別離と再会
「こちらで結構ですわ」
貴族の邸宅が建ち並ぶ道の半ばまで来て、ユリアが唐突に言った。腕を捉えていた手が離される。
その僅かな重みがなくなることで、シャイードは開放感を味わうと共に、別の気持ちも感じていた。過ぎた時間を寂しく思う気持ちだ。
当初の予定のように、帝都を案内して貰うことは出来なかったけれど、帝国については充分に案内して貰えたように思う。
「なんだよ。ここまで来たらもう、家の門まで送っても変わらねえだろ?」
「知らない人に、おうちを知られるのが怖いんですの! まったく。あなた、レディの気持ちを少しも察せられませんのね!」
「……お、おう。そうかよ」
勢いに気圧されつつ、そういうものかと納得して頷く。頬を膨らませたユリアは、リスに似ていると思った。
そう言ったらリスと違ってきゃんきゃん騒ぐだろうから、口にしなかったけれども。
ユリアは片手をすっと差し出す。
シャイードはそれを見て、「ん?」と眉をひそめた。
「ちょっと! レディが別れ際に手の甲を差し出したら、キスをするのが当たり前でしょう!?」
「知らねぇよ!」
「全く、どういう教育を受けてきたのかしら……」
「はぁーっ!? お前に見下される謂われはねえぞ!」
盛大にため息をついてユリアは手を下ろした。そしてシャイードに近づくと、右手を持ち上げる。
(もしまた叩いたら、叩き返してやる)
半眼で身構えたシャイードの頬に、並んだ指がそっと添えられた。そして反対側の頬に、柔らかな感触が落ちる。
(……ん?)
何が起きたのか、咄嗟に理解が追いつかなかった。
ユリアは少し背伸びをして、シャイードの頬に唇を押しつけていた。花のようなやさしい、柔らかな甘さが遅れて鼻腔をくすぐる。
「………え?」
すぐに身をひいたユリアは、唇を尖らせツンとした。
「あなたの旅路に、ゼフィス神の祝福と加護を。――シャイード。あなたは騎士としては落第ですけれど、話し相手としてはまあまあだったわ。楽しい時間をありがとう。では、ごきげんよう」
ワンピースのスカートを両手でつまみ、優雅に一礼すると、ユリアは身を翻して走り去っていく。一番近くの邸宅の角を曲がり、揺れるツインテールは見えなくなった。
シャイードは呆然としてそれを見送り、遅れて頬に手をやる。
「……変なやつ」
さよならを返さなかったことに今更ながらに気づいたが、シャイードは鼻を鳴らして踵を返した。
考え事をしながら少し歩き、ふと視線を感じて顔を上げる。
一瞬、立派な邸宅の外壁の陰に、黒い三角帽子が引っ込むのが見えた気がした。
(……アルマ?)
足を止め、様子を伺う。すると物陰から再び帽子が現れた。シャイードが見ていると、またすぐに隠れてしまう。
(やっぱりアルマじゃねーのか!?)
シャイードは十数メートルの距離をダッシュで縮め、角を曲がった。黒い影と衝突しそうになる。
「うおっ……! 何やってんだ、テメー!!」
思った通り、アルマだ。
建物の角にへばりついて、今にも身を乗り出そうとしていたところだ。
「のぞきだ」
「変態か!!」
大声で突っ込みをいれた。そうしながらシャイードは、心が安堵に震えるのを感じる。
どうやらいつものアルマだ。彼が変わらず変態であることに、よもや安堵する日が来るとは。
「汝、いま、キスをしていたな? キスであろう、あれは。よいのか、こんな白昼堂々、衆人環視の中でキスなんぞして」
「俺がしたんじゃねーよ!」
アルマの位置からでは、覗いていたとしても自分の背中しか見えなかっただろうけれど、キスキス連呼されて羞恥に頬が熱を持った。
「それよりもお前! 何でこんなところにいるんだよ。図書館はどうした」
「情報を喰い終わったから出てきた」
「なにっ!? もうか」
「うむ」
アルマはローブのゆったりとした袖の中に互いの手を突っ込んで目を瞑った。
「今の我は、ちょっと、すごく魔力がすごいぞ」
「今のお前、ちょっと、すごくアホになってねぇ?」
つられて語彙力を喪失させながら呆れる。
「魔力が高揚しておるのだ。そのせいで、少し言語変換に狂いが生じているやも知れぬ。断じてアホではない」
「そうかよ。………」
シャイードは言葉を切った後、無言でアルマの腕をつかんだ。彼の腕組みを無理矢理解かせ、ローブの袖の中に枷と鎖があることを確認する。
「なんなのだ、シャイード」
「いや……。お前、俺の夢に勝手に出てきたり、は、してねー……よな?」
彼の手を解放し、シャイードは視線を逸らしながら確認する。
「汝に勝手に出るなと命じられてからは、入っていない。出演料を請求されるしな。それがどうかしたか?」
「……別に。単なる確認だ」
シャイードは心底安堵して、大きく息を吐き出した。すると突然、疲労が身体に押し寄せてくるのを感じる。
「てか、立ち話もなんだし、俺、腹へってんだけど」
「我は腹がいっぱいだが、汝につきあってやっても良い」
「また上からで腹立つけど、まあいい。適当な店に入ろうぜ。大通りに出れば、沢山店があるようだった」
「うむ。腹は減っていると立つものだと聞くからな。しっかり寝かせるためにも、飯を食うのだ、シャイード」
「そういう……んと、違うかな……?」
胃袋が直立不動の姿勢になっているところを想像しながら、シャイードは首を傾げた。
最初に目に付いた飲食店に入る。人々が背伸びしたいときに使うような、やや高級そうなレストランだ。入店時、シャイードは店員にじろじろと見られたが、ドレスコードまではなかったらしく、すんなり通してもらえた。メリザンヌにマントを洗濯してもらって良かったと思う。
昼食時間を過ぎていたが、まだ店内は賑わっていた。案内された席は柱や観葉植物などで入り組んだ奥の方で、個室風の場所だ。
「密談をするにはもってこいだな」
クッションの効いた椅子に座る。
テーブルに置かれたメニューを見て、値段に目を瞠ったものの、幸いにして懐は温かい。水を運んできた給仕に、「ここからここまで」と肉料理の欄をさして注文をし、背もたれに体重を預けた。
「肉ばかりでなく、野菜も頼むが良いぞ。情報が偏る」
「情報じゃねえし、俺の身体は、肉だけでも平気なように出来てんの! ……それで? ビヨンドについては分かったのか」
「うむ。それなのだがな。まず、厄災については、帝国では誤った認識が広まっている」
「……というと?」
「厄災は、英雄達によって1000年前に無事に退治された」
「なにっ!?」
「開架に置かれていたほぼ全ての歴史書が、そのように述べていた。残りの数少ない歴史書では、『封印された』という記述だったが、それも前後の文脈から、ほぼ退治と同じ意味で語られていた。それが意図的な改ざんなのか、長い年月を経て事実が歪んだのかまでは判断できぬ」
「………。その他の、ビヨンドの研究については?」
「そも、ビヨンドという名称は一切使われていない。遺失魔法に言及した書物にあった、魔物や召喚獣の記述に、一部、ビヨンドとおぼしき存在のものを見つけられた。だが、『変わった魔物』や『突然変異の魔物』、『合成獣』などという、あくまで通常の魔物の例外枠での扱いだな」
「グレッセンが手がかりにしたのはその辺からか?」
「それから、図書館の文献のうち、危険な魔法・魔術を扱ったもの――いわゆる禁書については、王宮内に保管されていると目録にあった。グレッセンは宮廷魔術師であったし、サレムもそうだ。彼らの読んだ文献は、王宮内にある可能性が高い。少なくとも、図書館にはなかった」
「くそっ。王宮か……。肝心の情報はそっちか……!」
「王宮の禁書庫へのアクセスは、ごく限られている。そちらについての情報も確認したが、現状、我らにどうこうできるものではない。宮廷魔術師になっただけでも足りず、皇帝か、宮廷魔術師長からの特別な許可が要る」
「忍び込む……しかないか?」
「禁書庫にはむろん、大がかりな魔術による厳重な保護がされておるぞ。例え”ドのつくアレ”が踏んでも壊れないであろう」
だめか、とシャイードは背もたれの天辺に首を載せ、天井を仰いだ。物理錠ならともかく、魔術錠は彼の手に負えない。
「汝の方は、何か収穫はあったか?」
「うっ……」
アルマはごく普通に疑問をぶつけてきただけだが、シャイードは痛いところを突かれたように呻いた。今日も半日、どこぞのお嬢様と時間を潰しただけだ。
正面に座るアルマから視線を逸らし、口を開く。
「あの、蜘蛛のビヨンドは……」
「蜘蛛のビヨンドは?」
「………」
「………?」
「……ひと月くらい前から増えたらしい」
「ほう。それで?」
「感染者の住所は、帝都じゅうに散っていて、場所の偏りは余りみられない」
「ふむ。他には?」
「うぅ……。あとスティグマータには、無気力病に罹ったものは、いまのところいない、らしい」
「ほう。刻印されし者たちがか。それは何故なのだ?」
「うぐっ……。推測の域を出ないが……、感染に場所が関係ないのだとしたら、蜘蛛のビヨンドにとって美味しくない、とか?」
「蜘蛛のビヨンドは何を好むと思うのだ?」
「それはその……、あ!」
アルマの問いかけに、一条の閃光が頭の中を駆け抜けた。シャイードの掌が、テーブルを叩く。
「……”夢”……? そうか、”夢”か! ……いや、”夢”であっているのか……?」
「夢がどうしたのだ? 幻夢界?」
「いや、違う。待ってくれ!」
シャイードは右手を前方に差し出した。左手を額に当てて考える。
彼の頭は今、高速回転していた。うつむき、ぶつぶつと呟いている。
「リモードの夢に入ったとき、彼は悩んでいた。理想の役者がいなくて、劇を上演できないからだ。そして蜘蛛に何かを奪われ、それを諦めた。つまり”夢”を、諦めた。……そのあと、俺が蜘蛛を倒したら、気力を取り戻した。”夢”を取り戻したから……、気力が戻ったんだ……!」




