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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第三部 竜と帝国
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皇帝の苦悩

 小議場という名前ではあるものの、王宮内のその部屋は決して小さくはなかった。ただ、年一度の大議会に使用される大議場と比べて、小さいというだけのことだ。

 長方形をした部屋の、国章が描かれた細長いタペストリーの前に、皇帝の席がある。謁見の間にある玉座と違い、木製の簡素な席だが、若き皇帝レムルスは気に入っていた。手すりがすべすべしていて気持ちが良いのだ。玉座の黄金の手すりよりも温かみがある。

 他よりも一段高い場所で、彼は手触りを堪能しながら、長テーブルの左右に並んだ重臣たちの議論に耳を傾けていた。

 高窓からは、朝の光が筋となって降り注いでいる。数日ぶりの晴れ間だ。

 しかしこの小議場の重苦しい雰囲気を払拭するには、いささか足りていない。壁に掛けられた魔法灯の冴え冴えとした白光も、テーブルに置かれたランプの黄色い光も、太い石柱の影を濃くしているだけ。


 何しろ現在の議題は、戦争についてなのだ。


「つまり、これは戦争を回避するための追加の派兵要請なのです」


 違った。まだ戦争ではないらしい。

 発言をしているのはイヴァリス将軍麾下の武官だ。将軍は辺境での哨戒任務を継続中でここにはいない。代理人である壮年の軍人貴族は、落ち着いた物腰で、辺境の軍備増強を訴えている。黒髪には白髪の房が混じり、眉間に深いしわが刻まれていた。眼光は軍人らしく、鋭い。


 彼の提言は、内海の南、ミスドラ王国との境界地帯に駐留している軍に関するものだ。ミスドラは帝国の属領ではなかったが、北大陸との海峡に面する商業港、南アストラキアを99年もの長期にわたる租借地として帝国に押さえられている。

 このことは、彼の国にとって四肢を縛められるに等しく、レムルスの皇帝即位を正式に通達してからと言うもの、既に何度か南アストラキアの返還を嘆願してきた。

 その度に帝国はこれを丁寧に、しかし頑なに撥ね除けている。

 南北のアストラキア港が揃って手中にあることは、内海の軍事的・商業的支配に欠かせないためだ。

 そのミスドラが、ここ半年は何も言ってきていない。楽観論者の見解は、漸く諦めてくれたのだろうということだが、軍部の出した答えは違っていた。

 ミスドラが境界地帯にある帝国自由都市をそそのかし、反乱を画策している、というのだ。


 武官の提言に渋い顔をしているのは、テーブルを挟んで向かい合う文官の官僚貴族たちだ。


「お言葉ですが、帝国自由都市群は軍の駐留を、今でも快く思っていません。帝国にそのつもりがなくとも、常に喉元に刃物を突きつけられれば、いつ自治権を奪われるかと疑心暗鬼に陥るのも当然です。それをさらに増強となると……、彼らを納得させるだけの相当な理由が必要になるでしょう。そもそも反乱の兆しというのは、一体どれくらいの精度なのです? それが別の地方の陽動ではないと、どう証明するつもりですか?」

「我々の諜報能力をお疑いで?」


 反論したのは先ほどの武官ではない。彼よりも遠い席に座っている冴えない中年男だ。その席はイヴァリスと同じ帝国六将の一人、諜報の将ソノスのもののはずだが、レムルスは男に見覚えがない。それどころか、かの席には、毎回別人が座っている気がした。

 今座っている男も、あまりに特徴がない。目を離した数秒後には顔を忘れてしまいそうだから、本当に見覚えがないかと問われたら、自信はなかった。


「いえ、決してそういう意味では……。単なる言葉の綾で」

「それを聞いて、安堵いたしました」


 特徴のない男は、胸の前で手を三角に組み合わせてにこやかに笑った。そして片手を差し出す。


「失礼。どうぞ、お続け下さい?」

「………。こほん。仮に派兵するとしても規模は? 期間は? 何を目的とし、何をもって作戦終了と見なすおつもりか。まさか、反乱が起きるまで、などとは言いますまいな? 何もなければ、兵を無駄に遊ばせることになります。かといって短期の派兵では、兵を引いた後にことが起きる危険があるわけで」

「軍の規模が膨れれば、当然、兵站の問題も膨れあがります。自由都市から徴発する訳にもいかず。それこそ、反乱を助長します」


 隣に座る別の文官も、丸眼鏡を持ち上げながら援護する。


「結局はコレの問題ですよ」


 親指と人差し指で丸を作って見せた。かねだ。


「侵略的戦争なら、そりゃあね、ええ。いいですよ、どんどんやって下さい。帝国兵の練度は高いし、こちらには魔銃兵もいる。勝利すれば掛け金を回収できるから、貴族や豪商から戦費を調達するのも容易い。しかし、反乱の平定では……」


 文官はため息をついて首を振った。得るものは少なく、失うものは多い。


「発言、よろしいですかな?」


 太い声がして、大柄な体躯の男が片手を挙げた。六将の一人で、領地に北アストラキアを含むダルダーレン卿だ。帝国屈指の商業都市を治めるだけあって、最も裕福な貴族、と呼ばれている。彼もその拝金主義を隠すつもりはないらしく、ぽっちゃりとした指の上では、大粒の宝石同士が領地を奪い合っていた。

 一同の視線が大柄な貴族へと向けられる。


「戦費の問題は、かねて具申いたしました通り、ザルツルードを直轄地に編成し直し、塩を国家の専売にすることで簡単に解決可能ですぞ」

「それで? ますます自由都市群に恐怖と疑心暗鬼を植え付けるわけですか? おいしい商品はみんな帝国に召し上げられるという?」


 目立たない容貌の帝国将が穏やかに問うた。三角に合わせた指先を、ちょこまかと動かしている。


「いえいえいえ。そこは、ちゃーんと。ココを使って」


 ダルダーレン卿はソノス(或いはその代理人)に向けてにこやかに微笑み返し、薄い頭髪に人差し指を当てた。


「当地の有力な豪商数名に帝国貴族の称号を与え、塩の販売益の中から幾らかが恒久的に渡るようにすれば良いのです。代わりに、他のもっと小規模な塩商人たちを説得して(だまらせて)貰いましょう」

「そう上手く行きますかな? 彼らにも矜持があるわけで?」

「矜持など! 金貨の山の前では無力でしょう?」


 ダルダーレン卿はベビーフェイスの中心で目蓋を大きく見開く。両掌を顔の横に掲げ、大げさに驚く仕草をした。対するソノスは小さく首を傾げただけだ。


「しかし、南の敵に対処せねばならないときに、あえて東にまで敵を作ることもないでしょう」


 鋭い目つきの武官が、眉間にしわを寄せたまま静かに反論する。さらにダルダーレン卿が口を開く前に、掌を立てた。


「いえ、貴殿が兵站を得意とする将であることは重々、存じております。しかし、実際に前線で戦うのは我らなのです」


 武官は顔にこそ出さなかったが、言葉には決して前線に出ずに将を名乗るダルダーレン卿を苦々しく思っていることが透けていた。肥満の将は、それに気づいた様子は見せずに、にこにこと会釈して会話を打ち切った。

 不自然な沈黙が、議場に落ちる。

 レムルスはそこで、少なからぬ臣からの視線を感じた。しかし、視線の元へ目を向けてみると、彼らは既に別の方を見ている。


(そう。これが一番の問題だな)


 レムルスは視線を落とした。金のことではない。もっと深い問題だ。


(先帝の時代、帝国は急拡大した。拡大中は良い。戦争に勝てば領地が手に入り、富が手に入り、奴隷が手に入る。しかし拡大政策など、永遠に続けられるものではない。どこかで領土に区切りをつけ、後手に回っている地方のインフラ整備や、増えた人口を支える為の農地や放牧地の開拓などに着手しなくてはならない。他にも、徴税のための領地再編と調査、度量衡の統一、実態に合わなくなっている法の改正と公布、根深い民族間の紛争解決と平和的融合、教育による思想信教の統一、等々、やらねばならぬことは山とある。放置すれば帝国は自重で瓦解するだろう)


 それは形の整わない大小の石で、巨大な砦を築くようなものだ。積み上げが高いほど崩壊しやすく、帝国は既に”高く積み過ぎている”。早急に、石の隙間を埋め、出っ張りを削り、形を整えなくてはならない。


(反面、拡大主義を止めるのは容易なことではない。他国と違い、正規兵を多く編成したことが今になって仇になっている。戦うことしか知らない騎士や専業の戦士たちに、新たな仕事を与えねばならないが、プライドの高い彼らが素直に剣を農具に持ち変えるかと言えば、否。傭兵となって他国へ出稼ぎに行くならまだ良い方だ。盗賊騎士になって流通経路を脅かすか、最悪、あり余る鬱憤から反乱を企てる恐れもある)


 レムルスは唇を噛んだ。すべすべの手すりは、もはやどれだけ撫でても彼を癒やしてはくれない。


(既に不満は噴出している。武官は兵を遊ばせることに慣れていないし、長いこと下に見ていた文官が平等に意見をしてくる現状を内心良く思っていない。文官は金を内政に注力するため、軍事行動を止めさせたい。むしろ金食い虫の軍など無駄とすら思っている。一番の問題は、この軋轢を解決する指導力が、僕にはない(・・・・・)、と思われていることだ)


「ドラゴンがいてくれたらな……」


 口からはみ出してしまった思考は、たまたま静まっていた室内に大きく響いてしまった。

 レムルスは慌てて顔を上げる。テーブルに座った一同がこちらを見ていた。一拍置いて、各所から”面白い冗談だ”とでも言うような和らいだ笑いが上がる。皇帝に面と向かって、嘲るものこそいなかったが、彼らの胸の内を思うと顔が赤くなった。

『子どもに政治の話は難しかっただろう』

 そう、聞こえたような気がしたのだ。



「皇帝陛下におかれましては、どのようなお考えをお持ちですか?」


 テーブルの左手、一番手前に座っていた宰相のナナウスが、柔らかな物腰で問うた。彼は枯れ葉のように年老いていたが、その瞳には未だ、曇りない賢明さが湛えられている。

 ナナウスは前皇帝亡き後の帝国を、瓦解の危機から救った立役者でもあった。ウェスヴィアの右腕であった彼が機転を利かせ、二年もの間、皇帝の死を伏せたお陰で、帝国は喫緊の問題である後継争いに決着をつけることが出来たのだ。争い自体は、控えめに言っても血の粛清ではあったけれども。

 そんな重鎮であるにもかかわらず、レムルスはナナウスをどうも好きになれなかった。

 微笑んでいても、いつも瞳が冷たい。どこか爬虫類を思わせる容貌も苦手だ。

 そしてこのように、しばしば自分を試すような発言をする。


(言われなくても分かっている。どうせまた先代と僕を、比べているのだろう。こんな風に、大勢の前で毎回毎回恥をかかせなくてもいいのに)


 レムルスはせめて少しでも大きく見えるように、背筋を伸ばした。


「ぼ……。余は、かねて伝えた通り、今、帝国が注力すべきは内政であると考える。しかるに反乱の警告は、安易に捨て置けるものでもない。自由都市への追加の派兵はこれを認む。ただし実行前に、各都市の代表を召集し、状況を良く聞き取り、打ち合わせよ。塩の専売はこの一件が片付いてのちに、改めて審議することにしよう。他、詳細は各々に一任する。手に余る問題が発生したときには、改めて議会に諮るが良い」


 レムルスは豪華な絹の衣服を腿の上で握りしめつつ、視線を落とし気味になんとか述べた。


(これで良かったろうか。また、前のようにとんちんかんな答えをしてしまわなかっただろうか?)


 テストの採点を薄目に見るように、宰相へと上目遣いの視線を向けた。

 宰相は蛇のような目を糸にして、口を引き結んでいる。良いのか、悪いのか。表情からは心の内が何も分からない。


(また失敗したかも知れない。余計なことを言っただろうか。皆がやりにくくなってしまったかも)

「で、でも、もし……」

「陛下」


 前言を撤回し、全て任せると言い直そうとした矢先、ナナウスが静かにたしなめた。レムルスは口を噤む。


(どっちが皇帝なんだろう。僕はただここにいて、皆の言葉を聞いて、それを体よくまとめているだけではないだろうか。宰相が言わせたいことを、言っているだけではないだろうか)


 暗澹たる気持ちになる。

 自分は人間ではなく、皇帝という概念を身に纏った人形なのかも知れない。


 皇帝が内にこもっている間に、反乱に関する議題は次回までに各自が細部を詰めて、もう一度審議することになった。

 その後は、帝都内部の問題に話が移っていく。


「……奇病に罹患する者は、日を追って増えているようです。ですが実態よりも噂の方がやっかいで、浄火教なる怪しげな宗教が、人々の不安を利用して信者を増やしています。目下、各神殿が協力して……」

「……異国の吟遊詩人が、貧民街で帝国を批判する歌を歌っていたようです。警邏が追いましたが、残念ながら取り逃がしました……」

 ――等々。


(大小の差はあれ、よくもまあ、次から次へと問題がわき出してくるものだ)


 ただでさえ難しい舵取りが必要な時期だというのに、とレムルスは天を仰ぐ。


「余は疲れた。後は宰相に任せる」


 不意に身体が酷くだる重く感じ、レムルスは席を立った。一同が立ち上がり、最敬礼をする。


(いちいち立たなくたって良いのに。僕のことなんか、気に掛けないで欲しい)


 レムルスは逃げる姿を重臣たちに嘲られているように感じ、早足に小議場を後にした。

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