妖精裁判 判決
シャイードは一瞬、呼吸を忘れた。だがすぐに、目を閉じて静かに息を吐き出す。
「そうか。……それは困ったな」
「困っている場合か。汝、旅を続けることに決めたのであろう?」
「……ああ」
シャイードは頷く。アルマの片手が腕に掛かったままだ。
「でも大罪人として逃亡したら、折角の王の力が生かせないぞ。妖精の協力は得られないだろうから」
「しかたあるまい。世の中、思い通りになることの方が少ないものだ」
シャイードは片顔で笑った。
「お前らしくもないセリフだな?」
「何を言う。この世界に喚ばれた瞬間からずっと、我の思い通りにはなっておらぬのだぞ」
「ふはっ、そうだったな。……まあ、腕を切り落とすかどうかは、罰の内容を聞いてからでも遅くはないだろ。俺たちは妖精の法について、部分的にしか知らない」
アルマはシャイードの腕を解放した。主の横顔をじっと見つめる。
「……汝。少し変わったか?」
「そうか?」
呟きを拾い、シャイードはアルマに視線だけを向けた。シャイードは落ち着いている。有罪が下されると知りながらも、どこかリラックスしているように見えた。
一時だけ、黒と金の視線が空で絡みあったが、シャイードはすぐに視線を正面に戻す。
「正しい選択のためには、まず状況をよく見極めなくてはいけない。そう思っただけだ」
アルマもつられて正面に顔を向けた。
集計を終えたらしいバロメッツが、裁判長の元へ走っている。
いよいよ判決だ。
バロメッツは両手の蹄をじっと見、それから空を仰いで、再び蹄を確認する。
そして裁判長になにやら耳打ちした。
裁判長は二度三度と頷き、聞き取りを完了する。
この場にいる全員の姿勢が、その様子に集中していた。
「よろしい」
バロメッツが一礼して離れていくと、裁判長は立ち上がる。
「それでは判決を言い渡す。被告人は前へ」
言われるがまま、シャイードは席を離れた。
彼は胸を張り、堂々とした様子で歩む。王権の証である流転の魔法剣に左手を添え、ゆったりと。急に増えた肩書きを、難なく演じている。
それもそのはず。彼はドラゴンであり、その気質は生来の王者なのだ。何者にも服わぬという孤高さにおいて。
その立派なたたずまいに、有罪に投じた妖精たちの中からさえ、「ほぅ」というため息がこぼれた。
今この瞬間のシャイードを見て、裁きを受けるために進み出たと思う者は誰もいなかった。まるで戴冠式に臨む若き王のように、妖精たちの目には映っていたのだ。
裁判長は、その様子に目を細める。それから重々しく、口を開いた。
「シャイードよ。我が盟友、サレムの養い子よ。そなたの犯した罪について、妖精の法廷はたった今、一つの結論に達した」
シャイードは何も言わず、瞬きもせず、裁判長を見上げて罪の名が自身に降り注ぐのを待つ。不思議と怖くはない。
右手の弁護席から、アルマの静かな視線とローシの(眉毛越しの)思慮深い視線を肌に感じる。その後ろではロロディが両手で笛を握り、瞼をぎゅっと瞑っていた。
彼らの期待に添えなかったことは残念だと思う。けれどシャイードは、真実という得がたい記憶を取り戻すことが出来た。後悔はない。
「黒竜シャイード。妖精の法廷はそなたを……無罪とする」
裁判長が高らかに宣言した。直後、わああ! と妖精たちから喚声が上がる。無罪に投じた妖精からは勿論、有罪に投じた妖精たちからもだ。
あのモリグナでさえ、揃ってシャイードに翼による拍手を送っている。フォスは肩の上でぴょんぴょんと跳ねた。
「………、え?」
目を瞑り、しみじみと罪の名を味わおうとしたシャイードは、あっけにとられて周りを見渡した。
それまでに纏っていた王者の威厳は、どこかへと吹き飛んでしまう。
彼はぽかんと口を開いた間抜け面をさらし、大はしゃぎする周囲に取り残された。
「な、なんでだ!?」
思わず、うわずった声で裁判長に詰め寄る。裁判長は細めていた目を瞬き、不思議そうに若き王を見下ろした。
「なんで……、とは。あー、厳正なる裁判の結果、ここにいる妖精たち全員でそう、判断したのだ」
「いや、おかしいだろ。有罪に投じた妖精の方が、多かったんじゃないのか?」
裁判長はバロメッツと視線を交わし、二人は揃って首を振った。
「無罪が232、有罪が231で、そなたは無罪と判定されたぞ」
シャイードは耳を疑い、目を剝いてアルマを振り返った。アルマはきっぱりと首を振っている。
我は数え間違えなどしておらぬ、と言っているようだ。
だとすれば……
「数え……間違い……?」
シャイードは小さく呟いた。いや、違う。アルマに聞いたのと数字が似ている。
バロメッツは王に報告するとき、一瞬戸惑っていたように見えた。その際に、カウントした数字の前後を一部、間違って伝えてしまったのだろう。
そしてそのことに、彼自身も気づいていない。
シャイードはそのことを、指摘しようと口を開き掛ける。そこにロロディが飛び出してきて横から抱きついた。
「シャイード、おめでとう! オイラ、ずっと信じてたよ! シャイードは勝つって、ずっと信じてた!!」
ロロディは遠慮無く、シャイードの衣服に頬ずりした。
ローシとアルマも、席から離れて近づいてくる。
シャイードはロロディの頭を撫でながら身を解き、困惑の視線を彼らに向けた。
「ローシ、アルマ。俺……」
「これでいいんじゃよ、坊主」
意外にも、ローシはにこにこしていた。眉と髭に埋もれていても分かるくらい、嬉しそうだ。
「でも」
「悪意なく数え間違えられたトロンプロンのメヘゴニーネ回数は、有効」
ローシが杖をシャイードの鼻先に突きつけ、きっぱりと言い放つ。そして頷く。
「その混沌すら要素として許容する。これぞ妖精流の、正しい裁きなのじゃ」
シャイードは緊張がほぐれ、一気に脱力した。膝が笑っている。その場で座り込みそうになるのを、アルマが後ろから支えた。というより、首根っこをつかまれている。
「なん……っ、それ……。裁判の意味は? 俺の覚悟は、一体……」
威厳は欠片も残さず吹っ飛んだ。親猫に運ばれる子猫、あるいは洗濯物のようにぶら下がった王に向かい、ローシはかっかと笑う。
「裁判の意味はあったに決まっておろう! 数えてみるまで結論が分からぬほど、有罪と無罪が拮抗しなければ、そもそも数えない。すなわち、数え間違いなど決して起こらぬのじゃ。坊主、よくやった。よくぞ戦い抜いたな。わしゃ、こんなに嬉しく、興奮したのは久しぶりじゃよ。いやはや! 今ならバララッカにだって参戦できそうじゃぞ!!」
ローシは両腕を振り上げ、がに股で屈伸を始める。ロロディが隣で、その滑稽な様子に腹を抱えて笑った。
「だが……っ! 間違いで覆る判決なんて、ちっとも正しくないだろうが」
シャイードは納得がいかず、脱力したまま眉根を寄せる。ローシは姿勢を戻し、ゆるゆると首を振った。
「もとより法に正義などないのじゃよ。法はあくまでただの法。時代と共に価値も解釈も揺らぐ、おぼろげなルールでしかない。それも虫っ喰いの、穴だらけのじゃ。本当の正義は、坊主が学びとったように、ひとりひとりの心の中にこそあるものなんじゃ。裁きとはそのきっかけに過ぎぬよ」
「わからねぇ……」
「それでいいんじゃ! 法があるお陰で、みんなは何が正しいかを考えるのじゃ。そうして考え続け、問い続けることこそが、正義に至る唯一の道だと、わしは考えておる」
「考え、……続ける……」
シャイードは呆然と繰り返す。その言葉は、やけにすんなりとシャイードの意識に染みこんできた。
両脚に力を入れ、何とか自力で立つ。アルマが手を緩めた。シャイードは一度瞼を閉じて黙考した後、きりっと顔を持ち上げる。
「アンタの言う通りだ、ローシ。憎しみに身を委ね、一つの考えに固執したとき、俺は獣になった。もう二度と、同じ過ちは繰り返すまい」
「少しは我が主らしくなってきたようだな、シャイード」
アルマが身をかがめ、耳の後ろでささやく。途端に、シャイードは自分の発言が気恥ずかしくなる。
「お前、なんでいっつも上からなんだよ!」
息の掛かった耳をかばって振り返り、鼻を鳴らして抗議した。
間もなく、モリグナによってシャイードの手首から枷が外される。
そして裁判長は改めて、居住まいを正して高らかに宣言した。
「本日は、これにて閉廷!」




