ひらめきと検証 2
食事を終えた二人がやってきたのは、シャイードが午前中に気にしていた中央広場だ。
再び、前皇帝ウェスヴィアの像を見上げる。周囲に吟遊詩人と道化師はいなくなり、今はどこかの神の信徒らしき深緋色のローブを纏った若者が、熱を帯びた口調で布教活動を行っていた。それなりの人数が集まっているようだ。
「俺は魔法については専門外だが……。基本的に、魔法陣というのはその中心に最も力が集まるものだったよな? それに蜘蛛ってのは、まるで魔法陣のような巣穴の、中心で待ち構えているものだろ? ここは道が……って、おい! アルマ! 聞いているのか?」
「うむ?」
アルマはふらふらと噴水に近づき、ウェスヴィアの立つ石の台座に刻まれた文章を読んでいた。
追いついて隣に並んだシャイードは、彼の長い三つ編みをつかんで引っ張る。
「そんなのくだらねえの、読まなくていいだろうが。魔力はいっぱいなんだろう?」
「気にするな。汝の話も聞いておる」
「それなら、ここで何かを感じるか? 大きなビヨンドの気配とか、世界膜の歪みとか破れとか」
「そうだな……」
アルマは空を仰ぎ、両腕を僅かに広げて目を閉じた。
すぐに目を開く。
「うむ、駄目だな。この都に足を踏み入れたときと同様、小さな気配が無数に感知できるだけだ」
「うーん……? 親蜘蛛説は、ハズレだったか……?」
シャイードは腕を組み、大きく首を傾げた。
まだ何かを見落としているのだろうか。
「おい、アルマ」
「うむ?」
いつの間にかまた明後日の方を向いていたアルマに声を掛け、シャイードは自分に注意を向けさせた。
「確認だが、お前の蜘蛛は、距離の離れた見えない相手にも眠りを仕掛けられるのか?」
「いや。我が対象をはっきりと認識し、その上でアラーニェの蜘蛛をけしかける。あの魔法の射程距離はそれほど長くない。それにこれは我の再現する情報体全てに言えるが、あれら自体は意志を持たぬ。あくまで我の意志で動くのだ。簡単な命令であれば、魔法の中に予め織り込んでおくことは出来るが、自律行動は出来ない」
「やはりそうか。となると……」
シャイードは顎に手を添えた。
「無気力病にかかるきっかけ、つまり親蜘蛛が被害者に子蜘蛛を取り憑かせるきっかけが、どこかであったことになる」
「うむ。子蜘蛛が分体だとすれば尚更、意志を持つのは親蜘蛛だけということになろうからな」
「じゃあやっぱり、場所は関係あるはずなんだ。親蜘蛛がいて、被害者たちを認識し、接触できた場所が」
「………。”夢”をもつニンゲンが多く集まる場所などというものがあるのか?」
「それは、……うーん……。例えば図書館とかはどうだ? ”夢”を実現させるのに必要な方法を調べられるぞ」
「だがここの図書館は、入れるニンゲンが限られておるだろう? それならば、無気力病に罹るニンゲンにも偏りが出るはずだぞ」
「そうだった。歓楽街……なんかも、子どもは出入りしないしな」
「歓楽街も”夢”と何か関係があるのか?」
真顔で問われ、シャイードは赤面する。
「そっ、そりゃお前……! あそこは一夜の”夢”を叶える場所だろうが!」
「一夜の”夢”? それは眠って見る方の夢ではないのか」
「違うんだ。ええとその、そうだ! カジノ! うん。歓楽街には大抵カジノがあるんだ。金を賭けて、一晩で大金持ちになったり出来る。そういう”夢”とかな?」
「なるほど」
「でも、普通子どもは出入り禁止だから、これも違うと思う。てかさ、お前図書館で全部の情報を喰ったのなら、歓楽街の意味くらい本当は知ってるんじゃねーの……?」
「知ってるぞ。歓楽街とは、ニンゲンたちの娯楽が集まる場所、と辞書に説明があった。古い都市計画図も見たから、詳しい住所も分かっておる。商業ギルドに提出された書面を綴った記録のうち、歓楽街に所在する建築物の項目には酒類を提供する飲食店や、小劇場、遊興施設、浴場、それに宿の図面が数多く見つかった。だが、我はニンゲンにとっての娯楽が具体的に何を意味するのかまでは分からぬ。遊興施設と書かれていた店舗形態の一つが、おそらく汝が今言ったカジノなのであろうと推察はするが。他にはどんなものがあるのだ?」
「そんなの、お、俺も、良く知らねえ」
シャイードは赤面したままそっぽを向き、しらばっくれることにした。アルマは頷く。
「そうであろうな。汝もまだ子どもだし」
「おい!! そっちじゃなくてな!」
「わかっておる。これは”冗談”なのだ」
「真顔で言うな!」
「冗談用の顔というのがあるのか。知らなかった」
アルマは真顔のまま、自分の顔を手でこね回した。
シャイードはそれを放置し、考えに戻る。ふと、視線を持ち上げた。
「いや……、あるじゃないか。目の前にもう一つ」
「うむ?」
手を止めたアルマは、シャイードを見下ろす。その視線を一度受け止めてから、シャイードは東を向いた。人差し指を立て、持ち上げていく。
「劇場がどうした?」
「ニンゲンが”夢”を見る場所だよ。英雄の活躍を見て、自分もそうなりたいと”夢”見たり、華やかな恋愛模様を見て、そんな恋をしてみたいと”夢”を見る」
口にしていく程に、シャイードは自信をつけていく。
「そうだ! 劇場だよ、アルマ。リモードをはじめ、役者にも複数の感染者が出ている。町の中心、すなわち蜘蛛の巣の中心にある。老若男女、誰でも入れる! 劇が好きなニンゲンに、住んでいる場所の偏りは関係ない。家族で観劇に来ていれば、一緒に発症することだってある……!!」
「ほう。納得できるな。だがそれも、奴隷や貧しい者は入れないのではないか?」
「う……、そうだな。そこに偏りが出るはずか。だがおそらく、スティグマータたちは入ろうとすら思わないだろうな」
「リモードに確認してみるか? 劇場に、奴隷や貧しい者が入る余地があるのかどうかを」
「そうだな。そうしよう!」
◇
兵舎の執務室で、ユークリスは書面と向き合っていた。本日報告のあった、新たな無気力病患者の情報から、壁に掲げた地図に点を打っていく。作業を終えると一歩二歩と壁から離れ、全体を見渡した。またしても、点の位置はばらけている。
仲間の協力で、昨日までに既に報告のあった者たちについても追加調査を行い、詳しいプロフィールも幾つかは届いていた。ただ、貧民街についてはデータがほとんどない。
ナ・ランダ神殿が炊き出しを行った際、運良く保護された者たちの記録から、感染者がゼロではないのは分かっている。しかし個々の詳細な住所は把握できず、他の病で死ぬ者と区別もつかない。
空腹で路地裏にうずくまる者と、無気力病でそうなっている者と、誰に見分けが付くというのだろう。その上、貧民街の者たちは概ね、病気の者に冷淡だ。働けない者に、利用価値はないと考えているから。
それを冷たいと責めることは、ユークリスには出来ない。みな、自分が生きることに精一杯なだけなのだ。
羽根ペンの背で、こめかみをくすぐる。
「……変だな」
データのことではない。考えているのは昨日、図書館で再会した黒髪の少年のことだ。珍しい金の瞳をして、異国の響きの名前を持つ子ども。
部隊の仲間を助けてくれたらしいから、悪人ではないのだろう。
だがどうにも引っかかった。学者や治療師にも分からぬ病の治療法を知っていることといい、クルルカンの遺跡にいた攻撃の通じない魔物をあっさりと倒したことといい。
ただの少年でないことは確かだろう。
「あの子は何者だ? どこから来て、どこに向かっているのだろう。無気力病が手がかりと言っていたが、彼の旅の目的は一体なんなんだ?」
謎があると、気になって仕方のない性分である。書類とペンを机に置き、独りごちながら、ユークリスは無意識に部屋の中をうろつき始めた。左手で右の肘を抱え、顎に右手を添える。
「そもそも人間なのかな? 見かけ通りの歳とはとても思えない。でもエルフには全く見えないし、ロビン族ほど脳天気でもない。身体能力が高そうだから、獣人というのが一番あり得るか。だが自分の肉体に自信を持つものが多い彼らだとしたら、人間のふりをするのは珍しい。正体を隠さなければならないような、希少種の獣人か?」
そこにノックの音がした。
「はい、はい」
返事をしつつ、ドアを開く。同じ部隊の仲間が立っていた。肩で息をしている。
「ああ、ユーク。お前、昨日流行病の件で新たな報告を出して、陛下から直接話を聞きたいって呼ばれていたんだろ?」
「うん。陛下の午後の執務に空きが出次第、声を掛けるって今朝早く通告があったけれど。それで今日はずっとここに詰めていたよ。で? 今、来いって? ちょうど……」
「いや」同僚は胸に手を当て、息を整えながら話す。「それ、なしになった」
「ん? 他に喫緊の案件でも?」
「そうじゃない」
首を振る。彼は周囲を注意深く見回した後、口の横に片手を立てた。声を潜める。
「実は陛下が……、陛下自身がお倒れになったんだ。それがどうやら無気力病らしく」
ユークリスは絶句した後に大きく息を吐き出し、目を閉じた。沈痛な表情だ。
「ついに陛下までもが」
「ヤバイだろ、これ。治せない病気なんだろ? どうすりゃいいんだ、一体……」
うろたえる彼の肩を、ユークリスはぽんぽんと叩いた。
「安心していい。治療法はある。――私はちょっと出かけてくる。支度をするから、その間に馬車を回して来てくれないか」
「わ、わかった」
同僚の兵士は頷きながら慌てて踵を返していく。
ユークリスはその背中を目で追いながら、頭に手をやった。
その唇がゆっくりと弧を描いていく。
「どうやら早速、貴方の協力が必要みたいだね、シャイード君」
陛下が倒れたことよりも、こうも早く彼の正体を探るチャンスが巡ってきたことを、ユークリスは内心喜んでいた。




