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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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ナイトメア

 両側を高い本棚に挟まれた大理石の廊下を、シャイードは歩いている。夢の中の図書館は迷宮化していて、数々の分かれ道、回転する書棚に隠された道、無数の階段や重なり合う回廊、そして行き止まりがあった。

 歩いても歩いても、書棚の列には果てがない。手近の本を開いてみると、見たこともない不思議な文字が列をなしていた。


 目印にするため、通ってきた通路の一番端にある本を一冊ずつ、背表紙が下になるように倒して書棚から飛び出させてみる。だが不思議なことに、何度道を折れ曲がっても、目印の本に再びは出会わない。進んでいるのならいいことだが、シャイードの勘は何かがおかしいと告げていた。


 歩き疲れてイライラしはじめたとき、唐突に大きな円形の広間に出た。シャイードがやってきた道を含め、そこからは八本の道が放射状に延びている。

 床には魔法陣めいた巨大な幾何学模様が描かれており、中央に何かの柱が建っていた。

 警戒しながら近づいていくと、その陰から三角帽子を被った黒い姿が現れる。象牙色の髪は解かれ、風もないのにゆっくりと波打っていた。


「アルマ……? お前、情報は喰い終わったのか?」


 迷っていたところに見知った姿を発見し、ほっと息を吐いて距離を詰める。

 アルマは答えない。帽子の広い鍔に顔の半ばまでが隠れてしまっている。シャイードは周囲を見回しながら中央に歩み出た。


「この図書館、こんなに広かったか? 出口がどこかお前、分かるか?」


 広場の中程までやってくると、唐突に自分の声が反響して戻ってきた。思わず天井を見上げる。


「うわ……」


 星空があった。呆然と見回した後、ふと足元を見下ろすと、そこもいつの間にか星空になっている。靴底に当たる硬質な感触はそのままなので、見えない硝子板に乗っているかのようだ。

 書棚は宇宙空間に浮き上がって、ゆっくりと離ればなれになっていく。


(これは、夢……か?)


 漸く、自分が夢を見ているのではないかと思い至る。


「おいアル」

「シャイードよ。我は、力を取り戻したぞ」


 アルマが腰の高さで両の掌を上に向け、腕を大きく開いた。いつもは服の下に隠されている手枷と戒めの鎖が、今は外にあらわれていた。

 鎖は水の中のもののように、不自然に浮いてゆらゆらと揺れている。


「情報を喰って……?」

「そうだ」


 そこでアルマは顔を持ち上げた。シャイードの背中を冷たい衝撃が走り抜けた。反射的に距離を取り、小剣を抜いて低い姿勢で構える。

 アルマの光のない黒い瞳が、完全な深淵になって渦巻いていた。深い、昏い、黒い、どこまでも落ち込んでいくような……

 恐怖に全身がこわばる。剣を持つ右手が震えた。


「……お前……?」


 アルマが掌を握りしめる。そして目を閉じた。長い白髪がふわりと持ち上がり、鎖が白熱する。

 彼の身体から漏れ出した膨大な魔力が奔流となってシャイードの身体を後ろに押す。顔の前に左腕を翳し、両足に力を入れて踏みとどまろうとするが、床を滑って少しずつ距離が開いてしまう。


「何を……!!」


 疑問が全て口にされない間に、パーンという高い破砕音がした。腕の下から瞼を細めてアルマを見遣ると、戒めの鎖が砕け散って彼の周囲に浮いている。キラキラと輝く、小さな星屑のようだ。それらはやがて、アルマを中心に楕円軌道を描き始めた。


「お前……、まさか、まさか……!」

「サレムの課した制約を破壊した」


 こともなげに口にして、手首をさすっている。

 シャイードは瞠目した。


「嘘、だろ……? だって、お前には、ビヨンドには……」

「もう汝の手伝いはしなくてもいい。人に危害を加えることも出来る」


 アルマはゆっくりとシャイードに近づいてきた。片手を持ち上げてシャイードに向ける。


「あとは汝の持つ鍵さえ手に入れればよい。さあ」

「駄目だ! お前は俺を手伝って、」

「もう汝は我に必要ない。汝は足手まといだ」


 言葉の槍が、シャイードの心を貫く。

 欲しくない言葉だった。

 最も傷つく言葉だった。

 痛みと衝撃で、息が出来なくなる。

 シャイードは無意識に胸に片手を当てた。そこから、血が噴き出してしまわないように。


「俺は……っ」


 溺れる人間が空気を求めてあえぐように、口を開いても言葉を紡ぐどころではない。アルマは絶対零度の瞳のまま、一歩、また一歩と近づいてくる。

 シャイードは小さく首を振りながら後退った。


「足手まといなんかじゃない!! お前は……、お前は約束したのに! 一緒に、世界を滅びから救うと! 約束、」

「汝はいらない。必要なのは鍵だけだ。ずっとそうだった。……寄越すのだ、鍵を」

「――嫌だ! ……駄目だ……っ、これは、絶対に!!」


 シャイードは踵を返して走った。

 走りながら肩越しに振り返ってみたが、アルマは追いかけてこない。その姿がどんどん遠ざかっていく――。

 突然、足元から硬質な感触が消え失せた。


「うわあああ!!」


 虚空に投げ出されたシャイードは、真っ逆さまに落下する。深淵に落下する。

 自分の下――今は頭上――には、巨大な漆黒がある。落下していく。

 落下の速度は上がり、無限大になり、時間の進みは遅くなり、無になる。

 永遠に落下し続ける。永遠に落下できない。

 動けない。息も出来ない。重い。

 身体は縦に引き延ばされながら、自分の中に小さく折りたたまれていく。


(夢だ! 覚めろ、夢!! こんなのは、ただの悪夢だ!!)


 シャイードは鍵を握りしめた。


(これだけは、……絶対に渡せない!!)


 闇の中に、光が見えた。

 光は近づくほどに大きくなり、目の前に広がって――


 ◇


「………っ!! はあっ、はあっ」


 目覚めた。顔の真上に、フォスがいる。このせいで目覚めることが出来たらしい。


「やっぱり、夢……」


 身を起こし、肩で息を整える。心音がとても早い。裸の全身に、びっしょりと汗をかいていた。左手の甲で、額の汗を拭う。

 フォスが心配そうに漂っていた。


「心配するな、嫌な夢を見ただけだ。もう大丈夫」


 疲れた顔で、片手をフォスに向けた。フォスはぽとりと枕の隣に落ちて、静かに明滅する。

 シャイードは両足をベッドからおろした。

 額に手を添え、俯く。


「嫌な夢だ」


(―――夢……)


 思い出そうとする程に、夢の詳細は断片化していく。だが、アルマの言葉だけは覚えていた。胸騒ぎがする。


「ただの夢、だよな……? まさか、アイツ……」


 アルマは夢に干渉できる。今までにも何度か、シャイードの夢に干渉してきた。

 あれがもし、ただの夢でなかったなら。汗が冷えて悪寒に変わる。

 窓の外からは相変わらず雨音がしている。眠りについてから、どれくらい時間が経ったのだろう。長かった気もするし、すぐだった気もする。


「とりあえず、汗を流してくるか」


 シャイードは借り物のバスローブを羽織る。前を閉じる前に、胸の鍵をぎゅっと握りこんだ。まだ、しっかりとそこにある。

 僅かな安堵は、だがしかし、大きな不安を打ち消すには足りなかった。

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