帝国の斜陽
【第二部あらすじ】
世界を滅亡させる存在『ビヨンド』についての手がかりを求め、シャイードとアルマは一路、帝国を目指す。
彼らを導くのは妖艶な魔女メリザンヌ。彼女の提案で、一行は塩の港ザルツルードから船に乗り込んだ。吟遊詩人のセティアスも一緒だ。
安全で退屈な船旅になるはずだったが、一切の攻撃を受け付けない鏡面体のビヨンド”歪み鏡”が出現し、船を破壊されてしまう。
落下したアルマを追い、海へと潜ったシャイードは、妖精界に迷い込んだ。
そこで捕縛されたシャイードは、過去に犯した大罪により、妖精の裁きを受けることとなる。無罪を訴えるシャイードだが、封じられた記憶への旅を通し、自身が純然たる悪であったことを知り、絶望してしまう。
妖精たちの心証も、事実も、完全なる有罪。その絶体絶命の裁判をひっくり返したのは、アルマの弁護と妖精たちのとある”慣習”だった。
法廷に乱入した”歪み鏡”を倒して妖精王となったシャイードは、故郷へ一時帰還する。
妖精樹の種を植え、故郷の復興を新たな妖精の友に託したシャイードは、アルマと共に改めて帝国を目指すのだった。
西の大高地から流れ落ち、湿地帯を抜け、広大なオルドラン平原を蛇行しながら東のサーペンタ海へ注ぐ大河アロケルは、古くからこの地の文明を支えてきた重要な水源だ。帝都グレゴールとこれを囲む農耕地もまた、その恩恵にあずかっている。
暴れ川でも知られるアロケルは、過去の大洪水で幾度かその流れを大きく変えた。
その度に、付近の町は川を追って移動を繰り返したため、オルドランの野の下には数々の古代遺跡が埋まっていると言われている。
研究が進んでいないのは、この地がかねてより、数多くの戦乱を飲み込んできたためだ。広い沃野は、どの国の王も欲してやまない領地であった。
その長き争いに終止符を打ったのが、先の皇帝、征服王ウェスヴィアである。竜退治としても名高いウェスヴィアは、平原に乱立していた国家や部族をあるときは武力で、あるときは懐柔をもって併呑し、一つにまとめ上げた。最後まで抵抗した流浪の騎馬民族ファルディアは、フスフィック山脈を越えた東方の荒れ地へと押しやられ、今も帝国の延ばす手に抗いながら彼の地を彷徨っている。
帝都のすぐ西で、アロケルは二本に分かれる。本流は帝都の北を守る水の障壁だ。南側を流れる支流は、町の中央北寄りを貫く。さらに幾つもの運河へと分解されて血管のように町を巡り、人々の生命線となり、移動経路ともなっていた。
グレゴールは帝国の遷都後、堅牢な城塞都市として再設計されたが、現在に至るまでこの地が戦場となったことはない。
川の流れは、石畳の敷き詰められた広場では形を変えて、八角形をした噴水の池を満たしていた。
ここは平民の住居区画にある広場の一つ。
早朝と言える時間帯で、付近にはうっすらと靄が掛かっていた。
朝採れの野菜や果物が、荷馬や荷車で次々に運び込まれてくる。川魚や肉類、卵、豆や芋や穀物の他、調味料や日用雑貨もある。
人々はタープを立てて店とし、それぞれに商う品々を並べ始めた。牛や山羊を軒下に繋いでいる者は、乳の値段が書かれた三角のプレートを足元に置いた。
色とりどりの布屋根を持つ店は、一見、無秩序に並んでいるように見える。しかし、にこやかに朝の挨拶を交わしているところを見るに、定位置というものが暗黙の了解としてあるようだ。
(今日は久々に晴れるだろう)
噴水の縁に腰掛けた吟遊詩人は、足を組み替えながら考える。相棒を腿の上に置き、羽根つき帽子を深く被ったまま弦に視線を落とした。
幾つかの弦を弾き、目を細める。相棒の機嫌も良さそうだ。寒すぎたり、暑すぎたり、雨が降ったりするとすぐに機嫌が悪くなる気むずかしいやつだが、ノッてるこいつは幸運を呼び寄せてくれる。
そして沢山の硬貨も。
指を遊ばせ、即興の旋律を紡いでいく。
(ここんとこ、ツキに見放されていたからな。そろそろ潮目が変わっても良い頃合いだ)
帝都で合流するはずだった仲間には会えないわ、交渉ごとは上手く行かないわ。
夕べなども、警備兵に目をつけられて、しつこく追われた。お陰で寝不足だ。思い出したらあくびが出てきた。
ふと足元に影が落ち、吟遊詩人は手を止めて身を硬くする。羽根つき帽子の広い鍔の下から、立ちはだかる人影を上目遣いに確認した。
肩の力を抜く。警備兵ではない。
四十代半ばとおぼしき、中肉中背の男性が立っていた。服装からするに、ごく普通の自由民だろう。
男はどこを見ているのか分からない、虚ろな瞳で立ち尽くしている。
「旦那様? 春告鳥に、夢をひととき、お望みかい?」
商売用の、芝居がかった口調で向かいの男に尋ねる。止まっていた指を動かし、幾つかの和音を鳴らしてみせた。
「武勇伝に冒険譚、恋愛悲恋、なんでもござれ。伝説からニュースまで、この春告鳥は、」
「……ゆめ」
「……は?」
口上の途中で、男がぼそりと口にした。
「そうだ、私は。何か……夢、……夢を……見た気がする……」
「はぁ」
曖昧な相づちを打ちながら、春告鳥――セティアスは男を祝福者だと考えた。祝福者には話が通じない。彼らは彼らの世界に住んだまま、この世界に住んでいる者たちだからだ。
祝福者への対処は心得ている。彼らの言葉に逆らわず、穏やかに話を合わせるのだ。勿論、手助けが必要であれば助力するつもりだ。祝福者はその名の通り、助けた者にも祝福をもたらしてくれる。
「それは良い。楽しい夢で?」
男は首を振った。
「良くない夢で?」
男はまた首を振る。
「……思い、だせない……」
「なるほど?」
セティアスは首を傾げた。男は眉根を寄せたのち、また無表情になった。
そして急に、糸が切れたようにその場に倒れた。
セティアスは慌てて立ち上がる。
「もし? 旦那様? どうされましたか、旦那様!」
呼びかけながら隣に跪き、横臥した男を素早く確認した。頭は打つ音は聞こえなかったはず。呼吸も、緩慢だけれどしっかりしている。目は開いたままだが、近くで指を振っても、瞳が追ってこない。
慎重に仰向け、首筋に指を添えて脈を測る。これも正常だ。
「無気力病だ……! また患者が出たぞ!」
いつの間にか、集まっていた人々の中から、誰かが言った。感染を恐れ、人々の輪が広がる。みな、慌てて口元に手を当てた。病の邪気は、一般的に呼吸と共に身体に入り込むと信じられている。左手で右手の拳を包み込む、癒やしの女神ナ・ランダに祝福を願う仕草をする者もいた。
(これが……?)
セティアスは顔を上げて目を見開き、再び男に視線を落とす。
男には意識があるように見える。それなのに、顔も身体もどこも弛緩しきっていて、無反応だ。
セティアスも噂には聞いていた。
健康で元気に働いていた者が、ある日突然、人が変わったように無口になり、ぼんやりとし、無気力になる原因不明の病だ。
進行すると横になったまま、起きることも出来なくなる。やがては眠りにつき、ずっと目覚めない。
治療師が身体を見ても、初期の段階ではなんら異常を感じられないという。
しかし横になって眠っている間に、徐々に身体が衰弱してゆくゆくは死に至る。薬草による治療や神性魔法で、身体の衰弱を遅らせることは出来るが、対症療法でしかない。
ここひと月ほどで急に流行が顕在化した病なのだとか。
精神的な病にも思えたが、一家が一斉に発症した例も幾つかあり、感染症であることも否定できない状況だ。
(残念だけど、僕に出来ることはないな)
セティアスは治療師でも神官でもない。立ち上がり、一歩下がって噴水に腰掛けた。
間もなく人の波が割れ、白い神官服を身につけた小柄な女性が走ってくる。背後に同じような衣服の男性を二人従えていた。首から提げた小さな薬壺は、ナ・ランダの神官であることを示す聖印であり、かつ、癒やしの水薬入れでもある。
彼女は病人の状態を見た後、セティアスに向けてキッとした瞳を向けた。
「貴方、何をしたんです?」
「僕? いいや、何も。客かと思い、声を掛けたら急に倒れたんだ」
「その人の言う通りだよ。こりゃ、無気力病じゃないか?」
近くで見ていた一人が擁護をしてくれ、女性神官はそうですか、と引き下がった。
その後、彼女はてきぱきと同行者に指示をし、町人の協力も得て、広場に面する神殿へと男を運んで行った。
人々はしばらくその場で、眉をひそめて会話を交わしていたが、朝の鐘が鳴ると仕事を思い出し、各々の店へと戻っていく。市が開く時間だ。
セティアスは安堵の息をつき、再び相棒を抱え込む。目を閉じ、何度か弦を弾いた。
「脣星落落たる帝国に/幼鳥の羽ばたきは、地を打ちすえて久し/あはれ、天蓋の布裂きて/忍び寄る音は何れのか……」
首を振って手を止め、詩を舌の上で吟味する。その唇がうっすらと弧を描いた。
「ふむ。地に落ちて、ただ腐りゆくだけの果実なら――、食べてあげるのも慈悲ではないかな?」




