大罪を継ぐ者たち
(本気か!?)
馬車の中でうすうす察したことではあったが、セティアスの目的はスティグマータをこの帝都から逃がすことであるらしい。
シャイードは目を細めた。吟遊詩人はいつになく真剣な表情で前を見ている。
スティグマータたちに視線を戻すと、長老は目蓋を閉じていた。だが驚いたのは子どもたちの変化だ。彼らの顔に、いくばくかの感情が浮かんでいる。
お互いに顔を見合わせたり、手を握り合ったり、セティアスの方をじっと見つめていたり、落ちつかない様子だ。
「門の外に行っていいの、……イインデスカ?」
たまりかねたのか、年長の子がついに口を開いた。子どもらしい口調でセティアスに問うた後、慌てて機械的な丁寧語に言い換えている。
セティアスが微笑んで答えようとしたとき、脳裏にたしなめる調子の言葉が届いた。
『希望を与えて奪うのは、何よりも残酷なことです』
「叶わぬことではありません。そのために、彼を連れてきました」
吟遊詩人は隣の背中を軽く叩いた。
「彼の名はシャイード。腕利きの引き上げ屋、つまり遺跡探索のエキスパートです。彼がいれば、入り組んだ地下道を突破できる」
「おいっ! なに勝手に……」
シャイードは焦った。
だがセティアスは落ち着き払った瞳で見つめ返す。
「君は既に、心の底では決断しているのではないかい? 助けられなかったスティグマータの代わりに、彼らの力になりたい、と」
シャイードは大声で否定しようとして、横顔に子どもたちの視線を感じた。声を潜め、抗議する。
「馬鹿なことをいうな! 俺はここの地下道について何も知らないぞ!? 遺跡探索は地図を作りながら少しずつ慎重に進めるものであって、一度で突破なんて」
「それは心配しなくていい。君には幾つかある扉を開き、絡繰りを解除して欲しいだけだ」
「随分と簡単に言ってくれる。魔物は? 入り組んだ場所は魔力がよどみやすいから、魔物が湧いているものだぞ」
「それも心配いらない。この都市はそもそも魔力濃度が低いから、魔物が湧きにくいんだ。いるのは低級魔物だけだろう」
「それだってゼロじゃないだろうが。他に護衛のあてはあるのか?」
「君と僕だけ。……いや、もしかしたらもう一人」
「たった二、三人で、戦えない多数のニンゲンを護衛して地下道を抜ける!? 正気の沙汰じゃない。子どもや老人、怪我人・病人はどうする気なんだよ」
「彼らは非力なわけじゃない。交代で背負うことだって」
「無理だ……! 安全を保証できない」
シャイードは眉根を寄せて首を振った。セティアスは首を傾げ、ゆっくりと目を細めた。唇が弧を描いていく。
「断る理由はそれかい? だからこそ僕は、君に頼みたいんだよ」
「なっ……」
不意打ちの信頼に戸惑うが、それでもシャイードは、頑なに首を振った。やはり無理だ。無理な理由しか見つからない。
未知の地下道。多数の足手まとい。さらに彼らは民に厭われている奴隷だ。逃亡が発覚すればただではすまされないだろう。よしんば帝都から出られたとしても、帝国の版図から出られるわけではない。追っ手が掛かれば再び人数が足枷になる。
『それ以前に、そもそも我々は解放を望んではおりません』
ぐるぐるする思考を止めたのは、長老の静かな意志だった。
『ここで決められた仕事をこなしていれば、生きていられるのです。それ以上は何も望みません』
子どもたちの瞳から、次々に光が消えていくのを見た。無表情になったのではない。そこには絶望が浮かんでいた。与えられてから奪われた者の表情だ。
「いや、それは違う」
重さを増した空気に、セティアスの凛とした声が響く。彼は床に片手をついて身を乗り出した。みなの視線が集まる。
「貴方たちは既に生きていないし、まだ生きてもいない。ただ肉体が死んでいないというだけです。――なぜ? どうして? 貴方たちも僕も同じ人間だというのに。貴方たちは無知の箱庭に囚われている。故に世界の広さを知らない。自然の美しさを知らない。人の温もりを知らない。愛されることを知らない。愛することも知らない。望みを知らない。願いを知らない。夢を知らない。限界に挑戦することを知らない。自分が何者か、何者になれるのか、考えることを知らない! これは生きることに対する冒涜だ!」
「おい、何もそこまで……」
シャイードの制止を無視し、セティアスは片手を持ち上げた。長老をまっすぐに指さす。
「貴方たちは怠惰だ! 暴言や冷ややかな視線、石つぶてに怯えているのに、誰も立場を改善しようとしない。逆らわずに従っていれば、いつか嵐は過ぎ去ると思っている。そうして何年経った? 10年? 100年? ……ああそうだ、1000年だ! 誰が罪を許してくれた? 何人の仲間が、身に覚えのない罪を諾々と受け入れて、生きることなく死んでいった? 貴方たちの贖罪は贖罪たりえたのか? ――否! それは贖罪ですらない。貴方たちは考えるのを放棄しただけだ。自分の足で人生を歩もうとしないだけだ! さあ、今こそ立て! 羽ばたけ! 僕こそが自由の風だ!!」
セティアスの瑠璃色の瞳が燃え上がるのを目の当たりにし、シャイードは伸ばした手を引っ込めた。
つかみ所のない男だと思っていた彼に、これほど情熱的な面があったとは。
(他人のことなのに、なんでそこまで……? 何がコイツを駆り立てるんだ?)
長老は穏やかな笑みを浮かべたまま、深く吐息した。室内に沈黙が訪れる。その服を、子どもたちがつかんだ。彼は強風から守るように、子どもたちの肩をまとめて抱く。
『我々を哀れむには及びません。我らはここで、誰かがやらねばならぬ仕事をしているだけなのです。先の皇帝陛下が我らをこの場所に集める前は、語るのもはばかられる酷い暮らしをしていたものです。あのような暮らしを、この子らに味わわせたくは……』
セティアスはこの言葉に表情を硬くした。
「僕は……哀れんでなどいません。それに貴方たちの仕事を卑下しているわけでもないんです。酷い仕事だから逃げろと言っているのではない。貴方たちのその重要な仕事に対して相応の報いが――尊厳が与えられていないことに憤りを感じているのです」
『尊厳……?』
「そうです。貴方たちはここでは死者を弔う大切な仕事をしているが、尊敬も感謝もされていない。それどころかこの仕事に限らず、貴方たちはどこで、どんな過酷な仕事をしていても、尊敬も感謝もされて来なかった。すなわち、人としての尊厳が与えられていないのです」
『人としての……』
長老は眉根を寄せて視線を落とし、深く考え込んだ。
彼の表情の変化に、シャイードは気がついた。今までは穏やかな眠りの中にいたようだったのに、今は目が覚めている。寝起きに頭から水をかぶせられ、その冷たさに驚いているように見えた。
「ぼく、外に出てみたい……な……」
一番幼い子どもが、長老の粗末な衣服を引っ張りながらぽつりと口にした。とても小さな、消え入りそうな声ではあったが、確かに主張したのだ。
「あたしも。もっと友達が欲しい」
『お前たち……。いや、やはり駄目です。危険が大きすぎます』
長老は力なく首を振った。セティアスは腿の上で、拳を握りしめている。
シャイードは俯いてボロボロの絨毯を見つめていたが、やがて顔を上げた。
「俺が口出すことじゃないとは思うが……、すぐに決定せずに、少し考えてみたらどうだ? 仲間にも意見を聞いてみるとか」
「シャイードくん……」
「いや、違ぇよ? 俺自身はやめておいた方が良いと思ってる。分の悪い賭けなのは確かだし。だがこれはアンタらの、いや、アンタら全員の問題だから。安易に決定して、後悔することのないようにしとけって意味だからな!?」
セティアスは綻びそうになる口元をぐっと引き締めた。
「彼の言うとおりですね。物事には時期があるのです。次の新月にまた来ます。結論と決行はその時に」
「は!? 次の新月って……」
「明後日だね」
「明後日!?」
シャイードは素っ頓狂な声で繰り返した後、再び「正気か!?」と呟く。
「まあ、いろいろ都合があるんだよ。こっちにもね」
『………。結論は変わらぬと思いますが……』
そう語る音なき声には、迷いが滲んでいた。
「今はそれで充分。それでは、この辺で」
「待て、待て! 俺もこいつらに聞きたいことがある」
立ち上がろうとしたセティアスを制し、シャイードは前を向いた。
「アンタらの罪が何なのか、俺は知らない。ずっと気になっていたんだが、1000年って言葉が引っかかった。なあ、もしかしてそれって……」
『………。広い世界には、我らの罪を知らぬ方もいらっしゃるのですね』
すがりつく子どもたちの頭を順に撫でながら、長老は静かな思考を送ってきた。子どもたちはみな、悲しげに目を伏せている。
『――祖先の犯した拭いきれぬ大罪は、我らの血に受け継がれ、罪人の証となって身に刻まれています。数多の命を奪いし罪、世界を破滅へ向けて転落させた罪――。そう、異界より”滅びの魔神”を、喚びよせた罪です』
「つまり……、厄災、を……!?」
シャイードは衝撃を受けた。




