魔法の剣
妖精王などと呼ばれたときには驚いたが、ロロディの態度は何も変わらない。人なつこい笑顔で、食事の間中、話題をあちらこちらと弾ませた。
シャイードがスコーンに木イチゴのジャムを塗っているときの話題は、アルマを発見した経緯についてだった。
「それでね、オイラが真っ暗な部屋から出ようとしたら、箱の蓋がぎぃぃ……って開いて、大きくてまっくろな影がオイラに巻き付いてきたんだ! お化けに食べられちゃうかと思って、怖くて、必死で暴れて! でもね、それはアルマだったんだ!」
「頭突きを喰らったのだ。汝は石頭であった」
アルマは思い出したように顎の下を撫でた。ロロディは舌を出して片目を瞑る。
「えへへ。角が当たっちゃったんだね。ごめんね! でもびっくりしたんだ! アルマは何でオイラがショーコヒン探してるって分かったの?」
「そんなことは知らぬ。汝はあの時、”シャイード”と口にしたであろう? 我は、シャイードのところに案内させようと思っただけだ」
「そうだったんだねー! オイラ言ったっけ……? 覚えてないや!」
アルマは妖精たちによってフォスと共に海底から救い出された後、ロロディと合流するまでは本の姿でモリグナの控え室の長持に入れられていたそうだ。
その後、アルマはやることがあると言ってロロディの前から一旦姿を消す。彼は大釜の湖へと向かい、ビヨンドを呼び寄せたのだという。
「お前、ビヨンドを呼び寄せられるのか。だったら」
「いや、我が何らかの力を行使したわけではない。歪み鏡は既に我を敵と見なしていた。故に、近くまで来た我の匂いに気づき、自動的に追ってきただけだ」
考えてみれば歪み鏡は、こちらが手出しをするまでは攻撃らしい攻撃を仕掛けてこなかった。それこそ鏡のように反射的だ。
船に当たったのも敵意からではなく、ただ進行方向に船がいた、それだけのことだったのかもしれない。
現世界の海に妖精郷への入口が開いてしまったのはもちろん、世界膜を破壊するビヨンドの影響だ。もともとあのビヨンドは、妖精界に出現したビヨンドらしい。
たらふく食べたシャイードは、再びベッドに横になる。ロロディが嵐のように去って行くと、室内は急に静かになった。
シャイードは瞼を閉じて、長かった今日の出来事を振り返る。
受け止めるには辛すぎる記憶だ。
サヤックがそれ消したのは、優しさからだと分かっている。だが、腹が立った。
(俺の記憶は、俺のものだ。痛いからといって無かったことにしたら、俺はまた、同じ過ちを繰り返してしまう)
ドラゴンの姿に戻ったとき、シャイードは無敵になった気がした。何でも出来るし、何をしても許される。誰よりも強いし、全てを従える権利がある。
そんな傲慢な心に満たされ、大切な妖精たちのことも、矮小な存在として目に入らなくなった。
人間の姿の時は、もっと外に目を向けることが出来ていたはずなのに。ドラゴンの自分は、どこまでも自分が中心だ。
力に酔った、とアルマは言っていた。
だがそれが、ドラゴンの本性なのだと思う。
全てのドラゴンがそうとは考えたくない。しかしシャイードという黒竜の本性は、間違いなくそうだ。
(俺は悪竜なんだろう)
いつもアルマを悪だなんだと言っているが、所詮同じだ。シャイードは自嘲する。
(悪竜の俺に、世界なんて救えるんだろうか。そういうのは、物語では勇者の仕事だ。ドラゴンは倒されるべき障害で……、勇者には、なれない。サレムなら救えただろうか。それとも世界には他に、本物の勇者がいるんだろうか)
空気の動く気配がして、シャイードは瞼を開けた。
アルマが、流転の王笏を弄っている。フォスは窓際をふわふわ漂っていた。
「……妖精王になりたいか?」
シャイードが尋ねると、アルマは王笏を手にしたまま振り返り、首を振った。
「我は、我にしかなりたくない」
「ふっ」
シャイードは小さく笑った。アルマは自分を見失うことなんてないのだろう。そう思うと少し羨ましい。ほんの、少しだけだが、とすぐ自分の感情に言い訳する。
「王笏は明日、裁判の前に元の妖精王に返すつもりだ」
「それは止めておけ」
意外にも、アルマはすぐに否定した。シャイードは瞬き、「何故だ?」と問い返す。
アルマは王笏を持ったまま、ベッドの傍に戻って来た。
「良いか、シャイード。これは”力”だ」
「力? まあ、凄い魔力がこもった杖だものな」
シャイードが王笏の石榴石に視線を移すと、アルマは首を振る。
「杖そのもののことではない。”王”という力の話だ。妖精たちにとって、王は絶対権力者と言うよりも、ばらばらな自分たちの意見をまとめ上げてくれる代表、くらいの意味でしかないようだ。だがそれでも、王笏を持つ者の決定に従ってくれる。汝の旅路の助けになるであろう」
シャイードは視線を正面に戻す。一理はある。
「しかし俺が旅に出たら、王としての役目を果たせないと思うが」
「代官を立てれば良い。汝が信頼する何者かに、普段の統治を任せれば」
「それでいいのか?」
「いい。王が民の力をまとめるのは、それを民のために使う目的だ。ならば汝は、妖精の力を、世界を救うことに使え。それが妖精たちのためにもなる」
アルマは王笏をシャイードに差し出した。
シャイードは困惑しながらも受け取る。
「でも、じじいでも魔術師でもないのに、杖を持ち歩くのは、なあ……」
「好きな形にせよ。汝のものだ」
「そんなこと、出来るのか?」
がばっと跳ね起きた。
「汝はその王笏の属性を知っておるだろうに」
「……流れゆくもの、変化するもの、生まれては消えてゆくもの……」
ロロディの言葉を思い出しつつ呟く。アルマが頷いた。
シャイードは右手で杖の半ばを持ち、左手を石榴石に添えて、目を瞑る。
頭の中で小剣の形と大きさをイメージして目を開くと、杖だったものは鞘に収まった美しい小剣に変化していた。
植物がモチーフの優美な曲線に飾られた、エルフ細工めいた魔法剣だ。
石榴石は十字の柄の中心に輝いている。
鞘から引き抜いた刀身は、うっすらと青みがかった銀。そこに映る、驚異に打たれた自身の瞳と目が合う。
「おお……! 軽い!」
水がしたたりそうなほどに艶やかで美しい刀身は鋭く、そして軽かった。柄はしっくりと手になじんでいる。
「気に入ったか?」
「気に入った!」
シャイードは無邪気に瞳を輝かせてアルマを見上げ、はっとして視線を泳がせる。
「ま、まあ。そういうことなら、持っておいてやる」
「そうするが良い」
シャイードは小剣となった流転の王笏をひとつ撫で、枕の脇に置く。フォスがふよふよと降りてきて、小剣の上を行ったり来たりした。
それを横目で眺めたあと、シャイードはアルマに視線を戻す。
「しかし、だ。問題は俺が有罪になった場合のことだぞ。判決は明日なんだろ?」
「その場合はまあ、逃げるしかあるまいな」
「でも、俺は……」
シャイードは視線を落とす。だがアルマは、それを許さなかった。
主の顎に指を添えて持ち上げ、間近から強引に視線を絡める。深淵に真っ向から見つめられ、シャイードは硬直した。
「良いか、シャイード。妖精を殺したことを悔いるなら、もう二度と妖精を殺すでない」
「………え」
「汝が旅を止めれば世界は滅ぶ。今、生きている妖精も全て死ぬ」
「あ……」
「しかも汝は今や、妖精王だ。自分のことよりも、妖精たちのことを一番に考えよ。例え認められずとも、許しを得られずとも、汚名を着ようとも、民にとって一番の事をなせ。善き王とはそういうものであろう?」
シャイードはアルマをまじまじと見つめた。
そこには相変わらず、整いすぎた無表情が張り付くばかりで、言葉の真意はうかがえない。
アルマは本当に世界を救いたいのか? ただ制約に従っているだけなのか? 俺が旅を止めて鍵を返すことが、一番の望みではないのか?
(なんなんだよ、お前! わけがわかんねぇ!)
「………、わかったよ。お前の言う通りだ」
アルマを理解は出来なかった。しかし、アルマの言葉と理論は、全面的に正しく思えたのだ。
シャイードは顔を背けて彼の指から逃れ、両手を持ち上げる。
「でも逃げるってどうやって? 俺の両手首には、魔法の手枷が填まってるんだが」
「む? そのようなもの、簡単に外せるであろう?」
アルマはあっさり言ってのける。
シャイードは思わず「おお!」と感嘆した。
「さすが魔導書だな。魔法の解除くらいは朝飯前か。見直したぞ、アルマ!」
「うむ、存分に尊敬するが良いぞ。力を抜いて、我に身を任せるのだ、シャイード。まず両腕を揃え、まっすぐに伸ばしてみよ」
「こうか?」
シャイードは両腕を並べて伸ばし、脚を覆う葉っぱの上掛けに乗せる。アルマは何故か、枕元に置かれていた小剣を手に取った。
フォスが飛び退くのも気にせず、鞘を無造作に引き抜いている。
シャイードはぽかんとそれを見上げていたが。
「まさか……」
アルマは小剣を振り上げ、躊躇無く振り下ろした。
布団の上に真っ赤な血の花が咲き乱れ、……る事態にならなかったのは、シャイードが咄嗟にベッドから転がって逃げたからだ。
「何故、逃げる」
「殺す気か!!」
アルマは僅かに片眉を上げ、ベッド下から顔をのぞかせたシャイードを見遣る。
「腕を一旦切り落とし、枷を外してから繋げば問題あるまい?」
言いながらベッドに膝で乗り上げた。片手で小剣をかざし、片手をシャイードに向けて伸ばしてにじり寄ってくる。
「早く腕を寄越せ。案ずるな。痛いのは最初だけだ、シャイード」
「問題大ありだ、このバカ! 悪魔! 変態!! こっち来んな!!」
狭い室内でのドタバタは、シャイードが魔法の小剣を手元に呼び寄せられることに気づくまで続いた。