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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
143/350

メリザンヌ

※R15を超えぬよう細心の注意を払いましたが、やや性的な描写があります。苦手な方は飛ばして下さい。

「……!? そ、……れ……」


 彼女の言葉の意味を、動きの鈍った脳が一拍遅れて理解する。理解と同時に、シャイードは頬に血が上るのを感じた。

 次第に、目が暗闇に慣れてきた。物の輪郭が、おぼろげながら見えてくる。しかしあまりにも光が少ない。貯蔵庫の入口扉の合わせ目から僅かに零れる、廊下の明かりだけなのだ。視覚は余り助けにならなかった。ましてや、こうして彼女に巻き付かれている状態では……。


(巻き付かれて……?)


 そうだ。いつの間にか、下半身は太くてなまめかしい何かに巻き付かれていた。素足の膝下に当たる肌触りは、なめらかな表面とひんやりとした感触だ。


(これは……、蛇か!)

「私はね、この通り、人間ではないの。貴方と一緒。秘密を抱えて、正体を隠して、人間の社会に溶け込んでいる魔物なの」


 メリザンヌの手が、バスローブのあわせから忍び込んできた。そしてシャイードの胸を撫で、ペンダントの存在に気づく。

 シャイードは顔をしかめた。不完全な変身ゆえに、もともと他者に触れられることに対し、激しい抵抗を感じる。だが今はそれだけではない。大切なペンダントをつかまれていることが、気が気ではなかった。

 幸い、メリザンヌはペンダントをただの装飾品と思ったらしく、手を離してくれた。しかしシャイードの肌をなぞることはやめてくれない。


「ね? 上半身こそ人間だけれど、下半身は蛇の魔物よ」

「……ラミ、」

「ふふ、良く出来ました、引き上げ屋さん? そう、私は半人半蛇の魔物ラミア」


 彼女の手が、シャイードの鍛えられた腹筋を愛おしげに撫でた。


「私たちの種族はね、人間なしでは生きていけないの。生きていくために、人の生き血が必要だから。だから望むと望まざるとに関わらず、人の社会に紛れて暮らす必要があるのね。――ああ、心配しないで、可愛い子。命を奪うほどは必要ないのよ。ほんの少し。日々、ほんの少しだけ分けて貰えればいいだけ。痛くはしないわ。与える人間にとっても、とても気持ちいいことなの」


 メリザンヌはそこで一度言葉を句切り、小さく息を吐き出した。

 シャイードの脳裏に幾つもの記憶の断片が浮かび上がり、瞬間的に繋がっていく。理解されていく。


 クルルカンからザルツルードへの旅の間、ほとんど何も口にせず、次第に顔色が白くなっていった彼女。それは人の血を絶っていたせいだった。

 一転、ザルツルードでは血色が良くなっていた。代わりに、一夜を共にした吟遊詩人はぼんやりとしていて、首筋に赤い跡が残っていた……。あれは彼女に魅了され、知らぬままに吸血された証だったのだろう。


 初めて出会った時、彼女から香った匂いや、その後、何度も彼女の言葉を無条件に正しいと思った記憶が蘇る。ラミアである彼女の、魅了の魔力だ。人間が魔法を使うには呪文が必要だが、彼女は魔物だから、魅了に呪文を必要としない。想定外だったため、警戒しなかったのだ。


 フォレウスと戦い、我を失ったシャイードを止めに入ったとき、彼女はフォレウスの手前、”呪文を唱えたふりをした”だけだ。その証拠に、呪文は完成しなかったように見えたのに、効果を発揮した。

 ギリギリ間に合ったのではない。間に合う必要すらなかったのだ。


 アルマはメリザンヌにも隠し事があると言っていた。アルマは知っていたのだ! 彼女の正体を。シャイードがどうでもよいと切り捨てたから、彼は答えなかっただけだ。


「……でもね、何事にも例外ってあるでしょ? 女しか生まれない私たちの種族が子どもを作るには、やっぱり人の生き血が必要なのだけれど、その時ばかりは、とても沢山の血がいるの……」


 メリザンヌの声は、悲しげに落ちていった。シャイードの首筋に、彼女は額を埋めた。


「私ったら、駄目なのよ。今までに二度も、子どもを作る行為に失敗してしまったわ……。愛する人を犠牲にしてまで望んだ娘を、どうしても手に入れられなかった。二度も無駄に失ってしまった。悲しくて、悲しくて、私、ずっと泣いたわ。そしてまた、リモードを愛したの」


 シャイードは彼女が独白する間にも身をよじって逃げようとしたが、やはり力が入らない。


「もう、私は誰も失いたくないの。リモードを失うことに、私はきっと耐えられないでしょう。あの人が好きなの、シャイード。分かるかしら? この気持ちが。私、あの人を心から愛している。子どものように純粋なあの人が好き。空想にふける横顔が好き。創作に行き詰まって苦悩する表情が好き。情熱的に私を呼んでくれるあの声が好き。――それなのに、ね? それでも私は娘が欲しいの。酷い女でしょ? でも凄く、凄く欲しいの……。二つの欲望に板挟みになっていたとき、貴方を見つけたわ。天恵だと思った。ねぇ、シャイード。私の可愛い貴方。私に、娘を与えて頂戴? ねえ、いいでしょ?」


 彼女はシャイードをぎゅっと抱きしめてくる。


「……ぉ、れ」

「分かっているわ。貴方は人ではなく、ドラゴンだって言いたいんでしょ。だからこそ、だからこそなのよ。――私たち種族の半身は人間に近いけれど、もう半身はドラゴンの方が近いわ。人間との間に子どもが作れるのなら、ドラゴンとの間にだって! 生命力の強いドラゴンの血なら、きっととても強い娘が出来るわ……。私の娘……そして、貴方の娘。ドラゴンの娘よ。それに貴方自身だって、死にはしないと思うの。人間なら死んでしまう量の血を飲んだとしても。貴方は強い子だから。ねえ、信じられる? 私は誰も殺さずに、最強の娘を手に入れられるのよ! 夢みたいだわ。貴方は私の夢を叶えてくれる、世界で唯一の存在なの!」


 メリザンヌは言葉を止め、顔を上げた。階段の上の扉を気にかける。


「あまりゆっくりもしていられないわね。貴方が戻らなければ、あの美形さんが様子を見に来るでしょうし。ああ、二人の仲を裂く気はないのよ、どうか許して頂戴。私が欲しいのは貴方の血だけなの」


 からかいなのか本気でそう信じているか分からぬが、シャイードとしては声を大にして反論したいところだった。だがそれよりも先に、彼女に警告しなくてはならないことがある。


「ゃ……、め、ろ」


 大声を出す要領で喉に力を入れても、口から零れるのは吐息と大して変わらない、微かな息づかいだけ。

 彼女は舌なめずりした。尻尾の先が、タンタンと石床を打つ音が聞こえる。


「苦しそうな顔も、凄く美味しそう。もう、我慢できない。……頂きます、私の愛しいドラゴンちゃん」


 彼女は満足げに、鼻から色めいた息を逃がし、シャイードの首筋――頸動脈に過たずに噛みついた。ぷつりと皮のはじける音がして、冷たい牙が食い込んでくる。激しい痛みは、すぐに快感に変わった。


「あ……ぁ、……っ!」


 全身が電撃に打たれたようにびりびりとする。快楽の閾値を軽々と飛び越えられ、意識が吹き飛びそうになった。このまま彼女の言いなりに、全てを差し出したくなる。これもまた、ラミアの誘惑の力なのかも知れない。


(駄目だ……!! 早く止めねぇと)


 シャイードは自由に動かぬ腕を必死で動かし、全力で肘を折り曲げた。メリザンヌが首筋に食らいついている間に、少しずつゆっくりと、顔に片手を近づける。

 そして手の中のそれ――サシェの匂いを嗅いだ。

 ドン、と腹を突き飛ばされ、メリザンヌは上半身をよろめかせる。


「ぐうっ……!」


 吸血行為に恍惚となっていた彼女は、一瞬、状況が理解できなかった。唇が、舌が、喉が、腹が、生命の熱で燃え上がりそうだ。くらくらとしている。

 熱を読み取る視界の中で、彼女の獲物が二本の足で立って対峙していた。


「……っ! どうして動けるの!?」


 ラミアの声に怒りが滲む。最上の時間を奪われた魔物は、続きを求めて犠牲者に腕を伸ばして突進した。

 目が慣れてきたとはいえ、真の暗視を持ち合わせていないシャイードには、相手が気配としてしか分からない。だが正体を現したメリザンヌは一回り大きい。鋭敏な感覚を持つ彼には、それで充分だ。

 伸ばされた両腕を、作業台に片手をつき、身体を空に投げ出すように回転してかわす。

 そもそも、最初につかまったのはメリザンヌに対して油断をしていたからだ。魔物が相手であると分かった上なら、簡単に後れを取るつもりはなかった。


「アンタよりいい香りのするものを持ってたんでな。それより……」


 シャイードは今、飛び越えたばかりの作業台を、メリザンヌに向かって思い切り蹴り飛ばした。


「ぐふっ!!」


 メリザンヌは台に蛇身を打ちすえられ、背後の棚へ背中をぶつける。ダメージで蛇の下半身からくたりと力が抜けた。よろけて作業台に手をついた彼女めがけ、シャイードはさらに台を片足で押し込んで棚との間に挟み、圧迫した。腹部を挟まれた形となり、彼女は苦しみ悶える。


「や、やめて……、うぐっ」

「吐け!! 早く飲み込んだ血を、吐き出せ。死ぬぞ!!」


 シャイードは必死だ。

 メリザンヌは口元を押さえ、吐き気を堪えている。シャイードは構わず、作業台をさらに押した。


「い、いや……! どうして、こんな、……うっ!! ごはっ!!」


 彼女は作業台に、血反吐をぶちまけた。濃厚な血の香りが、空に漂う。台ごしに素足に伝わる振動から、彼女がまだもがいているのが感じられる。彼女のすすり泣きが聞こえても、シャイードは容赦しなかった。


「あぁ……っ。私の、私の大切な、……ぅぅ……、うぐぅ、あぁああ!!」


 魔物は初め、吐き出した血を両手でかき集めようと無駄なあがきをしていたが、急に身をよじって苦しみ始めた。


「か、身体が……熱いわ! ぅぐっ、焼け、……どうし、」

「ドラゴンの血は猛毒だからだ! アンタ魔女なのに、そんなことも知らねぇのかよ!!」

「嘘! 竜の血は、有名な媚薬、」

「小指の爪の先ほどの量を薄めているならな。だがそれだって、実際はそうやって身体を内部から焼く猛毒を、媚薬と勘違いしているだけだ」


 いいから全部吐いとけ、と言い捨て、シャイードは身を翻す。

 貯蔵庫に降りてきた際、酒瓶が並んでいるのを見た。記憶を頼りに、その辺りを探って、何かの瓶を手にする。牙でコルクを外し、匂いを嗅ぐ。ワインだ。

 それを手に、まだ悶えるメリザンヌの傍に寄った。良くは見えないが、彼女は喉を両手で押さえ、台と棚の間の床の上でのたうち回っている。

 シャイードはその姿に馬乗りになった。そして彼女の口を探す。


「いてっ!! このっ……、いいから大人しくしろ!!」


 抵抗する彼女の牙が左手の甲をかすめ、傷が付く。構わずに目の辺りを押さえ、彼女の口の中に無理矢理ワインを注ぎ込んだ。


「……っ! ……!!!」


 メリザンヌは声にならない悲鳴を上げ、口の端からワインをごぼごぼと吐き出す。


「それでいい。血と一緒に全部吐け!」


 ワインを含ませては、顔を横向けて吐かせる作業を繰り返した。次第に、暴れ回っていた彼女の下半身が静かに力を失っていく。

 シャイードはメリザンヌのむき出しの乳房の下に片手を埋め、心音を確認した。


(不規則だ。あまり良くはないな……)


 とはいえ、自分の血はまだそれほど飲んでいなかったはずだし、あらかた吐かせることは出来た、と思う。シャイードは立ち上がった。

 どっと疲れた。やるせない思いで、息を吐き出す。


「ちっ……。折角風呂で綺麗にしたところだったのに」


 今の立ち回りで、はだけてしまったバスローブを整えて紐で縛り直す。

 前髪をくしゃりと握った。


「はぁ……。もう、どうしたもんか……」

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