即興歌
セティアスに追いつき、隣に並ぶ。その間、彼は一度も振り返らなかった。
それがまた腹立たしい。
「まだ引き受けるとは言ってねーのに」
「ははっ。知識神曰く、”見は知の一番手”だよ」
「四の五の言わずに、見てみろってことか」
シャイードはため息をついてポケットに手を突っ込んだ。金貨は握ったままだ。周囲に油断無く視線を走らせる。
「おい、どこに行くつもりだ」
「まあまあ。少し遠いけれど、観光とでも思ってくれたまえ。おお、丁度良いところに辻馬車が!」
セティアスは片手を上げて馬車を止めた。御者と二言三言話した後、シャイードを片手で招く。
「馬車で行くほど遠いのか?」
「馬車で行けばすぐだから」
シャイードは逡巡したが、結局は馬車に乗り込んだ。座席に着き、またため息をつく。
セティアスは向かいに座り、そんなシャイードの様子を見て口元を緩めていた。
「………。なんだよ」
「いや別に? 君って案外、お人好しなんだなぁ、なんて思ってないよ」
「お人好しじゃねーし!」
(そもそもヒトじゃねえ!)
心の中でも反論しつつ、そっぽを向いた。
「思ってないって言ったのだけれどね? ははっ」
セティアスはリュートを構え、弦を爪弾く。感傷的な旋律を背景に、シャイードは流れゆく景色を眺めた。人々の平和な暮らしがそこにある。だが目をこらして良く見れば、自由を奪われ、使役される身となった人の姿がそこかしこに見えた。
(俺には関係ねーし。ニンゲン達が好きでやってることだろ。ニンゲン同士で解決すべき問題だ)
腰に佩いた妖精王の証を無意識に触る。
(俺が責任を持つべきは師匠の願いと、妖精たちの未来だ。……ほんとにそうだ。こんなところで足踏みをしてる場合じゃない。何とかして厄災を倒す手がかりをつかんで、滅びを回避する。――アルマが何かをつかんでいれば良いが)
そこまで考え、何とも言えない疲労に頭を垂れた。
(くそっ。まだあの蜘蛛のビヨンドのことさえ何も調べられてないぞ。これじゃ俺の方が足手まといだ。何のためにこんなとこまで来たんだよ)
焦燥に胸を焦がされる。歯がゆい。
「……君の使命は、とても重いもののようだね」
「!!」
シャイードは頭を跳ね上げた。心を読まれたかのようなタイミングだ。吟遊詩人は指の動きは止めぬまま、まっすぐにシャイードを見つめている。
「命を賭けて海に落ちた友を救い、遙か帝国まで手がかりを求めて旅をする。君の亡くなった師は、一体どんな責任を君に託したのかな」
「アンタには」
「関係ない、かい?」
吟遊詩人は先回りで口にした。
「確かに、僕は君のことを大して知っているわけではないけれど、同じ世界に生きている以上、関係ないってことはないんじゃない?」
「どういう理屈だよ」
「行いはどこでどう関係してくるか、誰にも分からないってことさ。とある場所での蝶の羽ばたきが、別の場所に竜巻となって襲いかかることだってあるかもしれない」
シャイードは無言で眉根を寄せた。
「僕にも夢があってね。それも身に余るほどの大きな夢が」
「なんだ唐突に」
「まあ聞いてくれたまえ。――けれど悲しいかな、僕には権力もないし財力もない。知恵だってたかが知れてるさ。あるのは若さと健康と、こいつくらいなもので」
彼はリュートを腿から少し浮かせた。
「だから僕には、君が必要だ。僕の足りない手の長さ分、君の手を借りる。別の方面で足りない場合は、他の人からも借りる。いろんな人に手を貸して貰って――たまには足や頭も貸して貰って――なんとか僕の望みを手元に引き寄せようって魂胆なのだよ」
「………。でもそんなの、あちこちに借りを作るみたいじゃないか? 自分が無能だって宣伝しているみたいで俺は」
「ははっ、そうかもね。そういう意味なら、僕は既に負債王の無能王かも知れないなぁ」
ひとしきり笑った後、セティアスは手を止めてゆったりと息を吐き出した。
「これから僕が頼むことでも、僕は君に大層な借りを作ってしまうことになるだろうね。金貨で購えればいいけれど、出来れば君にも、進んで手伝って欲しいんだ。君の意志でね。これは正しいことだって思って欲しい。君を僕に、関係させたいってわけなんだ」
「正しいこと……」
シャイードは鼻の下に拳を添え、一度目蓋を閉じた。それからゆっくりと開いて、吟遊詩人の瑠璃色の瞳をまっすぐに見る。
「アンタのやろうとしていることが、何となく分かった気がする。向かっているところも。俺に会わせたい奴らがいるんだな?」
セティアスは目を細めた。
馬車は軽快な速度で道を走り、川に架かる橋を渡った。高炉が並び、鎚音の賑やかな鍛冶工房街を過ぎると、急に寂れた雰囲気の区画に出る。
位置的には王城の北西側だ。二人はそこで辻馬車を降り、道を歩いて行く。
間もなく、煉瓦の塀が立ちふさがった。
「この向こう側に、彼らが囚われている」
「スティグマータか」
シャイードの言葉に、セティアスは無言で頷いた。この場所から中は見えない。
ただ、敷地の中に高炉があるのは見て取れた。
「ここでも鉄を……?」
「いや、あれは別の用途に使われている。彼らの主な仕事だ」
「囚われているって、さっきは普通に外を歩いていたが」
「それも仕事のためにね。ついてきてくれ」
塀にそって進むと、程なく門が見えた。門には兵士が二人立っている。
セティアスはリラックスした歩調で門に近づいた。気づいた兵士が、視線を向けてくる。
「何か用か」
「ご依頼にて、弔いを届けに参りました」
「楽士か。よし、入れ」
あっさりと開門され、セティアスは一礼して門を潜る。シャイードも続こうとしたところ、「待て」と至近距離から声を掛けられた。肩に兵士の片手が乗る。
「こっちのガキは?」
「ええ、彼が歌います。わたくしは楽器を弾く方で」
(えっ!?)
平然と嘘をつくセティアスに、シャイードはぎょっとして視線を向けた。少し顔に出てしまったようで、兵士の一人が怪しむ。
「本当か? 何かちょっと歌ってみせろ」
(う、歌ーーーっ!?)
「もちろん。おやすいご用ですよ」
セティアスは言い、リュートを構えた。シャイードをちらっと見る。
(待て待て待て、歌なんて何も知らん……!!)
激しく瞬いて、意図を伝えようとするが、伝わったのか伝わらないのか、吟遊詩人は弦を爪弾き始めた。聞いたことのない旋律が流れる。
(ちょ……っ!!)
「どうした、早く歌え」
「……あ、あーー。んんっ」
発声と咳払いのふりで僅かな時間を稼ぎ、シャイードは頭をフル回転させた。サヤックがいつも隣で歌っていたというのに、何も覚えていない。そもそも気まぐれな彼の歌は、即興が多かった。
(どうしよう、どうする、……ええいままよ!)
とにかくこれ以上は引き延ばせない。覚悟を決め、腹に片手を当てて目をつぶった。
「曙にーー逍遙し、白樺のーー木立に入りぬ。朝霧のーーヴェールをーー」
アルマが昨日読み上げていた詩を、サヤックの歌を思い出しつつ適当な抑揚をつけて歌ってみた。セティアスが目を伏せ、即興で合わせてくる。薄目を開けて確認すると、その肩が小刻みに震えていた。
(おのれぇ……!)
必死に歌詞を紡ぎながら、笑みを堪える吟遊詩人に怒りをたぎらせる。
「あ、この詩は聞いたことがあるな」
「音、外れてないか? ん? 合ってる、のか……?」
音の方が合わせてくる超絶技巧で、兵士たちが何となくだまされてくれた。
「よしいいぞ、入れ」
「どーも」
シャイードは心臓をばくばくさせながら門を潜る。背後で門が閉じられた。
二人とも神妙な顔をし、黙って広場の中央まで歩いたが、とうとうセティアスが耐えきれずにぶはっと吐き出した。
目蓋に片手を当て、喉奥を引きつらせて笑っている。シャイードは屈辱で真っ赤だ。握り拳を震わせる。
「フーリティスの叙情詩とは。いやはや。渋いところをついてくるね、君は」
「知らねぇよ! アンタが無茶振りするからだろうが! 歌うのなんて生まれて初めてだ!」
「そうなのかい!? 思いもかけず、君の初めてを一つ貰ってしまったようだ。ふむ……、声質は良いセンいってるし、本格的に勉強してみない?」
「誰がするか!」