情報交換
「あら? アルマは?」
戻っていくと、メリザンヌが吹き抜けのホールで待っていた。シャイードは右手に持っていたアルマの木札を、さりげなく背中に隠す。
「あんなやつ、もう知らね」
シャイードが目も合わせずに鼻を鳴らすと、メリザンヌは口元に手を当て、彼らのいた書架の方を見遣った。
「喧嘩でも、しちゃったのかしら?」
「ほっといて構わねぇよ。飽きたら勝手に帰ってくんだろ」
そっぽを向いたまま告げる。
「そう? ……まあ、そうよね。大人ですものね」
(何で俺が子ども扱いで、アルマは大人扱いなんだ? ただの非常識の変態なのに)
シャイードのもやもやは、胸の内でますます大きく育った。
「久しぶりだし、私はしばらくここにいるつもりだけれど、貴方はどうするの?」
「俺ももう少し……、ちょっと見て、飽きたら帰る」
シャイードは大扉の方を見遣った。今は周囲に誰もいない。気づかれずに札を返すには、カウンター係の気を逸らす必要があり、別の退館者と話している隙をつくのが良さそうに思えた。チャンスをうかがうつもりだ。
「分かったわ。じゃあね」
メリザンヌは頷き、片手をひらひらさせて立ち去っていく。
一人残されたシャイードは、肩で息をついた。
(ともあれ、どこか大扉が見える場所で少し……)
適当な場所を求め、シャイードは書見台に近づく。するとそのタイミングで、背中を向けていた人物が、本を閉じて振り返った。
シャイードは何気なくそちらを見て、動きを止める。
(ん……。アイツ、どこかで見た覚えが)
記憶を探る。すぐに思い至った。
(クルルカンの遺跡にいた奴だ。帝国兵の見張りの。後で名前を聞いた気がするが、何だったか)
若い男は浮かない顔をして、大型の本を胸に抱えて歩いてくる。
こめかみに指を当てて考え始めたところ、相手もこちらの視線に気づいたようだ。
そのまま、まっすぐにこちらへ近づいてくる。
「やはり貴方か、引き上げ屋のシャイード君。おはよう」
「!? 何で俺の名前……、あ、名乗ってたか?」
「うん。まさかこのようなところで再会するとは、驚きだ」
「お、おう?」
相手の意外なフレンドリーさにたじろぎ、シャイードはやや警戒して身を硬くする。何気なく彼の持っている大判の本に視線を向けた。医学書のようだ。
(コイツは治癒術士か何かか?)
彼は気づいたそぶりを見せずに一礼した。
「その節は、部隊が大変お世話になったようで。ありがとう」
「別に。ただのついでっつーか……」
シャイードは後ろ髪を掻いて視線を泳がせた。
(待てよ……。コイツ、帝国兵なら、あの病について何か知ってるかも知れねぇな)
本に載っていない知識なら、アルマを見返せるかも知れないと気づく。
「引き留めて悪かったね。直接礼を言いたかっただけなんだ。それでは」
「あ、ちょ、待ってくれ」
きびすを返し、立ち去ろうとした青年を、シャイードは引き留める。
彼は足を止め、怪訝そうに眉を上げた。その瞳が、一度斜めに下がってすぐ戻る。
「アンタ、なに調べてたんだ? ここで」
「ユークリス」
「へ?」
「私の名前だよ。ユークと呼んでくれ、シャイード君」
「……まあ、別にいいけど……」
「少し待っていてくれないか。本を返却してくる。会話なら、外の方が良いだろう」
口元に人差し指を立てた後、ユークリスは書架へと向かっていった。
しばらくして、手ぶらの彼が戻ってくる。
「お待たせ。行こうか」
足を止めずに大扉へ向かうユークリスを、シャイードは追った。
先ほどの回廊に出ると、彼は周囲を見回し、柱と柱の間にあるソファに空きを見つける。
「あそこでいいかな」
シャイードは無言で頷き、二人でそちらに向かった。
90度に向かい合う肘掛けつきのソファに腰掛ける。座面は柔らかく、座ると丁度良く沈み込んだ。落ち着く。
「さて先ほどの質問だけれど。私は軍の仕事で、とある調査に来ていたんだ」
「うん」
やけにすんなり語り始めた彼に、内心少し驚きつつもシャイードは耳を傾ける。
「シャイード君のゲストパスは、リュジーニ伯が後見なんだね」
唐突に話を切り替え、ユークリスがシャイードの胸元を指さす。
「え、何で知って……」
「簡単な推理だよ。ご存じの通り、この図書館は基本的に術士や学者、貴族にしか門戸を開いていない。クルルカンで貴方に関わった者のうち、後見の権限があるシルバーパス以上を持つのは隊長と副長だけだが、副長は怪我でクルルカンに残ったそうだから」
ユークリスは両手を組み合わせ、口元に置いた。
「でもひとつ分からない。貴方が手にしているもう一つのゲストパスは、一体誰のものでなぜ持っているのか」
「え? ……あっ」
シャイードはいつの間にか、隠すことも忘れていた木札に気づいた。
ユークリスは口元を両手で隠したまま、両目を笑みの形にした。
「そういうことが、どうしても気になってしまうんだ。シャイード君が私と話したい様子なのは幸いだったな」
「これは、その……、預かった」
「誰に、何の目的でだろう。ゲストパスを預かっても、貴方にももう一人にも、何のメリットもないと思うけど。そうだな……、例えばシャイード君が何らかの方法で、そのパスをカウンターに戻せれば、退館人数をごまかせるってくらいかな?」
(バレてる……!)
シャイードは表情こそ変えなかったが、内心冷や汗をかく気分だった。
「それにしたって、閉館前には館内をすみずみまで確認するからね。人が残っていればすぐにばれるからオススメしないよ」
(人ならな)
シャイードが沈黙を守っている間も、ユークリスはじっと観察していたが、やがて小さく息をつく。
「まあ、私には関係ないかな。どうやら悪事を企んでいるわけでもなさそうだ」
「わかるのか? そんなことが」
「まあね。仕事柄、悪人を相手にすることも多いから。……貴方が気にしているのは、私が何を調べていたか、だったね。おおよそ見当が付いているから聞いたのでは?」
ユークリスは、今度は試すように目を細めた。
シャイードは一度視線を落とし、それから彼を見る。
「アンタは察しが良いようだから、隠しても仕方ないか。実は、この都で流行している病について興味がある」
「ほう? それがシャイード君が帝都に来た理由?」
シャイードは首を振った。
「病についてはここに来て知った。俺たちの旅の目的の、手がかりではある。アンタも、それについて調べに来たんだろ」
「ユークって呼んで欲しいな。シャイード君の推理は、当たっている」
ユークリスは頷いた。
「あれは普通の病ではないからね。性質は魔法的だが魔術の痕跡はなく、神性魔法による回復も効かない。前例はないか、対処法はないか、歴史書や古い医学書を確認していたんだ。ところで貴方たちは既に何かをつかんでいるよね?」
「その通りだ。俺たちは、あの病を癒やす方法を知っている」
ユークリスが瞠目した。シャイードは少し良い気分になる。
「それが本当なら、是非……」
「俺は別のことが知りたい。あの病はいつから、どうやって広まった? 病人に共通点はあるのか?」
「……なるほど。交換条件か」
ユークリスはゆっくりと目を閉じた。彼はしばらく黙考した後、組んでいた手を下ろし、目を開けた。
「いつから、については明確な答えを持たない。貴方も知っているかも知れないが、あの病は初め、何となくだるい、やる気がない、という誰にでもありがちな症状から始まり、他の病と区別がつかない。明らかな病態を示すのは、何日か経過してからだ。それも、人によって差がある。私たちが事態を把握したのは、ここ一ヶ月以内のことだ。次にどうやって広まったか、についてだが……。今、手元にはないが、私は発症者の住所を報告のあった日にちごとに整理している」
「うん」
ユークリスは右手と左手をそれぞれカップの形にし、空中に一つずつ置いていく。
「通常の疫病であれば、どこかに感染源があって、最初はそこから輪が広がるように病が広がる。移動する者もいるから、飛び地も出来て、そこからも輪が広がる。時間を追う事にその輪は混じり合い、分からなくなってしまう」
ユークリスは一度言葉を切り、手を開いて下ろした。
「しかし、だ。この病にそのような輪は出来なかった。発症者の住所は初めから町中に点在していたんだ。強いて言えば、旧市街の住民に発症者がやや多く、新市街は少なめだ。また、時間を追う事に発症者の総数は増えているが、新規発症者は日によって多かったりゼロに近かったり、まちまちだった」
「………。つまり、そこから導き出せる結論は」
ユークリスは頷く。
「察しの通り。これは”感染症ではない”可能性が高い。とはいえ、家族が丸ごと発症する例も複数あって、まだ完全には否定できないけどね」
「いや。感染症ではない、というアン……、ユークの判断は合っている。その線は排除していい」
「そうか」
ユークリスは口元をほころばせた。
「次に共通点だけど。私たちも今、最も注目している。感染症でない以上、発症者には何らかの共通点があるはずだ。今のところ、年齢や性別、人種、身分、職業などに大きな偏りは見られない。もっと他の要因なんだろう。精神的な何か、なのかも知れない」
「精神的な。ああ、そうだ。それが一番可能性が高い」
「確信がありそうだね」
シャイードは頷いた。
「あれは夢を喰らう魔物による病なんだ」