皇帝の奴隷
意外な単語が旅人の口から飛び出したことで、ユリアは言葉に詰まった。いつの間にかシャイードは、ユリアの方に視線を戻している。
金の瞳を迎え、迷うように揺れた空色は、手元に落ちた。
「あの方達は罪を償うために、ある程度の不自由は……」
「本当の罪人ならな? でもそうじゃないことは、ユリア。アンタだって知ってるんだろ?」
「それは……」
ユリアはぐっと唇を噛んだ。視線を持ち上げる。
「シャイード、あなたは平等主義者?」
「平等……? なんだそれは」
「全ての人は、生まれながらにして等しい権利を持つ。地位や財産、性別や出身、能力や身体的な特徴などによって、差別されるべきではないと考える人たち、ですわ」
「へえ? そういう考えのやつもいるのか」
ユリアは頷く。
「多数派ではないはずですけれど、そういう方たちは王制や貴族という存在に疑問を持っていらしゃるそうよ。奴隷制度にも」
「まあ、そうだろうな」
「けれどもわたくし、こんな話を読みましたわ。
――かつて魔法王国の時代。とある地方に、自由と博愛を掲げた平等の国がありました。魔法の能力がすなわちその人間の価値となる魔法王国の考えに、反対する人々が集まり、『自分たちは全員が等しく王となり、何をするにも全員の合意をもって進めることにしよう』と国を作ったの。
法律を決める最初の協議が行われ、長い話し合いの結果、まず全ての国民が持つ、全ての財産を等しく均すことが決まりました。将来にわたって、永久にです。これでまず、この国には貧しいものが一人もいなくなるだろう、飢えるものは一人もいなくなるだろう、と人々は喜びました。
ところが、上手くいったのは最初だけでした。たくさんの工夫と努力をして商売に成功しても、もうけは国に取り上げられ、全ての国民に分配されます。命を削って荒れ地を開墾しても、出来上がった農地は何もしない人々に分配されます。その結果、人々はなるべく楽をして、分配にだけ預かりたいと考えるようになりました。がんばるものはいなくなり、生産性は低下していきました。
あるとき、隣国が平等の国に使者を送ってきました。いわく、『我が国に恭順し、毎年貢ぎ物を収めよ。さもなくば、貴国に攻め込む』と。平等の国では、人々が右往左往しました。貢ぎ物に出来るものなどなにもありません。自分たちが食べるものでさえ、ギリギリ確保できている状況です。それ以上収穫しても、没収されてしまいますものね。かといって兵士もいません。対価が得られないのに、誰が危ない仕事を請け負うでしょうか。
『どう返事をするか、全員で協議しよう』。議会はたいへん紛糾しました。賢者の提案も、愚者の動議も、全て平等に重要な意見として扱われました。ひと月が過ぎても、結論は出ません。隣国が返事を催促してきました。半年が経っても、全員の意見は一致しません。隣国は平等の国を包囲しました。そして一年を越えたとき、平等の国はなくなり、平等を愛した国民は全て平等に隣国の奴隷となっていました」
ユリアはおとぎ話を一息に語り終えると、ふう、と息を吐いた。そしてシャイードを見つめながら、さらに続ける。
「人は生まれながらに平等などではありませんわ。力が強い人もいれば、知恵に優れている方もいらっしゃいます。家がお金持ちの人もおりますし、人脈を持っている方も、とっても運が良い方もいらっしゃいますわ。一方で、力も知恵もなく、お金にも運にも見放された、よるべなきひとびとも大勢います。全てを均すなど、不可能ですわ。それに、平等の国の例を見るまでもなく、力あるものの力を制限するのは誰も幸せにならない愚かな行いです。大事なのは、出来る者が出来ることを精一杯すること。そしてそのなしえたことを自分だけの手柄だとは思わず、能力や運や機会や人に恵まれていたことに感謝をし、得られた果実を持たざる人々を助けることに使うこと……。わたくしは、そう考えています」
シャイードは考え込むような瞳で、静かに耳を傾けていたが、ユリアの話が終わると顔を上げた。
「持てる者の義務か。なるほど、ユリアの考えはよく分かった。一理ある、とは思う。だが、ニンゲンが生まれつき平等ではないことと、スティグマータや奴隷の存在は、直接繋がる話ではないだろう。彼らは持たざる者たちだろうが、お前が言うように、持つ者たちから分け与えられてはいない。それどころか逆に搾取されているぞ」
「そのとおりですわ、シャイード。あなたのいうとおり」
ユリアは肩を落とした。悔しそうな表情をする。
「わたくしの語ったのはしょせん、世の中を知らない小娘の理想論なのでしょう。人の心には他者の役に立つことを喜びとする美しい部分がある反面、どうしようもなく、醜い部分もあるのだと思うわ。自分より下に、より辛い境遇のものを置いておきたいという。彼らを見て、『自分もつらいが、彼らよりはまだマシで、幸せなんだ』と安心したいという。例えスティグマータを社会から取り除いても、新たなスティグマータが現れるだけだと思いますわ。人々の、不満をぶつける新たな生け贄の羊が」
「はっ、くだらね」
シャイードは鋭く息を吐き出した。寝転がったまま、片手をひらりと振る。
「なんで幸せを感じるために、イチイチ他人と比べる必要があるんだ? 幸せってのは、もっとこう、……なんというか、個人的な感覚だろ? 空に掛かった虹が綺麗で、幸せだって思ったり。広い草原を走り回って、気持ちよくて幸せだと思ったり。疲れた身体に飯が美味くて、幸せだと思ったり。陽光の匂いがする布団で眠るのが、幸せだと思ったりよ」
「まあ……!」
ユリアは目を見開いて両頬に手を当てた。表情がみるみる明るくなる。しおれたり花開いたり、忙しい奴だな、とシャイードは相手の表情の変化を面白そうに観察した。
「何て素敵な考えかしら! そうね、そうだわ。幸せって本来、誰かと比べる必要がないものですわ! 心を柔らかくすれば、ねえほら。この屋根からの景色だって、とっても素敵。今のわたくし、幸せを感じていますもの。なんだかドキドキしてきましたわ!」
「だろ?」
ふん、と鼻から息を吐いて、シャイードは得意げに唇を持ち上げた。
「下に置いておく奴なんて、いらねーんだよ。お前らニンゲンが、それに気づけばいいだけだ」
「お前ら人間?」
「あ、いや。つまり俺たちみんなが、だよ」
うっかり口を滑らせ、シャイードは慌てて首を振った。ユリアは首を傾げたが、視線を遠くに投げると少し沈黙をする。
シャイードは何も言わずに待った。やがてユリアは首を振った。
「いいえ、やっぱりすぐには無理だわ。一人の心を変えるのは一瞬。けれど、民衆の心を変えるには、とても長い時間がかかるもの。何か、とてつもなく大きな変化でもない限りは……」
「……奴隷制度を、すぐに手放すことは出来ないと? 悪だと分かっているのにか?」
「わたくしにもちゃんと分かっているかどうか、断言できませんわ。善悪って、そう簡単に割り切れることじゃないと思いますの。自由をもてあましてしまう方だって、少なからずいらっしゃるわ。もっと、いろんな面から……」
シャイードが鼻の頭にしわを寄せると、ユリアは弁解するように身を乗り出した。
「スティグマータのことはとりあえず、脇に置いておきますけれど。そもそもこの国の奴隷の多くは、敵対していた国の民ですのよ。帝国と戦って負けた民。先の皇帝の時代、多くの戦争があったことは、旅人のあなたでも知っていますわよね? 前皇帝はとてもお強い方でしたけれども、他国にいきなり戦を仕掛けるほど血の気の多い方ではありませんでした。まずは外交で帝国の支配を受け入れるよう求め、拒否されたときのみ武力を行使したのですわ。戦えば相手だけでなく、もちろんわたくしたちも傷つきます。その血の代償として、負けた国の民は奴隷になるのです。そのことによって、別の国が今度は初めから正しい選択を出来るように、という意味もあるのですわ」
「戦わず、恭順の意を示した国の民は、奴隷にしないのか」
「当たり前ですわ。平和的に帝国に組み入れられ、民はそのまま帝国国民となります。ただ、王族や貴族の身分は廃止されて、彼らも平民になります。代わりに帝国貴族がその国を治めることになりますし、数年から数十年間の税率は高く設定されますけれど、これはその国を帝国化するために必要な財源としてですの。完全な帝国化を果たしたのち、本来の税率に引き下げられますわ」
「ふーん? じゃあどうして、不利なのに戦うって国があとをたたないんだ?」
「………。理由はいろいろあると思いますけれど、……上に立つ者が、地位を失うことを恐れる、というのが一番ありそうな理由ですわね」
シャイードは不愉快そうに鼻を鳴らす。
「なんだそれ。随分勝手じゃねえ? 少数の統治者の利権のために、多数の民が犠牲になるのか?」
「わたくしにも、理解は出来ません。上に立つ者は、民を幸せにすることを一番に考えるべきだと思いますもの。他にも戦う理由はさまざま、あるのかも知れませんわ。例えば二十年前までダスディールという王国がありましたけれど、かの国はとある矜持を守るために帝国と戦う道を選び、滅亡しましたの」
「矜持?」
「奴隷制は絶対に受け入れられない、という矜持ですわ。ダスディール王国は帝国を倒した暁には奴隷を全て解放する、と宣言して、周辺諸国にも正義のための戦いに加わるよう同盟を呼びかけました。しかし奴隷商人達の暗躍もあって、同盟はうまくいかなかったそうですわ」
「そんな国もあったのか」
ユリアは頷く。
「さきほどのお話に出てきた平等の国の皮肉と同じく、ダスディールの民は帝国の奴隷になり、王族は一人残らず処刑されました。わたくしは、ダスディールの王族を立派だとは欠片も思いません。だって、民を幸せに出来なかったのですもの」
シャイードは目を瞑って唸った。
「なかなか手厳しいな」
「けれども、奴隷になったからといって、失望することはありませんわ。数十年間を必死で働けば、主に解放して貰える場合がほとんどですし、それよりも前に何らかの方法でお金を貯めれば、自分自身を主から買い戻すことも出来ますわ。こうした解放奴隷の子どもは、生まれたときから帝国民の地位を得られますの。この国での奴隷という地位は多くの場合、戦争に負けた民の一時的な罰でしかないのですわ」
「あくまで、スティグマータは除かれるんだな」
「………。ええ」
ユリアは顎の下に片手を添え、俯く。
「それでも、この国にスティグマータを集めた先の皇帝の判断は、間違っていなかったとわたくしは思いますの」
「葬送を請け負わせるために、集めたことがか?」
「いいえ」
ユリアは首を振った。頭の上で、ツインテールが揺れる。
「それは結果としてそうなっただけですわ。前皇帝は、ばらばらにされ、各地で迫害されていたスティグマータを保護したかったのではないかしら?」
「は? 他国を平気で侵略して兵を殺し、民を奴隷にするようなやつが、なんでスティグマータだけは保護するんだ? おかしいだろ」
シャイードはつい喧嘩口調になった。仇であるウェスヴィアを英雄視されると苛々してしまうのだ。
「前皇帝はなぜ、スティグマータを集めたのか。その真意はとうとうあきらかにされぬままでしたわ。ですからこれは、単なるわたくしの推測。というのも、前皇帝は帝都に集めた者たちについて、『スティグマータは皇帝の奴隷であり、財産である』と宣言したからですわ。そしてもしも彼らを傷つける者がいれば、同じ傷を持って報いると布告しました」
「えっ!?」
「民衆の間に、いまもスティグマータに対する根深い差別と嫌悪があるのは知っていますわ。隠れて石を投げる者がいることも……。けれどこの帝都の民は少なくとも、表だって彼らを傷つけることは出来ません。もし彼らの腕を折れば腕を折られ、目を潰せば目を潰されます。ゆえに『彼らには関わるな。呪いが降りかかる』と言われるのですわ。誰かがスティグマータに怪我をさせて逃げた場合、運悪く近くにいて警備兵に疑われたら、真犯人の代わりに罰を受ける恐れがありますもの。――結果的に、前皇帝はスティグマータを守ったのですわ」
シャイードは下唇に右手の親指の爪を当てた。歯でそれを噛む。
(ウェスヴィアがスティグマータを守った……? 善意で? 本当に?)
にわかには信じられない。
(それにイレモノは死んだじゃないか! スティグマータに与えた害と同じだけの罰を受けるならば、イレモノを殺した者は殺されるはずだ。あのグレッセンが、それを承知でイレモノを魔物化させた? あれほど生きることに貪欲だったアイツが?)
シャイードは首を振った。何か腑に落ちない。違和感がある。だがそれは、彼が前皇帝を偏見なく判断できないせいかもしれない。幸いにもその自覚はあった。
「お前は……、ユリアは、スティグマータを帝都に置いておくことが、彼らのためになると思うんだな?」
「……ええ。そうであれば良いと思っていますわ」
少し喉につっかえつつも、ユリアはその言葉を口にした。祈るような口調で。




