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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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春告鳥の目論見

 ひとしきり笑った吟遊詩人は最後に息を吐き出し、真顔に戻った。シャイードも不本意ながら口を噤み、改めて周囲に視線を向ける。

 踏み固められた土がむき出しの広場の周りに、簡素な煉瓦造りの四角い建物が点在していた。大きさは大小様々だ。正面にある一番大きな建物からは、外からも見えた高炉が立ち上がっている。煙がたなびいていた。

 そして遠巻きにシャイードたちを見つめる、人々の姿。薄汚れた粗末な服を身につけており、みな何らかの作業中らしい。

 台車を押している者や、壺や箱を運んでいる者など、様々だ。老若男女も様々だったが、共通しているのは身体のどこかに魔法紋のような不思議な痣があり、黒い鉄の輪を身につけていることだ。


「ここにいるのは、全員スティグマータだよ」

「みたいだな」


 広場への侵入者に一瞥を向けた後、スティグマータ達は何事もなかったかのように各々の仕事に戻っていく。

 誰も口をきく者はおらず、接触してくる者もなく、妙に静かだ。


「ここで何をやってるんだ?」

「葬送だよ」

「そうそう?」

帝都ここのスティグマータに与えられた主な仕事は、不浄なものを浄化すること。町中からゴミを集めてくるし、死体も集めてくる。まあゴミの方は、流石に全てを集めるほど人手が足りていないから、焚き付けに使えそうな一部だけだがね」

「死体!? ああ、葬送か」


 セティアスは頷いた。


「帝国では死、……というか”死体”は不浄のものとされている。昔は土葬だったが、死者が頻繁に蘇ることがあったようでね。今は火葬されているんだ。そしてその不浄な仕事を引き受けるのが、彼らだ」

「ふうん。思ったより酷い仕事でもないようだな」

「………、まあ、仕事そのものはね」


 セティアスは一瞬言葉に詰まったのち、同意を返した。


「君の言う通り、他所のスティグマータ達に比べたら、ここの待遇はずっとましだろうね」

「他の土地にもスティグマータはいるのか?」

「もちろんだよ。遠い昔、彼らはその罪のために、わざとばらばらに散らされたのだから。……ついておいで」


 罪について問いを重ねようとした矢先、セティアスは先に立って歩き始めた。あの大きな建物に向かっているようだ。

 シャイードは左右に視線を向けながら、後を追う。


 建物の内部は熱気が充満していた。鉄の蓋が開かれ、石の板が引き出されたところだ。

 そこに白い瓦礫が載っていた。

 いや、違う。良く見ればそれらはみな骨だ。頭蓋骨と目が合い、シャイードは人骨であることを知る。その虚ろな眼窩が、奇妙に陽気な様子で笑いかけてくるように見えた。


「う……」


 遅れて漂った匂いに、嗅ぎ憶えがある。シャイードの脳裏に、燃える森と煙と人間達のシルエットがフラッシュバックし、どっと冷や汗が出た。

 頭から血が引き、足元がふらつく。


「おっと。少々刺激的だったかな?」


 セティアスが隣から咄嗟に支えてくれなければ、無様に膝をついていただろう。シャイードは襟元を持ち上げて鼻と口を押さえ、その状態でゆっくりと呼吸した。

 それから相手の胸に手を当てて押し戻す。


「大丈夫だ。……ちょっと嫌な事を思い出しただけで」


 セティアスは腕を放したが、膝に片手をついて俯くシャイードをしばし気遣った。その間にも、スティグマータ達は火ばさみを用いて手際よく骨を拾い、壺に集めていく。

 シャイードが何とか顔を持ち上げた頃には、骨はすっかり見当たらなくなっていた。それらはまとめて一つの壺に入れられ、木箱に詰められて別の部屋へと運ばれていく。


「帝都となって以来、さらに人口が増えたから、火葬というやり方は合っているんだ。過密区画に埋葬を待つ遺体が長く放置されると、疫病を生みやすいからね。さらには埋葬地を節約できて、合理的でもある」

「ここのニンゲンは、墓を建てて故人を偲んだりはしないのか」

「故人を偲ぶ方法としては、仕事道具や指輪やパイプなどの愛用の品を受け継いだり、遺髪の一部をロケットに入れて身につけたりするよ。一部の貴族や金持ちは例外的に、敷地内に記念碑を建てたりもするが」

「そうなのか……」

「魂が冥界神ヨルの元へ行けば、残された死体はただの物体でしかない、という考えだね。とはいえ、一般的な意味での墓もちゃんとあるのだけれど」

「えっ?」

「あの骨の行き着く先さ」


 セティアスは隣の部屋への入口を指さした。


地下墓所カタコンベって言葉を聞いたことはないかい? あれらの骨は、この町の地下に眠っている。いわばまあ、みんなが墓の上に住んでるみたいなもんだ。いつだって好きなところで故人を偲べばいいってわけでね。幸い、地下は穴だらけだ。ここはもともと、鉄鉱石の鉱床から発展した都市だから」

「そういう……、ことか」


 町の沿革とも符合する。確かに合理的だ、とシャイードは納得した。ここでは町の各所から集めたゴミを使って遺体を骨にし、地下墓所へと収納している。


「まあでも、スティグマータでなくても出来そうな仕事だな」

「それはそうさ。誰がやったっていい。実際、前皇帝がスティグマータを帝都に集め始めてからのことだ、これが彼らの仕事になったのは。遺体に触れるのは穢れた仕事だから、穢れた奴らにやらせよう、っていう魂胆なんだろうね」

「前皇帝は、そのためにわざわざ、各地からスティグマータを集めたってのか……?」

「さあね。半神が何を考えていたかなんて、僕は知るよしもない」


 セティアスは肩をすくめた。口調が皮肉めいている。


「ここのやつらは満足しているのか? この待遇に」


 唐突に指を鳴らし、セティアスは人差し指をシャイードに向けた。


「僕が知って欲しかったのは、まさにそこなんだ! 来て」


 吟遊詩人はシャイードを手招き、建物を出た。そしてすぐ隣にある別の建物へと入っていく。


 新たな建物は住居らしかった。入ってすぐ、横長の空間がある。床にはぼろぼろの絨毯が敷かれ、住民らしき女が大量の布を運んでこちらに近づいてくるところだ。

 左前方に階段があり、左右に扉のない出入り口があった。その向こうはどちらも部屋になっているようだ。人の気配がした。


「こんにちは。長老はいるかな?」


 セティアスが話しかけると、女は僅かに目を大きくした後、視線を階段に向けた。やはり無言だ。


「どうも」


 女は暗い表情のまま小さく頷き、二人の前を横切って左手の出入り口へ消えていく。持っている布は、彼らが身に纏っている服と同じ素材で、ほのかに石けんの香りがした。取り込んだばかりの洗濯物なのだろう。


「……あいつら、何で誰も口をきかないんだ?」

「僕や君を、思いやってくれているんだ」

「……へ?」


 先に立って階段を数段昇り、セティアスが振り返る。


「彼らはね、とっても優しい人たちなんだよ。生まれたときからすり込まれた、罪の意識がそうさせるのかも知れない。生きることは罪を贖うことだと思っている」


 シャイードは眉根を寄せた。


 階段の上には扉があり、セティアスはそこをノックしてから開いた。

 小さな正方形の部屋だ。ここにも古びた絨毯が敷かれていたが、階下にあったものより状態が良い。どちらもゴミとして捨てられたものを再利用しているのだ。

 壁には四角く開けられただけの窓がある。雨の日はどうしているのだろう、とシャイードは訝った。


 部屋の奥に老人が座っていた。当然スティグマータだ。奇妙な模様の痣は額にある。

 四肢は枯れ葉のようにやせ細り、肌は浅黒い。頭髪はほとんどなくなってしまっていて、僅かに残ったか細い髪が煙のように耳の周りにたなびいていた。

 両腕には鉄の輪があったが、大きすぎてぶかぶかだ。

 そして彼の周りに、四歳くらいから七歳くらいまでの幼い子どもたちが四人いる。積み木をして遊んでいたが、シャイードたちが入ってくると老人の後ろに隠れてしまった。

 ここで見かけた他のスティグマータ達と同様、みな簡素な生成りの布服を身につけている。

 セティアスは老人の前で腰を落とし、丁寧に頭を下げた。シャイードはまだ、扉の傍に立ったままだ。


「こんにちは、長老。吟遊詩人のセティアスです。僕も彼も気にしませんので、会話をしていただけませんか?」


 長老は口を開き、唇と舌を動かした。何かを言った、もしくは言おうとしたようだが、ささやき以上の声になっていない。

 セティアスが身を乗り出して聞き取ろうとしている。

 長老は口を閉じ、両手の鉄輪を外して離れたところに置いた。


『しばらくまともに発声していなかったので、すぐには声が出ぬのです。すみませんが、これで許してくだされ』

「あっ!」


 言葉は頭に直接流れ込んできた。シャイードは反射的に両手で耳を塞いでしまう。当然、無駄な仕草だ。子どもたちの視線が集まる。全員が死者のように無表情で、シャイードは背筋が冷えた。


(無気力病なのか? こいつら……)

「大丈夫だよ、シャイードくん。僕の隣に」


 セティアスは片膝をついた姿勢から胡座に変え、右隣を叩いた。シャイードは警戒し、ゆっくりした動作で、同じ姿勢を取る。子どもたちは相変わらず、シャイードをじっと見つめていた。


「アンタも心の声の魔法が使えるのか」

『すぐ近くにいる相手にだけですが、はい』

「君の知っていた子もそうだったのかな?」

「……ああ」シャイードはセティアスに頷いてから続ける。「スティグマータはみんな、そうやって話せるのか?」


 長老は近くの子の頭を撫でた。その表情には穏やかな笑みが浮かんでいる。


『全員ではございませんが、ほとんどは。生まれつき話せる者もおりますし、後天的に話せるようになる者も。力の強さもそれぞれで、触れたものにだけ伝えられる者もいれば、遠くにまで声を届けられる者もおりますよ。ただ、鉄輪を身につけている間はできません』

「そのための鉄輪だね」

『もちろん、本来は勝手に外せませんし、外すことも禁止されています』


 彼は静かに口元に人差し指を立てた。


「どうしてみんな、口をきかない? 話せないわけじゃないんだろ?」


 長老はセティアスの方に瞳を動かした後、目を伏せた。シャイードは至近距離まで来て初めて気づいたが、彼の目は若い。一見高齢に見えるが、本当は五十代くらいなのではないか。


『我々と口をきくと、不幸や死を招き寄せると信じられているからです。誰も我々と関わりを持たぬ方が良いのです。――既に死んでいる者を除いては』


 長老は顔を上げた。


『悪いことはいいませぬ。早く立ち去られるがよろしいでしょう。貴方たちは生きておられるのだから』


 迷子にかけるような、優しい口調だった。

 シャイードはセティアスを見て片眉を上げた。これがアンタの見せたかったもの? と瞳で問う。

 セティアスはシャイードの視線を受け止め、それから長老を見る。

「いいえ」と、彼は一言で二人に答えた。


「貴方たちこそ、立ち去るべきだ。――僕とここから逃げましょう。全員で。外の世界に、貴方たちを待つ仲間がいます。貴方たちは誰一人として罪人ではない。解放されるべき存在だ」

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