門と門番
帝都を囲む城壁の門前に並びながら、シャイードは頭をぐらぐらさせていた。猛烈な睡魔と、熾烈な戦いの真っ最中なのだ。
「夜更かしするからであろう」
「うるせー。好きで起きてたんじゃねー……」
涼しげな顔のアルマに答えながら、語尾ではもう眠りそうになっている。
「………。そんなにお化けが怖かったのか」
しばしの沈黙の後、アルマは主に問うたが、今、彼の戦いは劣勢のようだった。首をがくがくさせるばかりで、返事がない。
前に並んでいる荷馬車が動いたので、アルマはシャイードの首根っこをつかんで無理矢理歩かせた。
もう昼に近い時間で、列はそう長くない。
程なくして門番から身元を改められることになった。眠い上に荷物と武器類を取り上げられ、シャイードは不機嫌だ。
それは門番も同様で、何度か同じ問答を繰り返した後、両者は険悪になってきていた。
相手は四人。二人が全身鎧で武装をして控え、一人は軽武装の口髭の男、残りの一人は机で羊皮紙に記録を取っている。傍に開いたままの扉があり、奥は詰め所になっている様子だから、門番の兵士は当然、これで全てではないだろう。
質問をしているのは主に、軽武装の男だ。この中では一番年長に見える。
「それじゃあ、何かね? 君たちは身分を証明できる書面も、商業許可証や通行証や帝都からの召喚状も、何も持たずに入ろうとしているのか」
「そんなものが必要だとは聞いてない。俺はメリザンヌって女に、帝都に来いって言われたから、わざわざ来てやっただけだ」
「メリザンヌ……?」
記録係が手を止め、ペンの羽で自身の下唇をくすぐる。何かを思い出そうとしているようだったが、口髭から「知り合いか?」と問われると首を振った。
記録係は気を取り直し、羽根先でシャイードを指し示す。
「それで? 君はどこから来た?」
「ザルツルード。……その前は、クルルカンだ。そこで引き上げ屋をやってたが、その時の身分証は返上して、もう持ってない」
「ザルツルード? よく何も持たずに入れたな」
「だから! さっきも言ったろ? ザルツルードには入るときも出るときも、帝国兵と一緒だったんだって! その後、内海で船が怪物に襲われて、はぐれたんだ」
「そんな話、信じられるか!」
と、これは再び口髭の男。
シャイードとて、その気持ちは分からぬでもないが、事実なのだから仕方がない。
「これも、盗品じゃないだろうな?」
大きな宝石のついた魔法剣に加え、鞄の中から少なからぬ宝石類を見つけ、記録係の顔が厳しくなる。
シャイードは深いため息をついて首を振った。
「引き上げ屋時代の正当な稼ぎだよ。旅に出るから、まとめて宝石に換えたんだ」
「こっちはなんだ」
さらに鞄を漁った記録係が、アイシャのくれたサシェを見つける。無造作に袋を開こうとした手を、シャイードは大声で制止した。
「やめろ! 開くんじゃねえ! ただの匂い袋だ」
「中身は何だ? まさか、危険な薬のたぐいじゃ……」
「嗅いでみればいいだろ! お守りを兼ねているから、口を開くなって言われてるんだよ!」
「怪しいな……」
記録係はうさんくさそうに匂い袋をためつすがめつしていたが、恐る恐る匂いを嗅ぐと、急に眉間の皺が消えた。
「……うん。確かにとてもいい香りだな」
険しい表情が和らいでいる。もう何度か匂いを嗅いだ後、「まあいいだろう」と記録係は机の上にサシェを置いた。
背後から、早くしろと文句を言う声が上がり始める。
「とにかく! メリザンヌに確認してくれ。それで済むだろうが!」
口髭も負けじと荒々しいため息をつき、いらいらした様子で首の後ろを掻いた。
「そうは言ってもな。じゃあ聞くが、その女はどこに住んでるんだ。一体帝都に、どれだけの人数が住んでいると思っている」
「む……。それは……」
シャイードが言葉に詰まると、口髭は話は終わりとばかりに片手を振って背を向けた。広げていた荷物を乱暴にしまい、振り返って剣と共に差し出す。
シャイードは勢いのままに受け取り、胸に抱え込んだ。しまい損なわれ、鞄を動かした勢いで机から落ちたサシェは、イライラと拾ってポケットに突っ込む。
「おい……!」
「悪いが、どこかからきちんと書類を手に入れて、出直してきてくれ。よし、次の……」
「待て! 仕方ない……アルマ、行け!」
いつも通りに、帽子の鍔を目深に下げて後ろに控えていたアルマは、不意に名を呼ばれて顔を上げた。
「行って良いのか?」
アルマはシャイードの示すがままに、歩き出した。当然、完全武装の門番がすかさず止めに入る。
簡単に止められはしたが……
「!」
そこで鎧の門番たちは固まってしまった。惚けた顔でアルマを見つめてている。
「こら! 城門破りは重罪……」
背後からアルマの右肩をつかんで乱暴に引き寄せた口髭も、勢いで三角帽子が落下し、気怠げに首を反らせたアルマの顔を見て同様に固まった。
「エルドリス神……!?」
唇をわななかせ、美と音楽(または芸術全般)の神の名を口にする。
「この体勢は、苦しいぞ」
「えっ、はっ! す、すみません」
アルマが流し目で苦情を申し立てると、口髭は我に返って手を離した。顔が赤い。アルマは姿勢を戻し、身をかがめて帽子を拾った。
彼が振り返ると、背後に並んでイライラしていた群衆も、振り上げていた手を下ろしていく。
「本当だ、エルドリス神だ……」
「こんな場所に顕現なされた!」
「ありがたや、ありがたや……!」
畏怖に打たれた声がささやき合い、遅れてぱらぱらと拍手が上がる。拍手はエルドリス神へ捧げる祈りの仕草だ。記録係は羽根ペンを取り落としてアルマを凝視した。みな一様に、ぼうっとなっている。
周囲には気にもとめず、再び前を向いて門の内側へ歩いて行こうとするアルマ。シャイードは口端を持ち上げ、しめしめとそれに続く。
だが、そう簡単にはいかなかった。
職務を思い出した口髭が、立ち去る寸前の二人を呼び止めたのだ。硬直していた鎧の門番たちも、慌てて二人の前に回り込む。というより、こちらはアルマをもっと間近で見つめるためにそうしたような動きだ。シャイードは相変わらずフリーで、簡単に突破できそうではあった。
しかし、シャイードは、しぶしぶ足を止めて振り返る。
口髭は胸の前で両手を組み合わせ、もじもじさせながら口を開いた。
「あの……。メリザンヌという人を探してきます。それまで、別室でお待ち下さい」
丁寧な口調と物腰になっている。
シャイードは要望が通ったことに気をよくし、「いいだろう」と偉そうに答えたが、直後に口髭の視線が自分の頭上を飛び越えてアルマに注がれていることに気づいた。
(ったく。どいつもこいつも、そんなにこいつの顔が好きかよ)
アルマの、人間に対する魅了の魔力とでもいう容貌に、複雑な気持ちで鼻を鳴らした。
「あーーーーっ!!」
記録係がいきなり叫び、椅子を蹴立てて立ち上がった。
突然の大声に肩を跳ねさせてそちらを見ると、驚きに目と口を開いた顔がある。彼はアルマではなく、シャイードを見ていて、さらには指先を突きつけていた。
「お、思い出した! リュジーニ伯夫人メリザンヌ! 幻惑の魔女にして、男に破滅をもたらす淑女。まさか、彼女か!?」
「ふぁむはたーる?」
シャイードは瞬いた後、首を傾げつつ「多分?」と呟いた。




