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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
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イ・ブラセル

 再び集中をし、イ・ブラセルを思い描く。そして空間に直径八十センチほどの円を描いた。

 最初は島の遠景が。さらに細部に集中して、塔の前の広場を思い浮かべた。

 画像の解像度が上がり、妖精の道が固定される。


 円の向こうの景色に落ちる影の様子から、太陽は西の空の中程にあることが見て取れた。

 妖精界にやってきたとき、内海は夜なのに大釜の湖は昼間だった。だから現世界と妖精界には時差があるのだと思ったが、イ・ブラセルとはさほど時差がないように見える。

 現世界での位置が大きく異なるせいかも知れないし、他の理由かも知れない。


「……よし! 上手く出来た!」


 シャイードは肩の力を抜き、小剣を鞘にしまって大きなため息をついた。やはりかなり疲れる。

 アルマが前に出て、円の外縁に触れた。そして、「ふむ。問題なさそうだな」と言うなり、中に飛び込んでしまった。

 その姿がフッと視界から消える。


「んんっ!?」


 何かの不具合かと、慌ててシャイードも輪の中に身を乗り出して覗き込む。フォスがその頭上を潜った。

 視線を下げると、草地に俯せに突っ伏す魔導書が見えた。


「転んだ」

「お前なぁ……。驚かせるなよ……」


 両手をついて身を起こそうとしている姿を見て、安堵に肩を落とす。シャイードは一旦中に引っ込み、まず種を抱えてアルマに渡した。それから自らも輪を潜る。


「出来れば地面に円の底を合わせて欲しかったぞ。服の裾が長いせいで、我は転びやすいのでな」

「いや、わかっていたらこけないようにしろよ」

「いいや。汝が”ゆにばーさるでざいん”を目指すべきである」

「三番のりー!」


 ロロディが元気に続き、最後にローシが慣れた様子で輪を潜る。


「ほうほう。ここがイ・ブラセルか」


 ローシは草地に降り立って辺りを見渡した。その背後で、ゆっくりと道が閉じる。


「ふぅむ。魔力濃度が現世界レベルに落ちたままだのう。こりゃ、道を開くのも一苦労じゃったろう」

「ほんとだね! これじゃ妖精、住めないや。魔力足りないと、だんだん姿が希薄になって、最後は消えちゃうんだよね」


 彼らの言葉には責める気配など欠片もなかったけれど、シャイードは少し気分が落ち込んだ。妖精は、死んでも死体が残らない。まるで初めから存在しなかったかのように、消え失せてしまうのだ。

 その右手に、温かさが触れる。

 驚いて視線を向けると、ロロディが手を握ってた。彼はニッと癖のある笑顔を浮かべ、


「早速、種を植えよー! どこにする、シャイード?」


 と元気にシャベルを持ち上げて手を引っ張った。


「お、おう。そうだな……」


 彼は焼けて骨だらけになった北の森を見遣り、それから右手の崩れた塔を見る。

 畑だった場所は草ぼうぼうだ。

 シャイードは足元を見る。ここはルミナス・カーバンクルが自爆をした辺りだ。あのとき生成された血晶石は、東の崖の中腹にある洞窟に全て移動してある。


「……、ここが良い」


 以前と同じ場所に植えることも一度は考えた。だが、新しいイ・ブラセルを始めるには、新しい場所がふさわしいのではないかと考え直したのだ。

 悲しいことがあった場所でもあるけれど、だからこそ、楽しい場所として上書きをしたいと思う。


「良い選択じゃな、坊主。ここは大地の滋養が豊かなようじゃからの」


 地妖精らしい保証を受け、「ん」と顎を引き、シャイードは地面に向き直った。両手の爪を伸ばす。



 ローシが地面を柔らかくする魔法を掛け、シャイードとロロディで草地に穴を掘り、アルマはその間、ずっと種を抱えて突っ立っていた。

 途中、アルマはシャイードに「それは仕事じゃない」と怒られ、元の畑に引き込んだ川から水を汲んでくるよう命じられる。

 アルマは種を穴のそばに置き、身を起こした。空を見上げる。


「シャイード。水を汲む必要はない」


 呼ばれた彼が穴の中から顔を上げると、アルマは西の空を指さしていた。黒い雲が接近してくるところだ。


「水の方が来てくれたぞ」


 間もなく、雨が降り始める。



 急いで種を穴に落とし、土をかけた後は、雨粒から逃げるように塔へと走った。

 倒壊を免れた部分の内、二階の床が屋根のように張り出している場所に逃げこむ。

 その頃には雨は、滝のように激しく地面を打ち据えていた。

 ロロディは何が楽しいのか、あえて雨の中で飛び跳ねている。フォスも一緒だ。


「恵みの雨じゃのう」


 ローシはしっとりした髭をしごいている。アルマはローブの裾を絞った。


「我は濡れるのは好きではない」

「心配するな。この雨はすぐ止む。……いつもそうだった」


 シャイードは屋根代わりの石床の割れ目から、細い水が絶え間なく流れ落ちるのをぼんやりと眺めた。それから思い出したように、土で汚れた爪を丹念に洗う。


 かつての住まいであったこの塔は、夢の中にも何度も出てきた。

 走っても近づけない。死にゆく師を、助けようとしても助けられない。――嫌な夢ばかりだった。

 しかし、いざ戻ってきてみれば、夢で見たよりも随分と小さい。陽当たりが良く、静かな場所だ。崩れた石材には苔が生え、自然に還ろうとしている。

 手についた水を払った後、シャイードは師の遺体を埋めた場所を見遣った。

 瓦礫を退かした狭い空間に、申し訳程度の墓石を建ててある。

 シャイードの視線追い、アルマも墓石へ顔を向けた。

 それに気づいたシャイードは、また何か場違いなことを言うのだろう、と身構えたけれど、アルマは何も言わなかった。

 見上げてみても表情はいつも通りで、何を考えているのかさっぱり分からない。

 そこでシャイードは、思い至る。アルマにとってサレムは、彼を本来住んでいた世界から引き離し、この世界に縛り付けた相手だ。


「………、師匠を憎いと思うか?」


 逡巡した後、視線を落として隣に尋ねる。アルマは主を見た。横顔に視線を感じる。


「何故?」

「師匠が喚び出さなければ、お前はこんな面倒を背負い込まずに済んだだろ」

「それはその通りだ」

「だから……」

「シャイード」


 アルマはいつものように静かに、彼に語りかけた。シャイードは顔を上げて視線を合わせる。ローシは知らぬ顔をしているが、会話に耳を傾けていることは気配で分かった。


「我は憎しみなど感じない。その他の、どんな感情も」

「えっ!?」

「我は情報を感情には変換しない。我は情報をただ、魔力に変換する」


 シャイードは唇に指を添え、アルマの言動を思い浮かべた。少しはこの異形の無表情にも、時折、何らかの感情や情動を感じ取れるようになってきたと思っていたが、間違いだったのだろうか。

 例えば、自分と言い争っているとき。彼は負けたくないと思っているのでは?

 例えば、上から目線で何かを言ってくるとき。彼は優越感を覚えているのでは?

 例えば、情報を得たとき。彼は嬉しいのでは?

 例えば、――本当は今すぐにでも元の世界に還りたいのでは? ……と。


「汝を含め、この世界に住む者たちは、本質のないものに本質を見いだす習性があるようだな。ぬいぐるみに心があると思ったり、神像に魂が宿っていると考えたり。だがそれは、汝らの感情のこだまでしかない」

「でもお前は、いつも情報を欲しがるだろ? ”欲しい”と思うのは感情じゃないのか?」


 アルマは首を振る。


「ゴーレムとて、侵入者を排除するよう術式に織り込まれれば、その欲求に従う。感情などなくともな」

「お前が、ゴーレムと同じだって? はっ! そんな従順じゃないだろ、お前は」


 今度はシャイードが首を振った。信じない。確かにアルマは感情が希薄だとは思う。無表情だし、言葉は棒読みだ。しかし、”ない”とはどうしても思えなかった。


「お前はよく”我は”って言うじゃねえか。だから少なくとも、本質はあるだろ、アルマ」

「………」


 シャイードは、腰に佩いた魔法剣の柄に手を置いた。


「お前の世界がどんなとこかは知らない。全く想像もつかないが……、今、俺の目の前にいるお前にはちゃんと”我”があるし、時折感情らしいものも感じ取れるよ。逆説的だけど、この世界にもしも不変(・・)の法則があるとすれば、それは”変化”だと思う。流転の王笏(フラックス)の力が強いのは、世界の法則が強いから。誰も抗えない。あの、無敵のビヨンドだって抗えなかった。だからこの世界に喚ばれ、この世界の情報を取り込んでいく内に、お前自身も変化している。多かれ少なかれな。気づいていないだけだ。――お前自身をよく観察してみろ、アルマ。得意だろ?」


 アルマは何も答えず、目を閉じて顎を引いた。

 シャイードは知っている。彼は今の言葉を拒否したわけではない。情報として取り込んで、考えているはずだ。

 そしてそれが、絶えず彼を変化させているはずなのだ。

 ローシはただ目を閉じたまま、そこに佇んでいた。


「シャイードーー! 雨、止んだ!」


 離れた場所から、ロロディがぶんぶんと手を振った。犬のように身を震わせ、髪の毛と、毛に覆われた下半身の水気を払ったのち、こちらへと駆けてくる。フォスも一緒だ。

 早くも頭上には青空が戻っていた。

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