スティグマータの決断
『――ああ、どうやら今度こそ繋がったようです。――ほう。詩人殿は無事に、彼らと接触できたとみえる』
子どもの口から零れる言葉には、複数の口調が混じっていた。表情はさきほどと余り変わらず虚ろなままだが、加えて瞳がどこか遠くを見る者のそれになっていた。
セティアスは目を瞑り、子どもと手を繋いだまま、何も語らない。
グリフが驚いていないところをみると、予め聞いていたのだろう。
シャイードにも、子どもの口を借りて遠方の誰かが話していることは理解できた。幼い声で、大人びた言葉が紡がれるのを見るのは不思議な気分だ。
「同胞、とおっしゃいましたか?」
言葉を失っていた長老が、我に返って尋ねた。
『その通り。我々も、貴方たちと同じ聖痕人だ。――春告鳥から詳細を聞いても、おそらく、貴方たちは残ることを選んだのではありませんか?』
長老は図星を突かれ、言葉に詰まる。そののち「お察しの通りです」と答えた。
「私たちは他所のスティグマータと違い、過酷な労働を課されてはいません。命や健康を脅かされることも、……決して多くはなく、日々の責務を果たしていれば、この老いぼれのように穏やかに罪を贖い続けることが出来ます」
『そう言うと思ったので、この機会を設けたのだ。良く聞いて欲しい。我々は、いま世にある、そして過去に世にあった全てのスティグマータの罪を精算すべく集まっている。これにより、次代にスティグマータは生まれず、不幸の連鎖は断ち切られる。――そう、私たちは私たち自身で、自らを救うつもりです。計画にはより多くのスティグマータの力が必要です。故にどうか、貴方たちにも参加して欲しいのです』
子どもは相変わらず、複数の口調を混ぜながら語った。長老を初め、多くのスティグマータたちはその言葉に圧倒され、戸惑っている。
「計画……、とは……」
『ここで語ることは出来ない。だが我々は、長い時間をかけて慎重に準備してきた。どうか我々を信じて欲しい、同胞よ。まだ見ぬ子らを、哀れと思うのなら。貴方たちよりももっと不幸な境遇にある聖痕人を、哀れと思うならば。これは大いなる贖罪の機会だ』
「贖罪の……」
『……鳥の、……に………って、決断して欲しい。…う、あま………んが……』
不意に言葉が小さく切れ切れになり、子どもの頭がぐらついた。セティアスが目を開き、倒れこんでくる子どもの身体を支えた。
「よく頑張ったね。偉い、偉い」
ぐったりと目を閉じている子どもの頭を撫で、様子を見ようと近づいてきた若い女性のスティグマータに引き渡す。
「貴方も、同胞だったのですか……?」
長老が声を震わせながらセティアスに尋ねる。吟遊詩人は首を振った。
「残念ながら違う。僕はただ、……頼まれたんだ。旅の途中で、君たちの同胞に。彼らは新月と満月の夜に、僕を通じて同胞へのメッセージを送る約束をした。僕には受け取る力はないから、近くにそれを受け取れる人がいなければ、意味はなかったんだ」
「それで新月の夜にこだわったのか」
シャイードの言葉に頷き、彼は立ち上がった。
「さて。それじゃあ、今度こそ雑談ではない、君たちの本当の答えを聞かせて貰いたい」
セティアスが両手を大きく広げ、この場にいる全てのスティグマータに語りかけた。
沈黙が流れる。
(彼らに決断が出来るのだろうか……?)
シャイードは腕組みをし、長老を、子どもたちを、そして大人のスティグマータたちを順に見遣った。それぞれの顔に、戸惑いや苦悩が浮かんでいる。
当たり前だが、スティグマータには感情がないわけではないのだ。今の彼らは、町を歩く普通の人々と何ら変わりなく見える。身体に刻まれた不思議な紋様と、腕の鉄輪を除いては。
(だが)とシャイードは眉根を寄せて目を瞑った。(同胞と自称するやつらを、素直に信用してもいいのか? 罪を贖うという意味も、ぼんやりしすぎているし。セティアスは直接会ったことがあるようだが、アイツ自身、何を考えているかよく分からない)
目を開けると、スティグマータたちがひとり、またひとりと手を繋いでいた。大人も子どもも何の区別もなく、傍にいた者と手を繋ぎ、それはやがてテーブルを囲む一つの大きな輪になった。長老も、当然のように輪に加わっていた。
その輪に閉じ込められた形となったシャイードは、何となく嫌な感じがした。
未知の現象に対する警戒。彼はその嫌な感じを、そう位置づけて押さえ込む。
ドワーフの方を見ると、彼も太い眉を寄せて不安そうに視線を動かしていた。セティアスだけは落ち着いて見える。彼にとっては、未知の現象ではないのだろう。
やがて長老が手を離し、輪は個へと戻る。
彼は疲れたように、大きく息を吐き出した。そしてセティアスへと視線を向ける。
「我々は決断しました。……貴方と共に、同胞の下へ行きます。……贖罪のために」
「「「贖罪のために」」」
何人かが唱和する。
シャイードはがっかりして息を吐き出した。この調子では、彼の知りたいことは、すぐに教えて貰えそうにない。
セティアスは胸に手を当てて、お辞儀をした。
「では早速。皆様、ご準備を。この春告鳥の台本にて、逃亡の即興劇を始めましょう」
スティグマータたちは、慌ただしく働き始めた。まるで彼ら一人一人が、己のやることを自覚しているような、無駄のない動きだ。
子どもたちもぞれぞれ、自分の荷物を準備する。と言っても、彼らの持ち物はとても少ない。せいぜい衣服を出来るだけ重ね着するくらいのものだ。
それから地下を行くために、廃材にぼろ布を巻き付けて油をつけた簡易的な松明が複数作られた。ランタンも幾つかはあるが、数が足りない。
食事の準備をする者もいる。保存食や、国から支給された僅かな食材を頭陀袋に入れ、口紐を縛って背負う。
ゴミを集める籠は加工され、幼い子どもを運ぶための背負い籠になった。怪我人は二人だけだが、彼らを運ぶ担架も、はしごやシーツを利用して作られた。若く元気なもののうち、幾人かは武器を手にした。刃先の欠けた包丁や、めん棒、火かき棒などで、正直、どれほど役に立つのか疑問だ。それを手にしているスティグマータ自身、実際に振り回すことになるとは考えもしていないだろう。
主に精神的な支えとしての武器だ。
(逆に自分を切ったりしなきゃいいが)
シャイードは、用意してきたクロスボウをすぐに使えるように準備した。安全装置だけは念のため、まだ外さずにおく。
スティグマータたちが奔走する間に、セティアスから地下道の地図を見せて貰い、ルートの説明を受けた。
「南へ向かうのか」
「ああ。町の外に、地下道の出口があるんだ」
「そこからはどうするんだ? 朝になれば、スティグマータがいなくなったことなど、すぐに露見してしまうだろ。追っ手がかかる」
セティアスは謎めいた笑みを浮かべて、地下道の地図をくるくると丸めた。腰のベルトにしっかりと差す。
「伝説にはね、ちゃんと”答え”が織り込まれているものだよ」
「何の話だ……?」
シャイードが眉根を寄せて問うても、セティアスは笑って肩を叩いただけだった。
準備が整い、いよいよ出発の段になった折。一人のスティグマータが長老に触れた。
「おお、そうでした」
長老は、彼らを注視していたセティアスに向き直る。
「我らは消灯後、夜半の時鐘を聞いた後に異常がないことを門番に明かりで知らせます。全員がここを出てしまったら、その連絡が出来ません。その時間を過ぎてから出発するか、或いは誰かを残していかないと……」
スティグマータたちが顔を見合わせる。
セティアスは即座に首を振った。
「どちらも駄目です。これ以上、無駄に費やせる時間はない。それに、残ったスティグマータがどれほど酷い目に遭うか、想像できぬわけではありませんよね?」
「……ごほん。あー、わしが残ろうか?」
ドワーフのグリフが、ゆっくりと片手を挙げた。
「わし一人なら、いざとなればなんとでもなるわい。あー、そうだの……。竈で焼かれる寸前に、蘇生したとかなんとか……うまく言いくるめれば平気じゃろ」
セティアスはこれにもすぐ首を振る。
「それにしたって、スティグマータがどこに行ったかは聞かれるだろうし、へたをしたら責任を取らされるよ。グリフ、君の勇気はとても尊いが、今は戦力としての君が必要だ。それに、地下は元々ドワーフが作った遺跡だ。君の知識が必要になるかも知れない」
思わぬところで躓き、セティアスは額に拳を当てた。
「うーーん、困った」
「合図は単純なのか? もしそうなら、時限装置を作るとか」
言いながらシャイードは、頭の中に幾つかの案を思い浮かべる。ただ、作るにしても材料や、ある程度の時間が必要になる気はしたが。
「はい。合図自体は、高炉のある建物の前でランタンを掲げ、上から始めて三周、大きく円を描くだけです。ですがその前に、建物内を見回る明かりの動きを、門番が見ている可能性もあり……」
シャイードは眉根を寄せた。
「そりゃ流石に無理だ。となると……」
「何か他に案があるのかい、シャイードくん?」
セティアスが期待を向ける。だがシャイードは渋面のままだ。十数秒の時が流れる。
「仕方ねえ。これだけは避けたかったが」
シャイードは胸に手を置いた。




