呪われた血筋
「………、なるほど」
ユークリスは顎に手を添え、目を閉じた。
突拍子もないこの意見を、彼は驚くでもなく可能性の一つとして受け止め、吟味している様子だ。
「充分にあり得る話だね」
やがて目を開き、彼は息を吐き出した。
「想定内だったか?」
「一応。それで我々軍が動いているんだよ。何らかの意図を持った誰かの攻撃だという可能性を排除できなかったからね。魔法的な痕跡がないから、この選択肢はそろそろ排除すべきかと考え始めたところだったけれど。しかし、本当にそんなことがあり得るのかな?」
ユークリスはあり得ると言った直後に、自らそれを疑問視した。
魔物とて、この世界の生き物であれば、魔法的な特殊能力を行使すれば痕跡は残る。しかし、残念ながらビヨンドはこの法則の埒外にいる生き物。いや、生き物なのかもよく分からない。ウツシという、生き物的な身体を操りはしているが、根本は何だろう。
「俺もまだ詳しいことは分からない。それを知りたいとは思っているんだが、質問の答えとしては、『あり得る』と言っておく」
「そうか。貴方はクルルカンでも攻撃の通じない奇妙な魔物を見事討ち取ったという話だからね。信じるよ。それで? その病はどうやって治せるのかな」
ユークリスにも、どうやら答えは分かっている様子だった。それでも、シャイードの口からはっきりと聞きたいらしい。
「取り憑いている魔物を倒せば良い」
「相手が見えもしないのに?」
「俺たちには、出来る」
「だったら……」
シャイードはその先を言われる前に首を振った。
「けど、数が多すぎる。一つずつ潰していたら無駄に時間を浪費し、もっと不味い事態に陥る気がしていて、その方法は避けたい。それで、手がかりを求めて相棒と……」
何気なく口にして、シャイードは驚いた。言葉を止め、むっとした表情を浮かべて首を振る。
「じゃなくて、あー……その……」
指先をくるくる回した。
(アルマは俺にとって、一体何だ……? ”仲間”――変態の同類に思われそうでなんかやだ。 ”所有物”――事実ではあるが、勘違いされそうだ。 ”連れ”――間違いではないが、ウェットな響きがある。もっとニュートラルな……。 ”同行者”――ああ、そんなところか?)
「……同行者と一緒に、もっと良い方法がないか調べに来たんだ」
ユークリスは左手の指をぱちりと弾いた。
「それで繋がった。時間のない貴方は相棒を、閉館後も図書館で調べ続けられるようにしたかったのか」
「だから相棒じゃねーってば!」
シャイードは赤くなって反論した。自分でもなんでそんなことを口走ったのか、理解不能だ。
「はは、大丈夫。司書にバラしたりはしないから。そもそも私の管轄ではないし」
彼は笑いながらしれっと口にした。
(あれ? コイツ、意外と話せる?)
軍属、しかも参謀的職種と見受けられる彼のことを、シャイードは二度見する。杓子定規に対応するかと思いきや、そうでもないらしい。
「不真面目なところは、副長譲りなんだ」
顔に出ていたらしい。シャイードの思考を読んで、ユークリスは片目をつぶった。
「是非、貴方に協力したい。この事態を収拾する鍵を、シャイード君が握っている気がするから」
「まあ……、断る理由はねぇけど」
「そうだね。やはり、まずは患者の共通点を探るべきだろう。その魔物に取り憑かれた場所とか、或いは理由なんかを特定できれば、元を断つことが出来るかも?」
「ああ。元凶さえつかめれば、俺とアル……、同行者が何とかしてやる。俺の方でも引き続き調べるつもりではあるが」
「うん、よろしく」
ユークリスは握った拳を差し出す。シャイードはそこに、拳骨をつきあわせた。
「てなわけで、早速だがこれをこっそり返す手伝いをしてくれ」
シャイードは木札を持ち上げた。
アルマの分のゲストパスは、ユークリスが受付に話しかけ、気を逸らしている間に、シャイードが机の中に返却した。
彼の協力のお陰で、この問題は当初考えていたよりもずっと簡単に片付けることが出来た。
その後は何食わぬ顔で、自分の分を受付に返却する。
ユークリスとは図書館の入口で別れ、シャイードは町へ出た。
◇
(うえ……、やっぱり息苦しい感じがするな)
シャイードは喉に手を当てる。
図書館の中はそうでもなかったが、人の多い場所にくると魔力濃度の低さを顕著に感じた。
実際には呼吸がしづらいわけではないのだが、空気のよどんだところに来たような気分なのだ。
(そういやこの町、人族は多いがニンゲンとドワーフばかりだな。ザルツルードではもっといろんな種族を見かけたが)
石畳の街路を歩いてすれ違う人々を見遣る。そのほとんどが人間で、ドワーフはたまに見かける程度だ。他の種族は今のところ見ていない。
今も丁度、一人のドワーフとすれ違った。片手に具の詰まった丸いパンを持ち、笑顔で食べ歩きをしている。中には野菜と、そぼろ肉のソースが詰まっているようで、良い香りがした。
ぐう、とシャイードの腹が鳴る。
(朝メシ、もう消化しちまった。野菜と果物だったからなぁ……)
折しも道の先から、肉を焼く濃厚な匂いが漂ってきた。
シャイードは軒を連ねる屋台の一つにふらふらと近づいていく。
「いらっしゃい。あら、あんた、ずいぶん顔色が悪いね!」
恰幅の良い女性が、店頭で焼いた肉を切り分けながら話しかけてきた。
先ほどのドワーフはこの店のパンを買ったようだ。薄く焼いた丸型のパンの空洞に、いろんな具材を詰めて売っているらしい。
「肉……」
タレで味付けされた肉の香りに刺激され、口の中に唾液が溢れてくる。
「あっは! ほらほら。食べたい具材を言いな。詰めてあげるよ」
「えっ、ああ。じゃあ、その肉をたっぷりと」
「いいよぉ。……ほいほいっと」
店主は野菜や肉や豆を手際よくパンに詰め、特製ソースを掛けて差し出した。シャイードはその間に硬貨を用意し、交換で支払う。
「うわ、こんなに沢山入ってるのか」
「はは! うちの子と同じで、あんたも育ち盛りだろうから、サービスしといたよ」
「お、おう」
子ども扱いも、たまには得をすることがあるようだ。内心複雑な気分ではあるが、ここは黙って厚意に甘えることにした。
具材で膨らんだパンを両手で持ち、はみ出した部分から囓っていく。
「う……美味い……」
カッと目が見開いた。
濃いめの味付けをされた肉に野菜が添えられ、さっぱりした謎のソースが媒をしている。無限に食欲をそそるをそそる味で、空腹もあって夢中になって食べた。
「まだいけそうだね」
「むぐ。頼む」
「じゃあ今度は、こっちの鶏の唐揚げを入れて、あと玉子と……」
続いて渡されたパンも、あとを引くうまさだった。丁度良いところでお茶も差し出され、至れり尽くせりだ。
三つ目のピリ辛のそぼろ肉のソースが詰まったパンを食べたところで、漸く人心地ついた。
「見ない顔だけど、どこ街の子だい?」
「いや、俺は。ここの者じゃなくて」
「へえ、旅人なのかい? お父さんやお母さんは?」
シャイードは黙って首を振る。すると店主は何を察したのか、一瞬だけ眉尻を下げて話題を変えた。
「それにしても、見ていて気持ちいいくらいの食べっぷりだったねぇ」
「ああ、腹が減ってたし。それに、アンタのパンは美味かった。その……」
笑顔の店主に礼を述べるべきか考えていたところ、突如として背後から石畳を打つ大きな物音が響き、追って怒声が聞こえた。
反射的に振り返る。
老人が一人、道を挟んだ歩道に両膝をついており、その前に若い男が立っていた。怒っているのは若者の方だ。近くにはいつの間にか木材やぼろ布が散乱していて、台車が倒れている。
「ふざけるな、てめぇ! 俺はこれから大事な商談があるっつーのに、どうしてくれるんだ、これ!!」
男は上衣の裾を両手で持ち、突きつけた。どこかに引っかけたのか、破れている。老人はおびえた様子で、両掌を男に向け、頭の高さに翳した。両手に黒い腕輪をしていて、肩には入れ墨がある。
「何とか言えねぇのか! ええ? どうしてくれるんだって聞いてんだよ!!」
男は今にもつかみかからんばかりだ。
周囲をゆく人は、見て見ぬ振りで通過するか、遠巻きに傍観しているだけだ。
「何だあいつ。うるせーな」
シャイードが一歩踏み出そうとすると、屋台の主が大きく腕を伸ばして肩をつかんだ。
「やめときな、少年」
振り返ってみると、店主は諍いの方に厳しい目を向けていた。
「良く見てごらん。怒鳴られてるのはスティグマータだよ。関わらない方が良い」
「スティグ、マータ……?」
聞き覚えのない単語に眉根を寄せる。
「あんた、スティグマータを知らないのかい? あの腕をごらん。呪いの印だ」
(あれは……。イレモノの頬に刻まれていたものに似てる)
目をこらしたシャイードは、記憶の中の少女を思い出す。彼女も自らを奴隷だと言っていた。
「奴隷が、スティグマータ、なのか?」
「スティグマータはただの奴隷じゃない。呪われた血筋の奴らなんだ。関われば、あんたまで不幸を貰っちまうよ」
女性が嫌悪も露わに吐き捨てるのを、シャイードは驚きをもって受け止めた。
(気の良い店主が豹変するほど、スティグマータとは憎まれる存在なのか? 何故だ? 同じニンゲンではないのか?)
再び視線を戻す。怒れる若者は、老人の胸ぐらをつかみ上げたところだ。老人は頭をかばっているけれど、完全に無抵抗だ。
「おおかた、流行り病もお前らの呪いなんだろ! え!? その証拠に、病にかかった奴らは、みんなお前らみたくなってんじゃねえか! この穢れ野郎!! くたばりやがれ!!」
責める言葉はいつの間にか、相手の失態とはまるで関係ないところにまで及んでいた。それでも老人は、一言も言い返さない。
シャイードの脳裏に、何もかもを諦めた少女の面影がかすめた。あの時と同じだ。肩に置かれた手をふりほどく。
その時、金の光が水平に走り、片手を振り上げた若者が悲鳴を上げた。