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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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愛情のかたち

「お前の方はどうだったんだ? 劇は何とかなりそうか」


 再びベッドに腰を下ろし、シャイードはアルマに尋ねた。


「うむ。台本は通読した」

「………。リモードはなにか、言っていたか? その、お前の演技について」

「最初はな。『もう少し、抑揚をつけられないか』『”間”という概念は分かるか』と言われた。しかし途中から思い直したようだ。『神だから、人の心など分からない。確かにそうだ。人のように演じるべきではないな』と。結果、そのままでいいそうだ。普段の話し方より、一言一言をはっきりと、大きな声で話す必要はあるのだが」


 シャイードは目を丸くする。


「それだけ? 歌の方は……?」

「それは、うむ。全然駄目だと言われた。何が駄目なのか、我には分からぬが。そも、リモードが歌った通りに、なぞったはずだぞ。夜が明けたら劇場に赴き、歌の師について特訓をするらしい。師がつくのは初めての経験なのだ」


 アルマの無表情は相変わらずだが、最後の言葉に、何となく嬉しそうな気配を感じ取れた。

 思いもかけない反応で、シャイードは内心驚きながら魔導書を二度見する。


「なんかそれは。よ、よかったな……?」

「うむ。師というものは通常、情報をたっぷり与えてくれる存在だからな」

「そりゃそうだ。俺は明日……っと、もう今日か。夜に約束がある。話の流れ次第で、ちょっと長く掛かるも知れない」

「寄生主を”ぶった”するのは、いつするのだ?」

「……戻ったら。相手の居場所は分かってるし、な」

「わかった」


 魔導書が答えると、シャイードは頷いて布団の中に潜り込んだ。もういい時間だ。今日は本当にいろいろなことがあって、身体を横たえると一挙に疲れが押し寄せた。

 瞼が閉じられるのと、まどろみに沈むのと、どちらが早かっただろう。それを自覚することはかなわなかった。


 ◇


 翌日。シャイードが目を覚ましたとき、既に床を切り取る陽光の面積は小さかった。


「……よく寝た……」


 瞼を擦りながら身を起こす。まだ鈍さの残る頭を掻き、あくびしながら隣のベッドを見遣る。

 ベッドは空だった。

 その瞬間、昨夜の記憶がどっと脳裏に流れ込んできて、一気に覚醒する。無意識に首筋に手を当てた。吸血痕は、触れても分からぬ程度に治っている。


「そうだ、俺……。メリザンヌ? おい、アルマ!」


 枕の下に手を突っ込んでみたが、硬い感触は見当たらない。ひっくり返しても、魔導書はなかった。脳が冷える。窓際で陽光を浴びていたフォスが、ふわふわと漂ってきた。


「フォス、アルマは……、っと。そうだ。あいつ、劇場で特訓を受けるっていってたな」


 額を掌で二度叩いた。


「………。メリザンヌは治ったのか」


 独り言だったが、フォスは質問だと思ったらしい。光精霊は隣のベッドに飛び込み、そこから浮かび上がって扉へと向かった。

 シャイードは光精霊の一生懸命な姿に口元をほころばせる。両足をベッドから下ろし、着崩れていたバスローブを脱いだ。首のところに付着した血は、乾燥して黒ずんでいた。

 一度折りたたんだ後、思い出してそのポケットからサシェを回収して紐を口にくわえる。

 着替えてサシェを服にしまい、バスローブを手に階下に降りた。フォスも当然のようについてくる。


 キッチンの前まで来たところで、物音が聞こえた。咄嗟に気配を消し、廊下の壁にぴったりと背をつけて息を潜めてしまう。

 昨夜、あんな事があったばかりだから、メリザンヌとは非常に顔を合わせづらい。


(どんな顔をして話せばいいんだよ……)


 シャイードが入口で百面相をしていたところ、フォスはふわふわと中に入っていってしまった。


(フォスーーーッ!!)


 心の中で呼び止めたが遅い。


「あら。ぴかぴかちゃん」


 メリザンヌがフォスに気づいて声をかけた。いつも通りの調子だ。

 シャイードは小さく息を吐く。足音が近づいてきて、入口からメリザンヌが顔を覗かせた。


「……よ、よお……」

「ふふ。おそよう(・・・・)、シャイード。ごめんなさい。今、お昼ご飯を用意しているところなのだけれど、もう少し掛かりそうなの」

「い、いや。パンと、温めたミルクだけ貰えるか」


 高速で首を振り、安全そうな食材を所望する。メリザンヌは頷き、ダイニングを示した。


「サラダもつけるわ。すぐに持っていくから、待っていてね」



 フォスと共にテーブルで待っていると、言葉通り、トレイに皿を載せた彼女がやってきた。

 シャイードの前にそれを並べ、自身は角を挟んで90度の位置にある席に着く。


「昼飯の準備はいいのかよ」

「ええ。あとは煮込むだけだもの」


 何ともいたたまれない気持ちになりながら、シャイードは食事に手をつけていく。その間、メリザンヌは無言だ。


(やっぱり、飯は一人で食った方が気楽だ……。ロロみたいにのべつ幕なしに喋られるのもうるせーけど、黙って見つめられるのはもっと、なんか)


 シャイードはパンを千切って口に運びながら、彼女を盗み見た。口元は柔らかく笑みの形を作っているが、何を考えているか、その瞳からはうかがえなかった。

 ミルクを一口飲み、カップを置いた。それを区切りとして、視線を持ち上げる。


「あのよ」「夕べは」


 二人は同時に口を開く。そして同時に口を噤んだ。


「……。アンタから話せよ」

「……そうね」


 メリザンヌは頷き、喉に手を当てて咳払いをした。彼女も緊張している様子だ。


「夕べはありがとう、シャイード。手当をしてくれたのね。あんなに酷いことをしたのに、私……」


 彼女は視線を手元に落とした。シャイードはひらりと片手を振る。


「別に、たいしたことじゃねえ。手当をしたのはアルマだしな」

「美形さんが?」

「ああ」


 意外そうに瞬いた彼女に、シャイードは頷いてみせた。


「そう……、なのね」

「あいつ、劇場に行ったんだろ?」

「ええ。朝、リモードと一緒にね。劇の出演を、受けてくれたって聞いたわ」

「ああ、ちょっと事情が変わってな。リモードも一緒に出かけたのか。……ん? じゃああの昼飯は……」

「もちろん、貴方のために作っていたのよ。私、貴方に謝りたくて……」


 メリザンヌは両手の指先を組み合わせた。

 逆効果だ、とシャイードは喉まで出そうになったが、なんとか堪えてミルクと共に飲み込んだ。


「謝罪なんか腹の足しにもならねぇ。俺の正体に口を噤み、もう構わないでくれれば、それでいい」

「やっぱり! それだけじゃ、足りないわよね? お食事」


 しまった、と内心シャイードは焦る。言葉の選択を間違えたようだ。自分の語彙力は、確かに死んでいるのかも知れない。

 それもこれも全部アルマのせいだ、と、彼は無意識に責任のなすりつけをした。


「寝起きだから、そんなに入らないだけだ。うん。それだけだ、ほんと」

「あらそうなの? ところで、貴方の方は? 何か言いかけてたでしょ」

「いや、たいしたことじゃないんだが……」


 と、頬を掻いて前置く。正直、沈黙に耐えられなくなって、口を開いただけなのだ。葉物がぱりっとして新鮮そうなサラダをつつく。


「アンタの料理って、その……。リモードは残さず食べるのか?」


 メリザンヌは唐突な問いに、怪訝そうに眉根を寄せた。


「どういう意味?」

「い、いや、その……。ずいぶん独創的な味付けだと思ってな」


 シャイードは視線を泳がせつつ、しどろもどろに答える。メリザンヌはその様子を、眉根を寄せたまま見つめていたが、そうねぇ、と天井を見る。


「最初はびっくりしていた気がするわね。その後は、いつも涙を流しながら美味しいって喜んでくれるようになったわよ。病気で倒れるまでは、毎回、ぺろりと綺麗に食べてくれてたわ。尤も、私も彼も何かと忙しかったりするから、頻繁には作ってあげられなくて」

(す、すげえ……!)


 シャイードはリモードを、心の中で少し尊敬した。

 愛の言葉を容易く口に上らせるやつらは、軽佻浮薄で大抵ろくでもないと思っていたのだが、リモードは全部本気だったらしい。でなければあの暗黒料理を、ぺろりと平らげることなどとても無理だろう。


「……愛されてんな」

「うふ。そうでしょ?」


 メリザンヌは自らの頬を両手で包んだ。頬が染まっている。それから彼女は手を下ろし、窓の外を眺めた。


「ほんというとね、人間の料理の味はよく分からないの。あんなに料理上手なのにって、意外でしょ?」

(やっぱり……)


 全く意外ではなかった。心の中で思ったが、シャイードは別のことを口にする。


「でもアンタ、極光エビは美味しいって食ってただろうが」

「あれは、食感が好きなの。こう……わかるでしょ?」


 シャイードは「ん?」という顔をしたが、極光エビを食べたときの食感を思い出し、遅れて彼女の言わんとしていることを理解した。

 思わず、守るように首筋に手を当てる。


「お前なぁ……」

「うふふっ」

「塩を酒と一緒に美味そうに食ってたのも、血液が塩味だからか」

「あんまりいじめないで欲しいわ。貴方は、人間の料理の味がよく分かるのね、シャイード」

「まあ、……俺は生まれてからずっと、ニンゲンに混ざるべく育てられていたからな。たまに妖精料理も食ったけど、ほとんどは師匠が作ってくれるニンゲン料理を食べてきた」

「じゃあ、昔のドラゴンみたいに、人を頭から丸かじりしたりはしないのね?」

「しねーよ! てか、軽々しくソレを口にするなよな。誰が聞いているかも知れねーのに!」

「あらあら、そうね。ごめんなさい」

「………」


 口元に手を当てて微笑む彼女を上目遣いに睨み、それからシャイードは小さくため息をついた。


「実は、……アンタがうまく子どもを作れなかった原因に、少し思い至ることがあるんだ」

「………。魔力濃度、……かしら」

「なんだ。分かっていたのか」


 メリザンヌは眉尻を下げて、悲しそうに微笑んだ。


「一度目は考えもしなかった。でも魔物も幻獣も、どんどん数を減らしているでしょ。それってやっぱり、大きな理由は魔力濃度だと思うから。それでね、二度目の時は、帝都を離れて自然の豊かなところで挑戦してみたの。……でも駄目だった」


 彼女は視線を落とし、悲しげに首を横に振った。スカートの上に置かれた両手が、ぎゅっと握りしめられている。

 シャイードは口を開きかけ、噤んだ。彼女と共に、しばらく下を向いていたが、意を決したように顔を上げる。


「アンタさえ良ければ。俺は魔力濃度のもっとずっと高い世界ところへ、アンタを連れて行ける。勿論、リモードも」


 メリザンヌは両手で顔を覆ってしまった。予想外の反応に、シャイードは腰を浮かせておろおろする。


「お、おい……」

「貴方は残酷だわ」


 メリザンヌはくぐもった涙声で言った。


「諦めようとしていたのに。どうしてそんな風に、私にまた、希望を持たせるの……? 苦しめるの?」


 シャイードは目を細め、俯いた。唇を噛みしめ、それから口を開く。


「俺も、アンタと同じだからだ。例え何かを犠牲にしたとしても……、俺は、……ドラゴンが欲しい。仲間が、欲しいんだ」

「………」

「俺が与えられるのは、選択肢だけだ。選ぶのはアンタ。失敗しても責任は持たん。――だが、もしも。アンタが僅かな希望に賭けてみたいと思ったときは、……俺は、王として、俺の眷属達にリモードを何とか生かせるよう、全力で協力させてやる」

「王……? 眷属って?」


 メリザンヌが顔を上げる。長いまつげは濡れていて、スミレ色の瞳には涙の膜が張っていた。シャイードは目元を和らげる。


「決断をしたら、……頼ってくれていい」


 メリザンヌは唇をとがらせた。


「また秘密なのね」

「……まあな。出自に比べたら、全然たいしたことねーけど」

「……。いいでしょう。貴方の正体は、これからも胸にしまっておく。約束してあげるわ。――ああ、そうだわ。秘密と言えば、大事なことを伝えなくちゃいけなかったんだわ!」


 彼女は不意に、手を顔の前で小さく打ち合わせた。声の調子も僅かに上向く。シャイードはわざとらしく感じたが、気づかないふりをした。

 空元気でも、ないよりマシだ。


「昨日、貴方たちが出かけている間にユークリスがここに来たの」

「ユークが?」

「ええ。これはまだここだけの話にしておいて欲しいのだけれど……」


 メリザンヌは口の横に片手を立て、声を潜めて身を乗り出す。


「皇帝陛下が無気力病でお倒れになったらしいわ。それで治療の出来る貴方たちに即刻、王宮に来て欲しいと」

(やはりな)


 シャイードは頷いて目を閉じた。親蜘蛛が逃げ去った先にちらりと見えた光景を思い出す。


(あの夢の主は――皇帝だ)

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