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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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幻夢界

 シャイードは草原に横たわっていた。草は青々としてみずみずしい。天は高く、ペールブルーの空には絵筆で刷いたような薄い雲があった。

 草原を柔らかな風が渡り、さわさわと草を揺らす。眠気を誘う、とても心地の良い音だ。

 太陽は見当たらないが、陽の暖かさを体中に感じた。

 この穏やかな風に抱かれたまま、いつまでも眠っていたい……



『シャイード、目を開くのだ。夢の中でまで眠るでない』


 聞き覚えのある声が間近から聞こえ、シャイードはぱっと目蓋を開く。

 目の前に、黒くて小さな毛玉が浮いていた。


「!? フォス……じゃあないよな」

『我だ。一体、何に見えておるのだ』

「闇精霊」

『ほう……』


 フォスを形や大きさはそのままに、闇の塊にしたものが揺れた。それの浮いている辺りから、アルマの声がする。

 いや、声だったろうか。頭に直接響いたようにも感じた。

 シャイードは上体を起こす。


「お前、前から言おうと思ってたけど、俺の夢に勝手に出てくるなよ。次やったら出演料を貰うぞ」

『妙なことを言う。我の理解では、出演料とは出演する側が貰える金だぞ。汝が我に、支払うべきであろう』

「あーこれ、マジでアルマだわ」


 シャイードは目の前に浮く闇精霊を、爪で弾いた。ふわっとしたおぼろげな感触が指先に返ったが、闇精霊は何らダメージを受けた様子がない。


(感触までフォスに似てる)

『ぼやぼやしてないで、早く行くぞ』

「行くって? どこに行くんだよ」

『………。やはり幻夢界に浸食されたか。メリザンヌの夫、リモードを助けるために、汝はここに来たのであろう』

「そうだっけ?」


 シャイードは眉根を寄せ、頭に手を添えた。

 言われてみれば、なんだかそんなような話をした記憶がある。

 ああ、確かにそうだったかも知れない。


『幻夢界の記憶を現世界に持ち帰ったり、現世界の記憶を幻夢界に持ち込むのは難しいのだ。精神が膜を越える際に、一旦断片化されてしまうのでな』

「よく分からんが、まあ」


 シャイードは反動をつけて立ち上がった。


「案内しろよ。行ってやる」

『うむ』


 パチンと何かがはじける音がし、唐突に足元に穴が空いた。シャイードは悲鳴をあげながら落下した。


 闇の中をどこまでも落下していく。

 と、いつの間にか落下の速度が鈍り、足元に光る球体が現れた。じりじりとつま先から近づいていき、それにつれて球体は大きく、内部は鮮明になっていった。

 ガラスかシャボン玉のような透明な球体の中に景色があり、その中で何かが動いている。球体からは白い筋が出て、虚空のどこかへと消えていた。


「なんだあれは。どこかの、部屋……?」

『あれはリモードの夢だ』


 白黒チェックの床に、書棚や机、キャビネットや派手な衣装を纏った何体ものトルソーが見える。そして散らばった本や羊皮紙。一人の男が、丸椅子の周りをうろうろと歩き回っていた。

 間近にたどり着いてみると、透明な球体の周りには、白い糸がくるくると巻き付いている。


『中に入れ』

「どうやっ……、うわ!」


 シャイードが球体の表面に触れてみると、あっという間に中へ引き込まれた。


 いつの間にか、床の上に尻餅をついている。

 空間は荘厳な音楽で満たされていた。沢山の言葉が空を漂い、消えたり生まれたり、結びついたりしている。


「なんだこれは……」


 文字の連なりに手を伸ばす。触れようとすると、煙のように乱れるが触れた感触はない。


「ああ、ああ……」


 間近では見覚えのある男が頭を抱えながら歩き回っていた。


「足りない。どうやっても、足りない!」


 男は手を広げ、天を仰いだ。


「無慈悲な運命の神が……! 必死で生きようとする人々に、心なく、貴賤の別なく、祝福も呪縛も与える美しくも冷酷な神よ………!」


 シャイードはあっけにとられて、リモードを見上げた。現世界で見たよりも若く見える。四十歳前後くらいだろう。あれが本来の姿なのか、それとも自己認識が若いのかは分からない。

 アルマがシャイードの肩の辺りに降りてきた。


『これがリモードが今見ている夢である』

「なんか、楽しそうじゃねえな……」


 シャイードは指先に何かが触れていることに気づき、視線を落とした。羊皮紙だ。それを拾い上げる。

 現世界の部屋で見たのとは違い、文章は整っていた。周りに散らばっている羊皮紙を次々に拾って、確認してみる。


「歌劇は出来上がっていたのか。運命の神の計画に抗う、ニンゲンたちの物語……?」


 その時、視界の端にリモードとは別の動きを察知し、シャイードは顔を上げた。

 どこから入ったのか、部屋に中型犬ほどの大きさがある黒い蜘蛛がいた。見ている前で、蜘蛛は慣れた様子でリモードに近づき、その身体に登っていく。


「なんだあれ? やばくねぇ?」


 シャイードは立ち上がった。腰の小剣フラックスを抜く。シャイードが当たり前に存在すると思っていた小剣は、そこにきちんと存在した。


『待て。少し見ているのだ』


 アルマが制止したため、シャイードは剣を構えたまま足を止める。

 蜘蛛はリモードの身体にしがみつき、触肢を前後に動かした。すると、リモードの身体から、何かキラキラと光る煙のようなものが現れる。蜘蛛はそれを、糸でくるくると絡め取り、彼の身体から飛び降りた。

 その途端、リモードの顔から表情が消えた。だらりと両手を下げ、虚ろな瞳で床を見つめ、ぶつぶつと呟いている。


「役者がいないんじゃ、私にはどうにも出来んよ……。妥協するくらいなら、諦める。ああ……、いっそもう、筆を折ろうか。私一人が消えたとて、誰も困らんだろ」


 彼は椅子に腰掛け、俯いたまま動かなくなってしまった。

 シャイードはあっけにとられて、リモードの豹変を見つめた。蜘蛛は床の上で、手に入れたものを器用な様子で繭にしていく。


『あれはアラーニェの蜘蛛だ』

「……病の原因のビヨンドか。綻びは?」

『ここでなら、”傷つける意志”さえあれば』

「よし!」


 抜き身の剣を右手に構え、シャイードは蜘蛛に飛びかかった。蜘蛛は動きを察知し、俊敏に身を躱す。

 さらに踏み込んで横に薙ぐ。

 が、これもまた、背後に飛び退いた蜘蛛に当たらない。


「意外と速い」

『蜘蛛だからな』

「伊達に脚が多くないってか!」


 蜘蛛は後ろ向きに本棚の横面に飛び乗り、その上面、壁、と順に登っていく。


「あ、くそ。待て!」

『夢から出られるとやっかいだ。出すな、シャイード』

「んなこと言ったって……」


 見ている間にも、蜘蛛は易々と壁を昇り、手の届かないところへ行ってしまう。垂直の壁も、蜘蛛にとっては平面と何ら変わりがない様子だ。

 シャイードはちらりと背後を見た。リモードは俯いたまま動かない。


(……ままよ!)


 シャイードは背中から、ドラゴンの翼を生やし、床を蹴って飛んだ。

 逃げようとする蜘蛛の、軌道を予測して攻撃を仕掛ける。今度は手応えがあった。

 蜘蛛はギチギチと奇妙な音を出して、背中から落下する。

 そこにさらに追い打ちを掛けようと飛び込む。

 が、仰向けになっていた蜘蛛が、尻から糸を吐き出した。


「ぶはっ!」


 視界が遮られる。咄嗟に両手を振り回して、呼吸を奪われることは回避した。しかし頭に絡みつく糸の塊を剥がそうとしても、ねばねばと伸びるだけで上手く行かない。


『何をしておる。逃げられるぞ!』

「お前も手伝えよ!」

『ここからでは何も出来ぬ』

「蜘蛛はどっちだ? 見えるか?」

『汝から11時方向、距離は汝の常の歩幅でおよそ七歩。上に向けて糸を吐いた。跳ぶ気だ』

「よし!」


 シャイードは視界を奪われたまま、斜め上へと飛ぶ。そして剣を大きく横に薙いだ。

 弾力のある何かに当たる手応え。糸だ。

 そのまま手の中で剣をくるりと返し、蜘蛛の糸を絡めてから思い切り剣を振り回す。

 支えの糸を奪われた蜘蛛はぐるぐると回され、遠心力で壁に向かって吹っ飛んだ。

 シャイードは激突音を聞き逃さず、その音の下方にすかさず攻撃を仕掛ける。

 手応えがあり、落下した蜘蛛を貫いたことを確信した。

 シャイードは蜘蛛が動かなくなるまで、何度も剣を動かす。やがて気配が途絶えた。


「やった……のか?」

『うむ。倒した』


 アルマの答えを聞いて息を吐き出した。頭に絡みつく糸を剣で少しずつ断ち切っていく。戻ってきた視界には、ひっくり返って脚を丸めている蜘蛛の死骸があった。

 見ている前でそれはどろどろと溶けていき、最後は粘つくゲル状の物質になった。

 するとシャイードの頭や肩や腕に掛かっていた糸も、同様の粘つく物質へと変化して消える。


「やれやれ。今までのビヨンドに比べたら、楽勝だったな。……っと、さっきのアレは……」


 蜘蛛が持っていたきらきらする物質は見当たらない。シャイードはきょろきょろと辺りを探すが。


『問題ない』


 アルマが促し、シャイードはリモードを振り返る。

 リモードはいつの間にか、椅子から立ち上がっていた。手にペンを持っている。


「私自身が運命に敗れる……? 否! 私は物語を愛してる! 故に物語からも愛されている! 待っている人がいる限り、諦めぬぞ! わーーーっはっはっは!!」


 彼はペンを、剣のように縦横無尽に振り回した。

 シャイードは眉尻を下げて口角を持ち上げる。腰に片手を当てて、首を傾けた。


「これで大丈夫そうだな」

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