成長の儀式
一行は、種を植えた場所へと再び戻って来た。
「それじゃあ、やるぞ」
シャイードは流転の魔法剣を鞘から抜き、柔らかく水を含んだ土の上に切っ先を下にして突き立てる。
小剣は刃渡りが短いため、片膝を立ててしゃがんだ。
柄の上に両手を重ねて目を瞑る。剣に魔力を通そうとしたところで、手の甲に温かさが触れた。反射的に目を開くと、ロロディが手を重ね、左隣ではにかんだ笑顔を浮かべている。
続いて右隣にはローシが進み出た。ロロディの上に、その手を重ねる。
「みんなで一緒にやれば、妖精樹はもっと喜ぶよ! きっと!」
ロロディはそう言って、アルマにも無言で協力を促す。アルマは少しの間、首を傾げていたが、やがてローシの後ろから、大きく身をかがめて手を置いた。最後にフォスが乗っかる。
シャイードは鼻から笑いの気配を逃し、再び目を瞑った。
「フラックスよ! 命を、……育め!!」
流転の魔法剣を通して、願いが魔力の奔流となって妖精樹の種へと注ぎ込まれる。
周囲を柔らかく、温かな魔力が包みこんだ。集中を解き、瞼を開く。剣の向こう側で、掘り返して埋め戻した土が小さくうごめいている。
シャイードは立ち上がりながら小剣を引き抜き、土を払って鞘に収めた。皆もそれぞれ数歩ずつ下がる。
固唾をのんで見守るうち、土の中から淡い緑色をした双葉が芽吹く。それはするすると成長して、シャイードの肩の高さほどの若木となって成長を止めた。
ロロディは「やったー!」と大喜びで手を叩く。
「うむ。上出来じゃろう」
ローシも嬉しそうだ。フォスは、木の枝周りをぐるぐると回っている。
シャイードは息を吐き出した。
「もっとあっという間に大木になるのかと思ってた。フラックスの力を使ったのに……」
「成長の遅い木ほど、堅く力強く大きくなるものじゃよ」
ローシが何度も頷き、枝振りを見上げながらヒゲをしごく。
アルマは若葉の一枚を指先で挟み、触感を味わっていたが、シャイードの方を向き直った。
「安心するのだ。この葉から、強い魔力を感じるぞ」
「枯れたりしねぇかな……。虫に食われたり、嵐になぎ倒されたりして」
「そこはほれ、地妖精であるわしに任せい」
ローシが突然、胸を叩いて宣言し、シャイードは「えっ!?」と驚きを返す。
「なんじゃ? わしは暇だと言ったであろうが。しばらくの間、ここで妖精樹を見守ってやるぞい」
「いいのか? だって、こんな何もないとこ……」
「ふぉふぉ。心配することはないぞ。わしも妖精の道くらい、ちゃちゃーっと作れるからの」
「そうなの、ローシ! 凄いなぁ!!」
ロロディは目を丸くした。ローシは腰に手を当てて胸を反らした。
「そしたらオイラも! ローシのお手伝いしたい。いい? オイラさいけんも沢山あるから、必要なときにはみんなにも手伝って貰えるし!」
「ロロ……」
「ねえ、シャイード! 任せて! オイラたち、きっとここを、元通りに……、ううん。元よりもーっと、素敵な場所にしてみせるから。そしたらシャイード、もう痛くならないでしょ?」
ここ、とロロディは自分の胸に手を当てた。
シャイードは恐い顔をして、ロロディの胸を見つめた。すぐに目を閉じ、唇を噛みしめる。
痛い。まただ。
胸の奥が、……酷く痛む。
シャイードは震える唇を開き、何も言わずに閉じた。もう一度、唇を噛みしめる。
目頭がつんとする。悲しくもないのに、おかしな事だった。
俯いて何度か呼吸を整えた後、漸く顔を上げる。笑顔を向けようとしたのに、なんだか表情筋が上手く働かなかった。眉尻が下がったまま、不完全な笑みをロロディに向ける。
新たな、妖精の友に。
「……ああ、そうだな。いつか、この若木が大樹になる頃には、たぶん」
おそらくそれくらいの、長い長い時間が必要になるだろう。
あの優しい風景を破壊したのが自分であることに、折り合いをつけるには。自分で自分を、幾らかでも許せるようになるまでは。
シャイードにはこの樹の行く末を、見守る責務がある。
厄災などに邪魔されるわけにはいかない。
フォスが突如として興奮し、四人の周りをぐるぐると回り出した。
「どうした、フォス……、あ」
シャイードはフォスの動きに導かれ、視線を持ち上げた。アルマ、ロロディ、ローシが続く。
太陽に背を向けたその先に。
通り過ぎた雨雲をスクリーンにして、空に、大きな虹が架かっている。
イ・ブラセルの再生を、祝福しているかのようだ。
ロロディは大喜びで跳ね回った。フォスもだ。ローシの表情は眉毛と髭に埋もれて分からないが、満足げにヒゲを撫でている。
シャイードはまぶしそうに目を細めた。
帝国までの、平坦な船旅になるはずだった。
それがどうした運命の悪戯か、捕らわれ、記憶をたどる旅に出て、罪を自覚し、傷つき苦しんだ。早くも旅を投げ出しそうになった。
そうならなかったのは、今ここにいる者たちが支えてくれたからだ。
そして今、自分の腰には王の証がある。
師匠の遺志だから、やむを得ず。納得はしていない――。
そんな旅が、少しだけ変化した。自分の意志で、進んでみようと思えた。相も変わらず、ガラではないと思いはすれど。
『雨がなければ虹もなし』
(……虹が出るために、必要な雨だったんだ)
シャイードは師匠の言葉の意味を噛みしめていた。
「汝らは何を喜んでいる? ただの光の屈折現象であろう」
隣に立つアルマが、いつもの平坦な声で言う。
シャイードは、むっとして隣を見上げた。
折角の気分に水を差されて、何かひとこと言ってやるつもりだった。しかし魔導書の横顔を見て思い直す。
彼は何かを感じ取ろうとしていた。ともあれ、シャイードはそう受け止めた。
やがて虹を見上げていたアルマの視線が、シャイードの元に舞い降りてくる。
「我には虹から、現象以上の情報を汲み取ることは出来ない。しかし、この光景は目立つところに記録しておくことにする」
「目立つところ?」
「例えば、扉だな。さすれば、すぐに見返せるであろう?」
シャイードは戸惑い、視線を周囲に向ける。
「扉って、……どこの家の?」
「家ではない。表紙を開いてすぐのところだ」
「……、………。! 本かよ!?」
シャイードは勢いよく突っ込んだ後、「いや、本だった」と呟いて目を閉じ、小さく首を振った。それからもう一度、アルマを見上げる。
「お前、そんなに頻繁に見返す……思い出すつもりなのか? ただの光の屈折現象なのに?」
怪訝そうな問いかけに、アルマは再び虹を見遣る。虹は薄れ始めていた。
しばらく、何の返答もない。
再びシャイードに視線が戻ってきたとき、アルマは困惑しているように見えた。
「そう判断した。いずれは汝らと同じように、見えざる情報を引き出せるであろうか」
「……ふはっ。知らね」
シャイードは頭の後ろで腕を組み、興味なさそうに答える。その口端は、この小さな変化を面白がるように持ち上がっていた。
こちらにて、第二部「妖精裁判」は完結となります。
読んで下さり、ありがとうございます。
第三部、二人の旅はいよいよ帝国へとその舞台を移します。
果たして厄災を滅ぼす手がかりは見つかるのでしょうか。
引き続き、おつきあいいただけましたら幸いです。




