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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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金貨の行方

「いってえっ!? な、なんだ?」


 若者は老人を手放し、手に当たった何かを視線で探す。

 その金の輝きは大きく跳ね、駆け寄るシャイードの足元に転がってきた。素早く拾い上げて目を剥く。


金貨ガルド!?」


 大型銀貨シルク12枚分の価値がある金貨だ。シャイードは咄嗟に掌に握り込み、こんな大金を投げた者を探す。


 ――ジャララン。


 折しも弦のはじける音が聞こえ、状況に固まる人々を割って姿を現した。


「年長者は敬うものだよ、怒れる若者くん。謝罪ならばわたくしが引き受けよう」


 気取った物言いと、鍔広帽から流れ出る派手な髪色。見知った姿だ。


(セティアス……!?)


 吟遊詩人はシャイードには気づかず、呆然とする若者の傍をすり抜けて老人をいたわった。

 老人は無言で首を振っている。

 スティグマータを背にかばい、セティアスは若者に向き直った。彼は楽器を脇に抱えて腹に片手を当て、深々と腰を折る。

 それから顔を上げ、我に返った若者に笑顔を向けた。


「”憤怒は不幸の親”と申します。ご自身のためにも、ここは穏便に。ね? 破れを気にするお時間で、新しい服をお求めになると良いでしょう。商談ならばなおのこと、どうか急がれよ。バーラキ神の恩寵がありますように」


 若者は舌打ちをしたが、商談のことを思い出したらしい。


「まあいいだろう。服代で手を打ってやる。早く寄越せ」

「おやおや? 今しがた、貴方の手に向けて投げたのですが」

「さっきのはお前か!!」


 若者は痛みを思い出したのか、手の甲を撫でながら噛みついた。

 二人が道に視線を泳がせ始めたタイミングで、シャイードは彼らに近づいた。


「服代なら、こっちで充分じゃね?」


 と、大型銀貨シルクを若者に向けて指で弾く。若者は、今度は受け止めることに成功し、手の中を確認した。口端をいやらしく持ち上げたのち、シャイードを見た。


「何だぁこのチビは。まあ、誰でもいいや。おい、呪われ野郎。次はねえからな!?」


 シャイードは鼻筋にしわを寄せた。


「キサマこそ、二度目はねえからな……」


 チビと呼ばれたことで半眼になりつつ、低く呟く。若者は気づかず、立ち去った。

 立ち止まって遠巻きにしていた人々も、それぞれの進路へと戻っていく。



「おお、おお! 誰かと思えば、君は勇敢なるドラ」

「シャイードだっ!!」

「勿論そうだとも! ああ、僕は君のことをずっと案じていたんだよ、シャイードくん。麗しき友情のために、あの冷たい深淵に飲まれてしまったのではないかとね……。ところで肝心の相棒の姿が見えないけれど?」

「お、お……」

「お?」

「お前かーーーっ!!」


 そうだ、そうだった。アルマのことをうっかり”相棒”などと口走ってしまったのは、思い起こせばこの吟遊詩人が以前そう口にしていたからだ。たぶんきっと。おそらく。

 セティアスは当然、シャイードの突然の指さしに面食らった。


「僕が、どうしたって?」

「くそっ。こっちの話だ!」

「黒ノッポくんは息災かい?」

「食い過ぎてぶっ倒れてない限りはな」

「………、フードファイトにでも出てるのかな?」


 セティアスは瞬いた。答えてやる義理はないので、シャイードはこの質問を無視する。

 代わりに握っていた金貨を指で弾いた。


「おっと、……おやおや?」


 胸の前に飛び込んで来た金の光を反射的に受け止め、セティアスは驚く。


「おひねりにしては高額だね? 僕を何日雇いたいのかな」

「アンタが投げたんだろうが……」


 額に手を当て、シャイードは盛大にため息をついた。


「悪党相手にやけに気前が良いと思ったら、案の定、投げる硬貨を間違えてたのか」

「おや? そうだったかい? それはとんだ大失敗ファンブルだったねぇ」

「ったく……。世話の焼ける」

「そのまま懐に入れて立ち去ってもばれなかっただろうに。僕が後で困ることを心配してくれたんだね、シャイードくんは。天使かな? 天使だね? 今度から天使くんって呼んでもいいかい?」

「おいやめろ、真顔で恥ずかしいことを言うな! 別に、アンタのためじゃねーし。俺がカネに困ってねーからだし!」


 優秀な引き上げ屋だったからな! と腕組みしてそっぽを向く。

 その横顔と耳の赤みをしばらく黙って見つめていた吟遊詩人は、耐えきれずに噴き出し、腰を折って笑った。


「ふふははっ! や、やっぱり君って」

「なっ!? 今の、笑うところあったか?」


 シャイードは片手を大きく水平に薙いだ。その手に、何かが触れる。

 驚いて振り返ると、先ほどの老人が立ち上がって両手で彼の手をつかんでいた。

 老人、いや、間近で見るとそこまでの年齢ではない。薄い髪は真っ白で、身体がやせ細っているが、顔つきは壮年の男性だ。

 鳶色の瞳が優しい。

 彼は目蓋をゆっくりと閉じ、また開いた。シャイードは直感的に、彼が丁寧な礼をしたのだとわかった。温かな手が離れる。

 彼は倒れた台車に向かい、それを起こした。


「………」


 シャイードは触れられた手をじっと見つめた後、転がっている箱を拾って台車に乗せるのを手伝った。

 セティアスも、いつの間にかゴミを拾い集めている。

 スティグマータの男性は恐縮したように両手を前方に翳したが、二人とも無言で片付けを手伝い、台車を元通りにした。

 それから何度も会釈しながら立ち去る男性を、二人で見送る。

 先ほどまでお喋りだったセティアスが急に無口になったことが気になり、シャイードはちらと顔を見上げた。

 吟遊詩人は物思いにふけっている様子だったが、唐突にシャイードの方を向いた。ばっちりと目が合ってしまう。


「ねぇ、シャイードくん。君はこんなことが正しいと思うかい?」

「こんなこと?」

「人が人を所有すること。差別すること。虐げること」


 セティアスは声を潜めた。その言葉には苦みがこもっている。

 いつになく険しい表情で、セティアスはシャイードを見つめていた。


「俺は……」


 返す言葉に困る。奴隷制度については本の知識しかない。スティグマータに至っては、単語さえ初めて聞いた。

 人間たちの風習を奇妙だ、理解できないとは思ったが、所詮他人事だ。真剣な問いに答えられるほど、深く考えたことはなかったのだ。


「判断できるほど、よく……知らない」

「………」


 セティアスは唇を引き結んでいたが、やがて大きく息を吐き出した。いつもの柔和な笑みが口元に戻っている。


「”知らざる物語を語る口はなし”だね。君はなかなか賢いな。さて、僕もそろそろ」

「ただ、」


 話を切り上げようとしたところに、シャイードがぽつりと口を挟んだ。視線が石畳に落ちている。


「……昔、助けられなかったやつがいた。奴隷だと言っていた。おそらく、スティグマータだ」


 言葉は淡々としていた。シャイードは服の胸の辺りを、ぎゅっと握る。セティアスはその仕草を見逃さなかった。

 吟遊詩人はそっと目を細めた。

 彼は一歩前に出て、踵でくるりとターンした。その動きに、シャイードは顔を上げる。

 胸に手を当てて一礼している姿が目に映った。

 シャイードが瞬いていると、セティアスは前傾姿勢のまま顔を上げた。


「君に仕事を頼みたい。引き受けて貰えるかな?」

「な、何だ唐突に」

「引き上げ屋としての君の腕を見込んでだよ。凄腕なのだろう?」

「俺の……? ……わ」


 金の輝きが胸に飛び込む。先ほどの金貨だ。


「えっ?」


 顔を上げると、吟遊詩人は既にきびすを返していた。鍔広帽を片手で目深に押さえている。


「おい、ちょ……」

「ついて来たまえ」


 微笑む口元だけが鮮明に見えた。それもすぐに銀の髪に隠れ、人の波に紛れてそうになる。


「待てよ! まだ俺は……。ったく!」


 シャイードは鋭く息を吐き出して、その後ろ姿を追った。



 二人が立ち去った後。

 巨漢を従えた淡い金髪の子どもが、その場に進み出る。髪をツインテールにし、大きな紺色のリボンでまとめている。同色のワンピースは質素だが、見るものが見れば仕立ての良さが分かったことだろう。


「……あの方かしら、ちかごろ人心を惑わしていらっしゃるという悪い方は。余計なことをされるのは、困りますわね」


 子どもは桜色の唇にそっと小指を添えた。


「レムルスを困らせる悪者は、わたくしが『めっ!』してあげませんとね」

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