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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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逃亡幇助

 翌日。雨は止んで、雲の合間から陽光が差していた。部屋から見下ろす中庭では、草木が青々としている。シャイードは腫れぼったい瞼をしばたたいた。

 洗濯から戻ったいつもの衣服を身につけ、マントを羽織る。フォスが当然のように中に潜り込んできた。


「外は魔力濃度が低いけど、お前平気か?」


 フォスはマントの中でもぞもぞする。だが出てこないところを見ると、平気だと言いたいのだろう。フォスには魔力よりも、陽光の方が元気の素なのかも知れない。

 階下に降りると、メリザンヌとばったり会った。


「おはよう、私の可愛い子。あらま目の下、すごいクマね!」

「ちょっと夢見が悪くてな」


 ため息混じりの返事を返す。メリザンヌは大げさすぎるほど、心配そうな顔をしてみせた。


「大丈夫なの!? まさか、無気力病の魔物が……?」

「いや、そうじゃない。……多分」


 慌てて首を振ったのち、左手を右の肩に当てて右腕を回す。


「昨日と比べて特別だるいわけでもないし、やる気がなくなってもいない」


 発症の原因が分からない以上、確信は持てないのだが、問われるまで不思議なことに考えもしなかった。

 ドラゴンであるから、人間の病には罹らないだろうという根拠のない自信があったのだが、考えてみればビヨンドが選り好みをするだろうか。


「それならいいのだけれど。今夜はおやすみ前に薬草茶を淹れてあげるわね。出かけるの?」

「ああ。飯は外で食ってくるからいらない」

「そう……。気をつけてね」


 外に出たシャイードは、本来の目的地の前にまず図書館に向かった。



 石造りの建物に入り、回廊を見回す。昨日と同じく、ここは穏やかで静かだ。だが完全な静寂ではなく、耳を澄ませばソファに座って会話する人々の声が聞こえる。雑談に興じている者もいれば、何かの題目について低い声で議論を戦わせている者もいた。


(アルマのやつ、特に騒ぎは起こしていないようだな。戻ってこないところを見ると、まだ情報を全ては喰い終わってないのか)


 シャイードはマントの下で、布越しに鍵に触れた。

 鍵がこちらにある以上、何にせよアルマは必ず戻ってくる。

 様子が気にはなるが、今日はメリザンヌを伴っていないため、中には入れない。彼女にはアルマを忍び込ませたことを伏せたかったので、もう一度連れて行ってくれとは言えなかった。

 一縷の望みをもって探したが、ユークリスの姿もない。

 カウンターからカードを盗むこともちらりと考えたが、結局はやめた。アルマに会えたとして、また邪険にされたら腹が立つ。

 悪夢の直後に危惧したようなことは、午前の光に照らされた知の殿堂に立っていると馬鹿馬鹿しく思えてきた。


(夢を真に受けるなんて愚かしかったな。あれが事実ならば、アイツは既に俺のところに来て鍵を寄越せと言っているだろう)


 今は、騒ぎが起きていない様子を確認できたことで納得するしかない。

 何度か深呼吸をしたのち、シャイードは建物を出て西へと足を向ける。



 中央広場には市が立ち、賑わっていた。

 円形の広場の中心にモニュメントがあり、巨大な前皇帝ウェスヴィアが片手を挙げて立ち尽くしている。シャイードはその像を、複雑な気持ちで見上げた。

 威風堂々とした石像の足元からは八方に水が流れ出し、石の水盤を満たしている。台座にはウェスヴィアの業績を讃える文章がぎっしりと刻まれていたが、知りたくもなかった。

 モニュメントの傍では大道芸人や吟遊詩人が技を披露し、取り囲む人々から喝采を受けている。姿は見えなかったが、聞こえてくる歌声からセティアスでないことは分かっていた。


 魔力濃度の低さからくる気怠さは感じたが、昨日よりも気にならない。身体が慣れてきているようだ。低地に住む者が高山に登ると空気の薄さから具合が悪くなるが、そのうちに身体が順応していくのと同じようなものかも知れない。

 とはいえこれほどまでに順応が早いのは、省エネモードともいえる人の姿に擬態しているせいだ。本来の姿ではより多くの魔力を必要とし、こうはいかなかっただろう。


 シャイードは油断なく周囲を見回しながら、人の波を分ける。

 そこで気づいたが、この広場からは八方向に道が延びている。北へ向かう通りは王城の門へと続き、南は一昨日、シャイードたちが町に入ってきた南門へと繋がっていた。

 夢との相似に、なにか暗示的なものを感じる。


(円と放射状の道。そして”八”。蜘蛛の巣と、蜘蛛の脚の数……)


 広場の東に目を向けると、劇場が見えた。


(リモードは、劇団員には無気力病に罹ったものが複数いると言っていた。この市場なら多くの人も集まる)


 シャイードは軽食の屋台に近づき、串に刺さった腸詰めを買った。それを店頭で囓りながら、スティグマータの姿を探す。

 目に付く限りでは見当たらない。屋台に片肘をつき、周囲に視線を向けながら店主の方に身を乗り出す。


「なあ、親父。この辺りにはスティグマータはゴミを回収に来ないのか?」


 腸詰めを焼く店主は唐突な問いに手を止め、顔を上げた。「ああん?」と口にしたあと、同じように周囲を見回す。それからまた、何事もなかったかのように手を動かし始める。


「この時間は余り見かけんが、夕方にはゴミを回収していくぞ。それがどうした?」

「いや。気になっただけだ」


 シャイードは食べ終わった串を返し、ハーブ入りの腸詰めを追加した。


(……と、いうことはだ。場所は余り関係ないのか……?)


 ユークリスも、無気力病の発症者に地域的な偏りはあまりないと言っていた。旧市街にやや多いが、誤差の範囲だろうと。

 その後、モニュメントの方でぱらぱらと拍手が起きた。意識の底の方で流れていた曲が、いつの間にか止んでいる。人垣で見えないが、いくらかの硬貨が投げられているであろう事は想像に難くない。


(目に見える形で空間に傷でもなければ、俺には世界膜の綻びを感知できなしいな。共通点を見つけるには、やはり罹ったニンゲンを)

「……うおっ!!」


 考えながら一歩を踏み出したところ、右方向から走ってきた小柄な人影にぶつかられた。左足で蹈鞴を踏んで、転倒は免れる。ぶつかってきたのは子どもだ。十二、三歳くらいだろうか。ワンピースを身につけ、淡い色の金髪を、頭の高い位置で左右に分けて結んでいる。共布の大きなリボンがとても目立っていた。


「おい、こんな人混みで」

「しっ」


 走るなとたしなめようとしたところ、その子どもはシャイードの背後にさっと隠れた。シャイードは事態が飲み込めず、周囲を見回す。


「きょろきょろしないで、普通にしててくださらない!?」


 潜めた声で背後から鋭く命令される。シャイードはむっとして唇をとがらせた。


「なんなんだよ、お前」

「悪漢に追われてますの。あなた、わたくしを助けなさい」

「はぁ?」

「レディを助けるのは、とのがたの義務ですわよ!」


 当惑しながら子どもがやってきた方を見遣ると、明らかに堅気ではなさそうな、ガタイの良い男が周囲を睥睨しながら大股で歩いてくる。近くを歩く人々から頭一つ飛び抜けていた。服の上からでも鍛え上げられた腕や胸の筋肉がうかがえる。肌は浅黒く、左頬に目立つ傷があった。


(アイツ、強いな)


 身のこなしから、力だけでなく俊敏性を兼ね備えているのがみてとれた。加えて油断ない鋭い眼光。傭兵崩れか野党か分からぬが、明らかに戦闘慣れしている。

 シャイードは子どもの肩を押し、野菜売りの露天の傍にあった木箱の陰に隠した。自身は腕組みをして、店先のプラムを手にとって吟味するふりをする。


「ヤバそうな相手だな。人さらいか?」


 唇を動かさずに、物陰の子どもに問う。


「そんなようなものですわ。わたくし、つかまったら高く売られてしまうにちがいありませんもの」

「奴隷狩りか何かか」


 その後、敵が近づいたので口を噤む。間近まで来た相手に、さりげない一瞥を送ってすぐに視線を果物に落とした。

 相手の視線が自分の上で止まるのを感じた。立ち止まってこちらを観察している。


「よお、姉さん。このプラム、甘いか?」


 敵の機先を制し、野菜売りの店主に声を掛けた。

 店主の女性はにっこりと微笑み、「もちろんよ! 今が一番の食べ頃!」とプッシュしてくる。

 流石に会話に割り込んでまでは話しかけてこず、数秒の後、男は視線を外して通り過ぎていった。

 視界の端でその動きを捉えつつ、シャイードは店主にプラムの代金を支払い、囓る。


「うん! 確かに美味い。もう一つ貰おう」

「はいよ」


 横目で男の背中を確認し、充分に離れるまで待った。

 離れた場所で追っ手の男は立ち止まり、視線を周囲に巡らせる。が、そこで別の方角へ曲がって見えなくなった。シャイードは息をつく。


「ほら、これで平気だろ。もういいか」


 プラムを食べ終え、手を拭って物陰を振り返る。すると子どもはマントの裾をぎゅっと握ってきた。改めて相手を良く観察すると、一見簡素な膝下丈のワンピースは非常に丁寧な縫製で作られており、継ぎあてどころか汚れやシミ一つない。頭だけでなく、服のあちこちにも飾りリボンが付いていた。マントを握る両手も真っ白で、桜貝のような爪が輝いている。労働者階級ではあり得ない。どこかの良家の子女に間違いないだろう。

 子どもは男が立ち去った方をじっと観察する。


「そうね……」同意した後、シャイードの方に顔を向けた。大きな空色の瞳が輝いている。

「よくやったわ、あなた。褒めてさしあげますわ」

「そりゃどーも」


 鼻を鳴らし、皮肉を込めてシャイードは答える。


「満足したなら手を離せよ」

「いいえ。このまま、庶民に恩を受けっぱなしというわけにはまいりませんわ」

「庶民て。なに? 金でもくれんの?」


 あくびをかみ殺しながら、興味なさそうに尋ねる。

 子どもは首を振った。


「あなた、旅人よね」


 シャイードは言葉に詰まる。それから自分の姿を見下ろし、腕を持ち上げてマントの匂いを確認した。石けんの匂いだ。


(なぜ分かった……? 今日は服もマントも綺麗だし……)


 子どもは身体を前傾させ、首を傾げてシャイードの顔を下から覗き込むようにした。


「うふふ、なぜ分かったか困惑していますわね」

「何で分かったんだ!?」


 子どもは姿勢を戻し、腰に手を当てて胸を張った。瞼を閉じ、唇は弧を描く。


「レディの勘ですわ!!」

「ただの勘かよ!」

「あら、勘を馬鹿にするものではありませんわよ。勘というのは、当てずっぽうという意味ではなく、観察結果を無意識下で瞬時に情報統合して」

「どうでもいいわ!」

「……というわけで。お礼として町を案内してさしあげますわ。この愛くるしいわたくしが、とくべつにですわよ? さあ遠慮なく、感涙にむせびなさい!」

「……冗談だろ? この上まだ子守しろっつーのかよ? 俺は忙しいの! いいから子どもは早くママんとこにでも帰りな」

「イ・ヤ!」


 子どもはシャイードのマントの裾を持ち、ばふばふと上下に振った。


「わたくし、子どもではありませんわ! 立派なレディなのですわ!!」

「おい、ちょ……、やめろ!」

「案内させてくれないなら、大声を出しますわよ! 警備兵がすっ飛んできますわよ!」

「それなら、最初から俺じゃなくて警備兵に助けを求めれば良かったんじゃねえ!?」


 とはいえ、余計なトラブルを抱え込むのは困る。既に近くを歩く人々のうち、二、三人が何事かと足を止め始めた。目立つのもごめんだ。

 そのタイミングで、フォスがマントの下から飛び出してきた。


「あら? なにかしら、これ! きゃあ、かわいい!!」


 マントが小さな手から解放される。自称レディは、ふわふわと頭上に浮かぶ光精霊を捕まえようと、両手を挙げてぴょんぴょんと跳ねた。

 幾つかの視線を横顔に感じつつ、シャイードは解放されたマントを整える。


「わかったわかった。とりあえず移動しよう、な?」

「これ、届かないわ。捕まえて頂戴」

「はぁ……。フォス、悪いが」


 フォスはややためらった後、低い位置に降りてきて子どもの肩に止まった。それを捕まえようと伸びる手を制止する。


「触るのは駄目だ。そうすればそこに置いておいてやる」

「しかたありませんわね。妥協してさしあげますわ。……ん」


 子どもはその手を差し出した。

 シャイードは意図を汲めず、首を傾げる。


「もうっ。礼儀がなってませんわね。こうして! こう!!」


 シャイードの片腕はマントの下から引き出され、L字型に曲げられた。その谷間に白い手がのる。


「さあ、行きますわよ!」

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