり、真綿で首を絞め始める――。
その想像に、シャイードは身震いした。
扉の近くでは、まだ状況を理解していない兵士2人が、怪訝そうにこちらを見ている。
叫び出したいくらいだったシャイードは、おかげで冷静になれた。
近づいてきた気配を片手で制し、その場に留まらせる。
「落ち着け」
シャイードは自分自身と、フォレウスに語りかけた。背後には聞こえない声の大きさだ。
「まだ調べていない部屋がある。この区画が、独立区画と決まったわけでもない。それに……」
と言葉を探し、思いつく。
「アンタのボス、魔法が使えるんだろ。救出すれば、何とかなるかもしれない」
気休めなのは自分でも分かっていた。自分でさえ、自分の言葉を半分も信じていない。
が、こんな時に冷静さを欠いたらそれこそ死へ直結だ。
(絶望は、本当に絶望したときまで取っておく)
シャイードはその感情を、心の奥底に厳重に封印した。
彼の言葉に、フォレウスが石塊から顔を上げる。
「あ、ああ。そうだな。心配要らない、おじさんなら、大丈夫だぞ。こんなこと、よくあるよくある」
ははは、と気のない笑いを浮かべるフォレウス。
シャイードは眉根を寄せ、鋭く息を吐き出した。
「目の焦点が合ってないが……。まあ、冗談が言えるなら上出来だ」
「いやこれほんと。友軍の来る当てのない籠城戦なんて、そりゃあ悲惨なもんだったんだぜ?」
「武勇伝なら後で聞いてやる。暇なときにな」
「……あいつらには、まだ知らせんでくれ」
疲れたように言うフォレウスに向け、シャイードは無言で頷く。
フォレウスはポータルストーンだった残骸を、慎重に瓦礫の山に押し込んでから立ち上がった。
兵士たちは、「何事ですか、副長?」と怪訝そうに問いかける。
フォレウスはシャイードの肩に片腕を回した。
「いやさーあ? シャイードちゃんが、お宝見つけた! っていうから見てみたら、全然違う、ただの石ころだったんだよ」
「おまっ、バッ」
兵士たちは顔を見合わせ、お宝? と瓦礫の山に興味を持つ。
完全に逆効果だ。
「フォス!」
シャイードはフォスに、隣の部屋へ戻れと手を振る。
フォスは素直に従って、辺りは薄暗くなった。
後はランタンを持ったフォレウスを押して、部屋から退出させるだけだ。
扉が闇とともに閉じられる。
「めぼしいものは、”何もなかった”な。気を取り直して他の扉を見てみよう」
右か、左か。
東か、西か。
「ここは、んー、そう! 右! と見せかけて左に行ってしまうおじさん」
「わかった」
空元気なのか、先ほどにもましてはじけているフォレウスに対し、突っ込む気力もなく淡々と従うシャイード。
西の扉の前へと移動し、念のため扉の前で聞き耳を立ててみるが、静かなものだ。
シャイードは薄く扉を開いた。
中が明るいことにまず驚く。
それもそのはず、開いた先の部屋の中央にテーブルがあり、ランタンが灯されていた。
扉の隙間から見える限りでは、住居のようだ。本棚と、両開きの収納が見えた。
次に視界が認識したのは、床に倒れている数々の。
「人が……!」
息を飲み、フォレウスを振り返る。
フォレウスはシャイードと入れ替わり、確認するや扉を開いて部屋に突入した。
手近に倒れていた兵士の傍に膝をつき、肩を軽く叩く。なにやらべたべたしたゲル状のものが手に付着した。
「おい! しっかりしろ!」
返事がないので、鼻と口に耳を近づける。
その後ろから、シャイードは警戒しつつ室内に侵入した。
クロスボウを構えたまま、倒れている人を避けつつ部屋を見回す。
入り口から見て部屋の左手に、もう一つ扉があった。
フォレウスを振り返ると、彼もこちらを見ていた。表情から、倒れていた兵士が生きていることが知れる。
了解、と彼はフォレウスに頷き返す。
(さて、この扉の向こうだが……。誰かが、或いは何かが潜んでいるとして、今の声で、我々の存在は感知されてしまっているだろうな)
むしろ不意打ちを警戒した方が良い。
シャイードは足音を忍ばせて扉の、蝶番側に立つ。
ここも押して開く扉だ。兵士の2人にハンドサインで援護を頼んだ。
彼らが頷き、いつでも飛び込める配置につく。フォスも肩口に呼び寄せた。
クロスボウのセーフティロックを解除して、目線に構える。
「せーの……、」
小声でタイミングを合わせ、扉を勢いよく開いた。
中は暗い。
フォスと同時に踏み込み、四方にクロスボウを向けながら確認する。
タンスと本棚が幾つか。
動くモノは――、ない。
ゆっくりと奥へと進む。背後では、2人の兵士が剣を構えながら左右を警戒していた。
扉の裏側を確認した後、クロスボウの先を床に向けた。
この部屋には誰もいない――
――否。
「アイシャ!」
部屋の片隅にベッドが置かれており、アイシャが横たわっていた。
シャイードは駆け寄り、彼女の全身をざっと観察する。
外傷はなさそうだ。口と鼻に右手をかざしてみると、規則正しい呼吸を感じた。
(眠っている……)
ほっと胸をなで下ろした。
「おい、アイシャ。起きろ」
彼女の頬を軽く叩く。
――が、目を覚まさない。
「シャイード、変だぞ。こいつら誰も目を覚まさねぇ」
隣の部屋からフォレウスが顔を覗かせる。
「しかもなんか、ねばねばしてる……」
手についたらしき汚れを、目の前にいた兵士の背中で拭いていた。ひどい、という兵士の弱々しい抗議は無視される。
その言葉で再確認してみたが、アイシャには、フォレウスの言うねばねばした汚れは見られない。
「よくわからんが、何か、魔法的な眠りかも知れない」
答えながら、遺跡に出没する魔物の内、催眠の特殊能力を持つものを思い出そうとする。
幾つか思い当たるも、ここまで深い眠りを与えるものがいただろうか。
「ん? そっちにも誰かいたか?」
「ああ、迷子がな」
見つかったか、とフォレウスがやってくる。
「向こうはいいのか」
「いい。全員見てみたが、誰にも目立つ傷はなかった。寝てるだけだ」
シャイードの隣に来ると、彼は室内をぐるりと見回し、最後にベッドに眠るアイシャを見た。
「ふぅん? かわい子ちゃんじゃないの。シャイードちゃぁん?」
顎に手を当ててにやついた後、横に立つシャイードの肩をうりうりと肘でつついた。
「う、ぜえ……」
このうざさ、何とかならんものか、とシャイードは半眼で顔を背ける。
視線の先に、彼女のものとおぼしきバスケットと戦斧が立てかけられていた。
酒場の壁に飾られていたもので間違いない。戦斧の刃はむき出しだが、ぱっと見では汚れは見当たらない。
シャイードは改めて彼女を見る。
「ん?」
彼女が枕にしているものが、一冊の本であることに気づいた。
黒い本だ。
彼女の頭を持ち上げ、それを取り出す。フォレウスも横から覗き込んだ。
「魔導書……か?」
問いかけには答えず、シャイードは本を観察した。
表紙は黒い不思議な手触りの革で装丁されている。そこに銀で模様や文字が描かれていた。
魔法文字に似ている気がするが、意図的に崩されているのかシャイードには読めない。
中を開いてみる。
どのページも、文字と図や魔法陣でぎっしりと埋め尽くされている。
基本的な魔法文字は習得しているシャイードだが、ここまで高度な魔法文字は読むことが出来ない。所々、分かる単語があるくらいだ。
そもそも魔導書は比喩や暗号を多用して書かれているものが多い。魔術の神髄を知らぬものにたやすく内容を理解されないためだ。
だから仮にすべての単語が分かったところで、何も理解は出来なかっただろう。
「魔導書で間違いなさそうだな。古いものに見えるがその割に状態は……、って」
問いに答えたつもりだが、フォレウスは聞いていなかった。
いつの間にか隣からいなくなり、ベッド脇に立てかけられた戦斧をいじっていた。
続けてバスケットの蓋を開く。
「おっ。ビスケットがあったぞ」
ハンカチに包まれたビスケットをめざとく見つけ、勝手に食べ始める。
シャイードは魔導書を閉じてベッドに置き、彼の手からビスケットを取り上げた。
「人のものを勝手に喰うな!」
言って、奪ったビスケットを口に入れる。
濃厚なバターの風味、さくさくした素朴な食感。
「ん……、うまいな」
「おまいう」
フォレウスがジト目で見つめてくるが、どこ吹く風だ。
すべてを食べてしまうのは気が引けたので、残りは元通りにハンカチに包み、バスケットに戻しておく。
他にもバスケットには、彼女が用意したらしい物品が沢山詰まっていた。
食料に水、ランタン。……必需品だ。
蜂蜜の入った瓶。……非常食だろうか。慎重だな。
紙とインクとペン。……遺跡の地図を書こうとしたのだろう。
ハサミと1.5メートルのメジャー。……何を切る想定だったのか、測るつもりだったのか。
洗濯ばさみと石けん。……遺跡の中で洗濯をしようとした?
シャイードは何とも言えないくすぐったい気持ちで肩を揺らす。
他にも、花の飾りがついたピン止めやら、糸と針やら、大きめのスカーフやら、彼女がこの冒険を思い描きながら用意したであろう細かな品々が詰まっていた。
元の通りに戻して蓋を閉め、立ち上がる。
すやすやと、安らかな表情で眠りにつく少女を見下ろした。
(――何とかして、ここから脱出しなくてはならないな)




