眠る男
無と暗黒の食事を腹に詰め込み終わると、メリザンヌはランプを手に二人を三階に案内した。
廊下をぐるりと巡り、一つの扉の前で立ち止まる。シャイードたちに与えられた部屋の、中庭を挟んだ向かいの区画にあたる。
「俺らが入っても大丈夫なのか?」
「構わないわ。もしかしたら、起きているかも知れないし」
メリザンヌはノックをせずにそっとドアを開いた。中は暗い。
「あなた?」
小さな声で問いかけるが、返事はなかった。寝息が聞こえる。
「あら、残念ね。二人を紹介したかったのに」
それでもメリザンヌは、構わずに部屋に入っていく。彼女はベッドとドアの中間辺りで一度腰を折り、床に落ちていた羊皮紙を何枚か拾い上げた。
シャイードはためらったが、アルマは構わずに部屋に入っていき、周囲を見回した。
ここは夫婦の寝室のようだ。大きめのベッドの他に、衣装ダンスや姿見が置かれている。そしてベッドの傍には引き出しつきの書台があった。フラップ式の扉は手前に倒されて机の形になっており、その上にペン立てやインク壺、シーリングスタンプなどがある。彼女は拾った羊皮紙を揃え、ランプと並べて書台に置いた。
遅れて部屋に入ったシャイードも、入口の壁際に落ちていた羊皮紙を拾い上げた。
癖のある筆致で文章が綴られているが、ところどころ文字を書き足したり、二重線で消されたりしている。
(手紙……? ではないな)
「リモード……、旦那様は、劇作家なの」
「劇……作家?」
シャイードは羊皮紙から顔を上げ、メリザンヌの言葉を繰り返した。劇場の前を馬車で通りがかった際、魔女の表情が曇ったことをふと思い出す。
魔女は頷いた。
「このところ、新作のことでずっと悩んでいるようだったわ。しばらく劇場に泊まり込んでいたのだけれど、ある日、帰ってきたと思ったら横になってしまって。最初は寝不足が続いたせいだと余り気にしなかったのだけど、何というか……」
メリザンヌは口元に手を当て、眉尻を下げて眠る夫を振り返る。
「起きている時も、余り元気がないの。創作が上手く行かずにふさぎ込むことはこれまでもあったけれど、今回はそれだけじゃなさそう。何か、”違う”の。話しかけても上の空だったり、ぼんやりしていることが多くなって」
「アンタ、さっき今までにも二人、伴侶を亡くしてるって言ってたな。それも、これと同じ病気だったのか?」
「それは違うわ! 絶対に違う」
メリザンヌはきっぱりと言った。片腕を抱き、苦しげに唇を噛む。
「………。ごめんなさい、説明は出来ない。でも、違うのは確かよ」
シャイードは魔女を探るように見つめる。彼女は自らの身を抱き、沈痛な表情を浮かべていた。何か隠している。だが、その言葉に嘘は見つからない。
「……そうか」
言って、シャイードは拾ったものを彼女に手渡した。その隣をすり抜けてベッドに近づく。
男の歳は五十前後に見えた。目の周りが落ちくぼんで、皮膚もかさついているため、そう見えるのかも知れない。実際はもっと若い可能性もある。
艶のないダークブロンドは白髪交じりだ。額は秀でていて、眉が濃い。病人の割に髭がきちんと切りそろえられているのが不思議だ。見れば寝間着も布団も、汗染みなどもなく綺麗なものだ。
メリザンヌの献身的な介護をうかがわせる。
顔を上げたシャイードは、先に男を観察していたアルマが、もの言いたげな瞳でこちらを見ていることに気づいた。
「何だ?」
アルマはメリザンヌを肩越しに見遣った後、再びシャイードに目を向けて口を開く。
「こやつからビヨンドの気配がする」
シャイードは目を見開いた。すぐに男に視線を落とす。無意識に腰に手が伸びたが、剣はマントとともに部屋だ。
「………、どういうことだ? こいつがウツシだとでも言うのか?」
声を潜めてアルマに聞き返す。アルマはゆっくり過ぎるほどの瞬きを一つした。
「そうでもあるし、そうではない」
「どうかしたの、シャイード?」
メリザンヌが二人の背後から声を掛けてきた。シャイードとアルマは、向かい合わせる形でメリザンヌを振り返り、それからお互いに視線を交わした。
「どうすんだよ」と潜めた声で鋭くシャイード。アルマはふむ、と顎に手を添えた。
「我はこのビヨンドを”知っている”。対処可能だ」
「何よ。二人でこそこそしてないで、彼の病気について知ってるなら教えて!」
魔女の声に必死さが滲んだ。彼女は手を延ばし、アルマのローブの袖をつかむ。
「お願い。彼が治るなら、何でもするわ」
「汝に出来ることはない」
アルマは冷ややかに言い放ち、シャイードに視線を向けた。
「シャイード、やるか?」
「え? ……ま、まあ……、ビヨンドだっつーんなら、やらないわけにいかない。だろ?」
「うむ」
「ビヨンド?」
メリザンヌが不思議そうに口を挟む。
「二人は何の話をしているの? やるって、何を? リモードに危害を加えたら、いくら可愛い貴方たちでも許さないわよ」
「案ずるな。危ないとしたら……」
アルマはシャイードの肩に手を置く。
「シャイードの方であるから」
「!?」
そのままアルマはシャイードの肩を強く押し、ベッドに倒した。
眠る男の胸に後頭部が当たり、シャイードは慌てて上体を持ち上げようとする。
「おいっ、なにす……」
それをさらに片手で制してから、アルマはシャイードの両足を持ち上げてベッドの上に載せた。反動で身体が90度回転し、病人の隣に横たえた形だ。
「とりあえず、汝は眠るのだ」
「ここでか!?」
「うむ。………。どうした早く眠れ。得意であろう?」
「んなこと言ったって……、ここで?」
二人用の広いベッドとはいえ、リモードは中央に寝ている。シャイードは空きスペースに窮屈そうに横たわり、アルマを見上げ、それからアルマの隣に進み出てきたメリザンヌを見上げた。
「どうするつもりなの、アルマ」
「シャイードを幻夢界に送り込む。そこから病の原因、ビヨンドに接触させる」
「治せるの?」
「うまく行けばな? 駄目ならシャイードも、こやつと同じようになってしまうだけだ」
メリザンヌは心配そうに胸の前で手を組んでいた。
「大丈夫なの、可愛い子。わたし、貴方のことも心配だわ」
シャイードは寝転んだまま、鼻を鳴らした。
「俺を誰だと思ってるんだ? よく分からんが、まあ、何とかするさ。眠りゃあいいんだな、アルマ」
「うむ。その後は我がナビゲートする。案ずるな、我は敵を知っている」
「ふん。ちゃんとサポートしろよ?」
シャイードは頭の後ろに手を組み、目をつぶった。だがすぐに目蓋を開いて身を起こす。
「そうだ、武器は? 部屋から持」
「必要ない。幻夢界では想像力が武器だ。いいから早く寝ろ」
今度もアルマに胸の中央を押さえられ、シーツの上に縫い付けられた。シャイードは再び鼻を鳴らし、目を閉じる。
とはいえ。
肌に二人分の視線を感じ、シャイードはもぞもぞする。
落ち着かない。
薄く目蓋を開くと、思った通り、神妙な顔でこちらを見下ろす二人の顔があった。
彼らに背を向け、横臥の姿勢になる。
そもそも人の気配の傍で眠るのは難しい。慣れない経験に、身体が勝手に緊張してしまう。
リラックスしようとすればするほど、焦って逆に頭が冴えた。
(参ったな……。さっきまで寝てたし、あんまり眠くないぞ。とりあえず)
眠るときの呼吸を心がけてみる。
長く吸って、長く吐いて、長く吸って、長く……
「………。眠ったか?」
「今、眠れそうだったのに!」
シャイードは一挙に意識を引き戻され、仰向けに戻って猛抗議した。
「魔法で眠らせましょうか?」
メリザンヌが申し出る。
しかしアルマは首を振った。
「いや、眠った後のシャイードに、一つ魔法を掛ける必要がある。しかも、向こうで何があるか分からない。速やかな帰還のためにも、自然な眠りの方が好ましい」
「困ったわね……」
魔女は片手を頬に添え、重い胸を持ち上げるように腕を組んだ。
「子守歌でも歌いましょうか?」
「歌か。……あ!」
シャイードは名案を思いつく。
「アルマ。お前、何か詩を読め。あれ、凄く眠くなる」
「詩か。……いいだろう」
「あら、詩集ならこの部屋にも多分あるわ。リモードが歌劇を作るときに参考にするから。ちょっと待っててね」
メリザンヌが書台の引き出しを漁り、すぐに一冊の本を見つけてアルマに渡した。
それを開き、アルマは抑揚の乏しい声で読み始める。
シャイードは目を閉じた。
あっという間に、心地よい眠りに導かれていく―――




