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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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治療

「それで、我のベッドに寝かせたのか」

「どうせお前、ベッドなんて必要ないだろうが!」


 横たわるメリザンヌの傍らに並び、シャイードは戻ってきたアルマに経緯を簡潔に説明した。

 もう真夜中過ぎだ。


 あのあと、シャイードはメリザンヌの口の周りや胸、両手に付着した血を綺麗にぬぐい、苦労して彼女を貯蔵庫から、二階にあるこの部屋へと運び出した。

 本来の力を少し解放したので、重さは問題なかった。ただ、ずるずると長い蛇身を引きずりながら階段を上るのはやっかいだった。その後は貯蔵庫に戻り、血だらけになった床や作業台を拭いた。終始、「何で俺が」とぶつぶつ文句を言いながら。


 台の木目に染みこんだ血は完全には落ちなかったが、上からワインを振りかけておいた。貯蔵庫は薄暗いし、これで酒のシミだとごまかせるだろう。そもそも、リモードがここに降りてくることがあるかは知らないが。使った雑巾は、念のために炉で焼いた。

 借りているバスローブも、明日の朝には燃やしてしまった方が良いだろう。襟元に血が付いていたからだ。ドラゴンの血が付いているものを残しておくのは、二重の意味で危険だ。



「シャイードよ。我は別に、汝を責めているわけではない」


 すまし顔でアルマは言った。メリザンヌの瞼を指で開き、瞳を覗き込む。


「……ふむ。死んではいないな」

「もっと有用な診断は出来ないのか? 医学書も沢山読んだだろ」

「うむ。だがそもそも入手しづらい竜の血毒については、眉唾物の対処法ばかりだったがな。逆さに吊して、へそに干しプラムを詰めるとか」

「マジかよ。あっ、プラムなら持ってるぞ」


 昼間、市場でたまたま買って、一つはマントの内ポケットにしまったままだ。


「寄越せ」

「やってみるのか?」


 アルマが片手を伸ばす。シャイードはマントからプラムを回収して彼に放った。アルマは受け取った果実を、すぐさま口に含む。

 どうするのかと見守るシャイードの前で、プラムを種ごと食べてしまった。


「いや喰うのかよ!!」

「眉唾物だと言ったであろう。……汝があらかた毒を吐かせたなら、あとは内臓の炎症を回復させれば良かろう」

「そうか」


 シャイードはほっと胸をなで下ろした。


「お前が回復魔法を使えればいいのにな」

「その辺は、もともと神性魔法の得意とする分野だからな。呪性魔法で回復の術は発達しなかったのだ」

「分かってるけどさ……。いざって時、使えたら便利だろ。俺が大けがしたときとか」

「ふむ……。まぁ、そこまで言うのなら、なきにしもあらずだが」

「えっ? 使えるのか、回復魔法」

「うむ。まず、生け贄を……」

「……やっぱいいや」


 不穏な気配しかしなかった。

 その後、アルマはフォスを連れたシャイードと共に貯蔵庫に降りていき、そこで幾つかの瓶を選び出した。薬草や乾燥させた木の実などで、それらを乳鉢と乳棒を使って調合し、キッチンで湯に溶かす。

 一般的な回復薬らしい。


「図書館にあった薬のレシピが全て頭に入っているなんて、すげえな……」

「しかし我は治療者ではないからな。臨床経験は皆無だ。過度に期待されても困る。このレシピは幾つもの本に言及があったから、”効く可能性が高い”と判断しただけだ。本の情報が正しければ、効果を発揮するであろう。失敗しても我のせいではないぞ」

「それでいいよ」


 部屋に戻って、青ざめた顔で眠るメリザンヌの口に、小匙で少しずつ薬を含ませる。シャイードは初め、その様子を横から覗き込んでいたが、ちまちまとした作業に飽きて自分のベッドに腰掛けた。


「汝も首に怪我をしているであろう」


 作業を続けながら、振り返らずにアルマが問う。


「ん……? ああ、これか」


 シャイードは噛みつかれた跡を、片手でさすった。既に傷口は治りかけている。


「魔力濃度が低いから治りがイマイチだが、小さな傷だからな。今はもう、少しかゆいだけだ。そういえば、ザルツルードの公衆浴場で、セティアスの首にも赤い跡があったんだが、受けたばかりの吸血痕にしちゃ治癒が早いようだったな」

「ラミアの唾液には、傷を塞ぐ効果がある。食事のための吸血を終えた後、その部分を舐めて傷を塞ぐのだ」

「なるほど……、それでか」

「汝は舐めて貰わなかったのか?」

「そりゃまあ、……吸血途中で蹴り飛ばしたからな」

「気持ちよかったか?」

「えっ……?」


 アルマが肩越しにシャイードを見た。


「ラミアやヴァンパイア等、高等な魔物の吸血行為は、犠牲者にえもいわれぬ快感をもたらすという。しばしば依存症になるほどだとか。実際どうであった? どんな感じがした?」


 シャイードは首に手を置いたまま、先ほどの感覚を否応なく思い出していた。心拍数が上がり、頬に熱を感じる。


「どう……って、べ、べつに……」


 視線が泳いだ。

 アルマが振り返り、シャイードに近づく。


「牙で噛まれると、通常はとても痛い。痛みというのは筋肉を収縮させ、血流を悪化させる。これは身体が、怪我による血液の喪失を最低限にとどめようとする生理的な反応だが、魔物にとっては、獲物から吸血しづらくなって不都合だ。一方、快感は血流を増加させる。ゆえに吸血する魔物は、噛むと同時に相手に快感を与えるのだ」

「へえ……。って! 俺は別に、快感なんて覚えてねえ!!」

「今も汝の血流は良くなっているようだぞ、シャイード。どんな感じだった? 詳しく教えてくれ。本に書かれていたことだけでは分からなかった。情報が消化不良だ。具体的に知りたい」

「お前が噛まれろ、この変態!!」


 シャイードは枕を、アルマの顔に向けて投げた。何の抵抗もせず、顔で受け止めたアルマは、足元に落ちた枕を拾った。


「そうしたいところだが、我には魅了に類する魔法は効かぬのでな。汝はケチだ。知識は分けても、減るものではないぞ」

「減るんだよ! この場合、俺の自尊心が!!」


 シャイードは胸を叩いた。アルマは首を傾げた。


「汝はどうやって、ラミアの魅了から抜け出したのだ? 以前も、深く術に掛かっていたのが、いつの間にか解いておったな」

「ああいや。それは、多分これ」


 バスローブのポケットから、アイシャのサシェを取り出し、アルマに向ける。


「匂い袋か」

「ああ。この匂いを嗅ぐと、頭がすっきりするんだ。アイシャがお守りだと言ってたし」

「どれ、見せてみろ」


 差し出された片手に、シャイードはサシェを載せた。アルマはそれを、フォスの明かりに照らす。


「ふむ? 何の魔力イーサも感じぬが」

「そうだろうな。アイシャが魔法を使えるとは、俺も思ってない」

共振力ウィルが込められているのやも知れぬ。そちらは我には感知できぬゆえ」

「そうか。ニンゲンなら誰でも使えるのだったか」


 アルマはサシェを、シャイードに返した。それを手の中で転がす。


「それには汝を守りたいという強い祈りでも、込められておるのやもな」

「………」


 別れ際。ずっと味方だと言ってくれた素朴な少女の言葉を思い出す。胸の深いところに刺さった棘が、ズキンと痛んだ。


「開けて中を見てみぬか?」

「……駄目」


 少女は開けるなと言った。ならば、中を見るのは裏切りだろう。


 やりとりの前に、薬は全て飲ませ終わっていたようだ。アルマはシャイードのベッドを回り込み、空の椀を机の上に置いた。シャイードは立ち上がって、メリザンヌの顔を覗き込む。耳を鼻先に近づけてみると、呼吸が安定しているのが分かった。

 アルマを振り返る。


「薬、早速効いてきたみたいだぞ」

「分からぬな」


 机の傍に立ったまま、アルマが腕を組んでいる。


「なにがだ?」

「汝、そやつに襲われたのであろう? なぜ襲った者の状態などを気にかけるのだ。その魔物は、汝に殺されても文句を言えない立場であろうに。汝はただ放置するだけで良かった。それだけで、汝の秘密を知るものを一人、消し去れもしたのだぞ」

「なぜって、そりゃ……」


 口を開いてから、シャイードは言葉に詰まった。


(何故だろう。メリザンヌは好意的に接してくれていたが、それは思った通り、俺がドラゴンだからだ。目的こそ想像とは違ったが、その力で俺の心を操り、意のままにしようともした……。アルマの言う通り、こいつは敵だ)


 シャイードは唇に親指を当て、牙で爪を噛む。


(何だこれは。俺の心は今、何を感じているんだ? 怒り? 諦観? 苛立ち? やるせなさ?)


 どれも少しずつ、胸の中にあるように思う。だが、もっと大きな感情があった。

 シャイードは一度目を瞑り、それから顔を上げる。


「たぶん……、同情、……したんだと思う」

「同情?」


 口に出してみると、少し違うような気もするが、他に上手い言葉が見つからずに頷く。

 シャイードはメリザンヌに視線を落とした。今の彼女はとても弱々しく見える。ベッドの先から飛び出す長い蛇身がなければ、少し大柄なただの女だ。仮の姿と同様に、若く、美しくはあったものの。


「こいつはさ、俺と同じなんだよ。生まれた種を次代に繋ぎたいと思いながら、必死で生きているだけなんだ。別の種の中に混じって、秘密を抱えてたった一人で。そんなん聞いちまったら、……殺せないだろうが……」

「………」


 アルマは返事をしなかった。シャイードはそちらを振り返る。


「それに彼女が死んだら、リモードが悲しむだろ。やる気をなくして、劇が上演できなくなるかも知れない」


 これはたったいま思いついた、後付けの理由だ。しかし、アルマはこちらには頷いた。


「その可能性はあるな。理解できた」

「俺は……。多分、この選択は間違えてない、と思う」

「ほう。なぜ、そう思うのだ?」

「メリザンヌはもう、敵じゃないと思うからだ。彼女の問題は相変わらず解決されていないけれど……、それは彼女の選択であって俺の選択ではない」

「そうだな」


 シャイードは頷いた。


「そうだよ」

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