虜囚
シャイードはまとわりつくような重い眠りから覚めた。
後頭部がずきずきと痛む。それに、全身がこわばっている。
(ここは……)
天井が白い。そのせいか、周囲が妙に明るかった。
そのとき、よどんだ沼に清水が流れ込むごとく、記憶が戻ってきた。
はじかれたように身を起こす。
(テントの中か。俺は……)
大きなテントのようだ。何人かが集まって会議が出来そうな広さがある。
手に違和感を覚えて視線を落とすと、両手両足はロープでしっかりと縛められていた。
ボディバッグは同じテントの隅に置かれていたが、背負っていたクロスボウは無い。
(くそっ、油断した)
そのとき、入り口が動いて男が姿を現した。
「お、目が覚めたのか」
「……!」
シャイードは身を固くして構える。
それとは正反対に、入ってきた男はリラックスした雰囲気だ。
彼も帝国の軍服を身につけていたが、ややだらしなく着崩されている。
そのせいか、どことなくやさぐれて見えた。
年は30代半ばほどだろうか。
焦げ茶色の髪。濃褐色の瞳はやや垂れ気味で、口の周りには無精ひげが生えていた。
口端が片側、あざ笑うかのごとく持ち上げられている。
そして片手には、シャイードのクロスボウがあった。
「俺の……! 返せよ!」
シャイードは縛められたままの両足を折り曲げ、立ち上がろうとする。
その額に向け、クロスボウの先端が向けられた。
緊張が走る。
「いい子ちゃんにしてな。そうすれば、無傷でおうちに帰してやるから」
低い声で脅された。
シャイードはぎりと歯をかみしめたが、この状況で抵抗するほど愚かではない。至近距離でのボルトの威力は、誰よりも自分がよく知っている。
やがて男は、クロスボウの先端を上に向けた。
「こいつぁ、随分変わった仕組みを取り入れているじゃねえか? ええ? どこで手に入れたんだ」
「………。作った」
「ほぉ……。お前さんがか」
男は片眉を上げ、シャイードを見た。
その後、彼を回り込んでテントの奥へ入り、座面が布一枚の、簡易な椅子に腰掛ける。
両手に掲げたクロスボウを、くるくると回しながら裏表を眺めた。
「器用なもんだ。それに、弓の両端に滑車がついた形なんて、初めて見たぜ」
男は感心したように言い、クロスボウを背後の木箱の上に置く。
そして両手を組み、膝の上に肘を置いて前傾姿勢になった。
「……で? 引き上げ屋さんよ。お前さん、ギルドの通達は聞かなかったのか。この遺跡は今、学術調査のために封鎖してるんだぜ?」
シャイードは男を前髪の下からじっと見つめる。
男は口端を持ち上げた笑いを貼り付けたまま、答えを待っていた。
シャイードは居住まいをただし、なるべく大きく見えるように背筋を伸ばした。そして答える。
「知っている。――俺は酒場から依頼を受けて、人を探しに来ただけだ」
「なるほどねぇ」
言葉には、表面的な響きがあった。男は聞く前から事情を知っていたようだ。
既にゲートの見張りから報告を受けていたのだろう。
「そういうことなら、おじさんたちがちゃあんと探しておいてやるから。お前さんはとっとと町に帰るんだな」
「嫌だ、と言ったら?」
「あは、そういうこと言っちゃうんだ? この状況で?」
男は面白そうに肩を揺らした。両手を広げる。
「いいねぇ、おじさん嫌いじゃないよそういうの。若気の至りっての? いいねぇ」
「……馬鹿にしてんのか!」
シャイードは思わずかっとなって声を荒げた。
「そうだよ」
男の声が急に冷える。
いつの間にか、瞳が笑っていなかった。
「おじさんはねぇ、お前さんに頼んでるんじゃないんだ。――命令してるんだよ。それを分からないかなぁー? 分からないとしたら、馬鹿だよね?」
シャイードは男をにらみつける。
「そういうわけにはいかない。彼女の無事を確かめないと。ここには来なかったか? アンタたちが捕まえているんじゃないのか?」
縛められている両手を掲げてみせた。こんなふうに、と。
男は両手を挙げて首を振る。
「そんな、誤解だよ? おじさんたち、こう見えて学者だからね? 手荒なまねなんて!」
シャイードは突っ込まない。
スルーされたことを特に気にした様子も無く、男は手を下げた。
「悪いけど今はね、無理なんだ。遺跡には入れないんだよ」
「……捕獲とやらで?」
男は質問に答えない。だが、半眼になり「あいつら……」と呟いた。
「アンタたち、帝国兵だろ。こんなところで何をやってるんだ?」
この質問に、男は意表を突かれたようだ。
瞠目したあと、手をまぶたに当てて上を向いた。
「あー……、それを知っちゃったかぁ。知っちゃってたのかぁ……」
芝居がかった仕草だ、とシャイードはいらいらした。
「ごめんねぇ、ボク。そういうことなら、お前さんをおうちに帰すのは、ちょーっと難しくなってきちゃったかも知れないんだ」
「はぁっ!?」
「ボスにね、確認しないと。そんなわけで、お前さんはもうしばらくここで休んでな。ボスは夕方までには戻るはずだから」
「お、おい……! 何で帝国兵がこんな辺境に……」
シャイードの問いには答えず、話は終わりとばかりに男は片手を振って立ち上がる。
そして再び虜囚の前を悠然と通り抜け、天幕の入り口に手を掛けた。
「待てっ! アイシャは……、彼女は遺跡に潜ったのか? 一人で!?」
立ち去る背中に向け、シャイードは早口に尋ねた。
男は立ち止まり、答えるべきかどうか少し迷う様子を見せた。
「そうだ。でも、違う」
考えながら答え、肩越しに振り返る。
「潜った先には調査隊がいる。一人じゃないだろ。……たぶん、な」
男はそれを最後に、外へ出て行った。「見張ってろ」と、外にいる誰かに命じているのが聞こえる。
シャイードは深いため息をつく。
少しも安心は出来なかった。
◇
夜になっても、調査隊は戻らなかった。
シチューとパンが与えられ、シャイードは両手を縛られたままで食事をした。
先ほどの男がやってきて、上の空で貧乏揺すりをしている。
「話が違うようだが」
夕食を食べ終えたシャイードは、器を遠ざけながら男をにらみつける。
男はちらと彼に視線を送り、また前を見た。
答えがなくとも、シャイードは焦らない。
再びここに来たと言うことは、男は何らかの話をするつもりなのだ。
「ボスとやらが戻らなかったら、俺はずっとこんなところにいなくてはいけないのか?」
男は黙りを決め込んでいる。
シャイードは挑発する表情を浮かべ、
「それとも今度は、本国に確認するのか? ”辺境で捕らえた男の処遇を、どうしたらいいでしょう”って」
「うるせえな! 軍人ってのはそういうもんなんだよ!」
勢いで返してから、男ははっと口をつぐむ。
シャイードは声を立てて楽しそうに笑った。
「やっと白状したか。いいぜ、腹割って話そう」
男は苦虫をかみつぶした表情をしていたが、鋭く息を吐き出した。
「仕方がないよなぁ」
彼は首を振りながら椅子から立ち上がり、シャイードに近づく。
すぐ傍にしゃがみ込み、シャイードの瞳を覗き込んだ。
唐突に男は悲しそうな表情をする。
「ガキを手に掛けるような真似、おじさん全然性分じゃないんだよ……。それだけは分かってくれよな、ボク」
その手には腰から引き抜いた短刀が握られていた。
「何、を……、」
「余計なことを知っちまったやつを処理するのは、こいつが一番手っ取り早くてな」
「……っ!!」
シャイードはとっさに両腕両足を引き寄せて首筋と内臓をかばい、目を閉じる。
両腕に意識を集中させた。
男は短刀を逆手に構え、勢いよく振り下ろした。




