真実の欠片
「知らなかったのかい、シャイードくん……」
隣ではセティアスが、別の理由で驚いていた。シャイードは小さく首を振る。
「俺のいたクルルカンには、普通の奴隷さえいなかったしな。そんなに知っていて当たり前のことなのか?」
シャイード以外の全員が、顔を見合わせた。
「僕としては、1000年も恨み続ける人類の方がどうかと思ってるけどね、確かに」
「だって、おかしいだろ? 例えスティグマータの祖先が厄災……、魔神を喚び出したのが本当だったとしてもだ。コイツらには何も関係なくねぇ?」
「そうだろう!? 君ならきっと、そう言うと思っていたんだ!」
セティアスはいきなりシャイードの両手を取り、上下に振った。二度ほど往復させられてから、我に返ったシャイードが振り払う。
「やめい! ……無実の罪で中傷される辛さは、俺にも少しは察せられる。世界のどこを向いてもそれじゃ、諦めたくもなるだろうけどよ」
シャイードは目を閉じた。
(俺の場合は、無実ですらなかったが。知らないやつから敵意を向けられる、あの何ともいえない嫌な感じは覚えている)
思い出すのは妖精王の裁判で、法廷に入ったときのことだ。あれを生まれたときから、どこに行ってもされるのだとしたら。
身震いして目を開けた。
「俺にとって、今のアンタらが有罪か無罪かはどうでもいい。ここで静かに、祖先の贖罪をして生きるのが望みだってんなら、それでいいと思うし」
「どっちの味方なんだい、君は……」
「どっちでもねーよ。てめえの人生はてめえで決めろって言ってるだけだ。一番満足のいくようにな」
長老が息をのむ気配がした。
「俺が知りたいのはアンタらの祖先がどうやって魔神を喚び出したかだ。方法が伝わっていたりはしないのか? あと、やっつける方法とか、弱点とか、何か……何でも良いんだが」
「そんなことを聞いてどうするのかな?」
「いいから!」
怪訝そうなセティアスに「しっ」と鋭く言ってから、長老をまっすぐ見つめた。
『………、それは……』
「あのね、みんなで手を繋いだんだって!」
長老が迷っている間に、子どもの一人が両手を挙げて答えた。もみじのような小さな手が、シャイードに向かって開いている。
「手……? それってこの両手のことか? それとも、比喩としての」
「ひゆ? ひゆってなあに?」
長老は発言した子どもに優しい視線を向けて首を振った。
『シャイードさん、でしたかな? その質問へのお答えは、二日後の夜まで待っていただけませんか?』
「えっ」
長老は最初に彼を見たときの、柔らかな微笑みを再び浮かべていた。
『貴方は考えてみろとおっしゃった。だから考えさせて欲しいのです。貴方に、……語るべきかどうかを』
シャイードは目を細める。もう少しで核心に迫れそうだったが、すんでの所でお預けにされてしまった。
勿体ぶらずに言え、と命ずることも出来ただろうが、彼はただ頷いた。
彼らに語ったことを、時をおかずに自ら破ってみせるほど恥知らずではない。
(結局、コイツらと関わる羽目になっちまったな……)
ため息をつく。
「それじゃあ、別のことを教えてくれ。アンタらの中に、無気力病にかかったやつはどれくらいいる?」
「無気力病?」
シャイードとの接点を見いだせないセティアスが、片眉を上げた。
『……と、言いますと……?』
「知らないか? いま帝都で流行っている病だ。罹ったものは表情が乏しくなり、物事に反応しなくなり……、眠り……」
言いながら気づくが、スティグマータは見た目から判断するのが難しいのではないか。
長老もそう思ったようで、静かに続きを待っている。
「そう、最終的には眠りについて、目覚めなくなる、らしい」
『ここには八十人ほどが住んでいますが、眠ったまま目覚めていない者はいないはずです』
「………、そうか。なるほど」
現時点で罹った者が誰もいないとまでは断言できないが、少なくとも症状が進んだ者はいない、ということだ。
セティアスはまだ、シャイードの顔を観察している。シャイードは腰を持ち上げた。
「俺からはそれだけだ。邪魔したな」
「………」
セティアスは何か言いたげな顔をしていたが、その場はただ立ち上がり、二人は入ってきた扉を潜って階段を下り、建物の外へ出た。
さらに敷地を横切り、門を通って外に出て行く。門番は先ほどと変わっておらず、特に誰何などはされなかった。
しばらく通りを進んだところで、セティアスがついに口を開く。
「何を企んでいるんだい?」
「企む? 何のことだ」
「とぼけないでくれたまえ。……無気力病のこと。君は一体、何をしようとしているのかな?」
シャイードは脚衣のポケットに手を突っ込んで、歩きながら返答を考える。
「別にたいしたことじゃない。アンタに会う前、とある帝国兵から調査協力を依頼されただけだ」
「……ふうん? 随分いろんなところにコネがあるんだね、君は」
「そんなんじゃないさ。あーあ、なんか腹減ってきた」
屋台で食べてから随分時間が経過していた。雲間からのぞく太陽の傾きを見るに、昼食の時間はとっくに過ぎている。
シャイードは話題を変えがてら、何となく呟いただけだったが、セティアスはすぐに反応した。
「おお、それならば共に食事はいかがかな? 強引にこんなところまでつきあわせた埋め合わせはさせて貰うよ」
「ぅえっ……、いや別に、そういうつもりじゃ」
及び腰になったところに、馴れ馴れしく肩を組まれた。逃げられない。
「まあまあ、遠慮するなんて君らしくもない。船で別れてからの旅の話を聞かせてくれたまえよ」
「えぇ……。何も面白いことは……」
「少し歩いて大通りまで出れば、また辻馬車が拾えるだろう。僕は旧市街にある百椅子亭ってところに部屋を取ってるんだけど、料理がなかなか美味しいんだ。そこに行こうか」
首根っこを押さえられたまま、ぐいぐいと引きずられる。
本気で抜けようと思えば抜けられるが、結局はつきあうことにした。
メリザンヌの個性的な料理はもう懲りたので、どのみち外で夕飯を食べてから帰宅するつもりだったのだ。
誰かと食事とするのは好きではなかったはずが、妖精郷でロロディと食事をしてからというもの、不思議なことに抵抗が薄まっている。
「……酒も好きなだけ飲ませて貰うぞ?」
「おお、いいとも! さあいざゆかん!」
◇
たらふく食べて飲んで、シャイードが店を出たときには雨が降っていた。いつから降っているのか分からないが、石畳は既にしっかりと濡れていて、小さな川が水路に流れ込んでいた。
なるべく店舗の軒下を歩いたり、走ったりはしたものの、家にたどり着いたときには完全に濡れ鼠だ。洗濯のためとはいえ、マントを置いてきたことが悔やまれる。
メリザンヌが出迎えてくれ、一旦家の中に戻ってタオルを持ってきてくれた。戸口でよく身体をふき、ブーツの泥をぬぐってから家に入る。
その間、メリザンヌから夫のリモードについての話を聞いた。彼はまだ床についてはいるが、すっかり気力を取り戻したそうだ。
長らく眠っていたせいか今は眠気が皆無らしく、ベッドの上にコの字型の小テーブルを置いて執筆活動を再開している。
仕上がっていた歌劇の方は、アルマに出演を断られたことから公演を諦め、今は新たに別の歌劇を書き始めたという。役者不足を補うよう登場人物を絞った上、主演が一人二役をこなすことが仕掛けとなる物語らしい。
話を続けながら、メリザンヌはシャイードが部屋に向かうのに付き添った。扉を開き、灯りをつけて振り返る。
「あんなに楽しそうな旦那様を見るのは久しぶりよ。貴方たちのお陰ね、私の可愛い子。なんてお礼を言えばいいのかしら……!」
「礼はいい。別にアンタのためじゃない。アレは元々、俺たちの敵だからだ」
シャイードはひらりと片手を振った。フォスが飛んできて、顔の周りをぐるぐると回る。メリザンヌがその動きを目で追いかけた。
「その子、昼間は中庭を飛び回っていたのよ。あら、ところでお夕飯はどうしましょう? もしまだ……」
「い、いや! 外でたまたまセティアスと会ったんでな。食ってきた。気にするな」
シャイードはぶるぶると首を振る。メリザンヌは知った名前に少し驚いた後で、「そう……」と眉尻を下げて残念そうにした。
「洗濯物は椅子の上に置いたわ。お風呂も好きな時間に入ってね。温熱石も補充しておいたから」
「ああ」
メリザンヌはまだ立ち去りがたい様子で会話の糸口を探していたが、濡れた服を脱ぎたいシャイードが垂らした片手を前後に振ったことで、諦めてドアノブに手を掛ける。
そして振り返った。
再び、何か言いたげにシャイードを見つめていたけれど、何も言わずに部屋を出て行った。
部屋に一人残されたシャイードは、とりあえず濡れた衣服を全部脱ぎ、靴も脱いで裸でベッドに倒れ込んだ。枕に顎を埋める。
「はぁ……、疲れた。おい、アル……」
魔導書の名前を呼びかけて、はっと口を噤む。アルマはまだ帰っていない。部屋にはシャイードとフォスだけだ。
そのせいか、昨夜と同じ部屋のはずなのに、妙に広く感じた。
「……あーあ! 鬱陶しいのがいなくて、清々だ」
身体を転がして仰向けの姿勢になり、唇を尖らせる。ふわふわと飛んでいるフォスに手を伸ばした。フォスは指に絡まったあと、またふわふわと天井付近に浮かんでいく。
その動きを視線で追いながら、シャイードは別れ際のアルマを思い出していた。
「つかアイツ、俺のことを役立たずみたいに言いやがって……。くそっ、思い出したらまたむかついてきた」
シーツの上で羽ばたくように両手を滑らせた。隣のベッドを見遣る。今朝、使ったように見せかけるためにわざと乱した掛け布団は、丁寧に整えられていた。
胸の上のペンダントを無意識に握りこむ。
「アイツ、ちゃんとやれてるのか? 何かとんでもないへまをしでかしてないだろうな」
もやもやしていたが、満腹なことも手伝っていつの間にか眠りに引き込まれていく。
――夢の中には、アルマが出てきた。




