万物流転
「妖精王!! 杖を……、王笏を寄越せ!!」
「なんと!?」
シャイードは次々に新たな触手に巻き付かれながら、歯を食いしばって必死に叫んだ。王に向けて左手を伸ばす。
一つ一つは力が弱い触手でも、数を重ねられると抗えない。
シャイードは鏡面体に膝をつく。
「いいから、はや、……く!! 頼む!!」
「王、それは!!」
「なりません!」
モリグナが悲鳴のような声で制止をしたが、妖精王は既に王笏をシャイードに向かって投げていた。
シャイードは受け取った王笏を両手で持ち直す。
銀の触手に動きを阻害されながらも、シャイードは跪いた状態から、渾身の力で王笏を振りかざした。右肩に激痛が走るが、構っていられない。
狙いはどこだっていい。おそらく、当たればそれで良いはずだ。
「フラーーーーックス!」
鏡面に映る触手でぐるぐる巻きの自分に向かい、T字型の杖の先端をハンマーのように勢いよく叩きつけた。
接触面からキィイイイイィィインという、可聴域ギリギリの音とも空間の歪みともつかない不思議な圧迫を鼓膜に感じる。
王笏についた石榴石がまばゆい光を放ち、シャイードはぎゅっと目を閉じた。
停滞と流転。
相反する二つの力がせめぎ合い、打ち消し合い、銀の鏡面にヒビが入っていく。
ヒビはやがて全身に広がり、細かな銀の粒子となってはじけた。
(やったか……!?)
シャイードは薄く目を開く。
それまで見ていた鏡面はなくなり、その下に隠れていたものが明らかになる。
――絡み合う植物の蔓だ。
「シャイード、繋がりが切れたぞ」
離れた場所から見ていたアルマが声を上げる。
停滞フィールドの解除された歪み鏡は、今や鏡でも何でもない。蔓や蔦、葉や苔など、蠢く植物の集合体だ。しかしシャイードへの攻撃は止んでいない。
銀の触手だったものは、蔓の正体を現してシャイードに絡みついている。
両手で引きちぎるには強靱だが、刃物であれば斬れそうだ。
だが短刀も小剣も、首に銀の触手が絡みついたときに離してしまっている。見れば手を伸ばしても届かない場所に落ちていた。
(ドラゴンに戻れれば……! こんなもの、炎で簡単に焼き払えるのに!)
両手首の戒めが、そうはさせてくれない。シャイードが蔓と格闘していると、上から声が降った。
「石突きを突き立てよ!」
妖精王の声だ。
シャイードははっと気づく。
(そうだ! その手があった!)
ロロディが言っていた。流転の王笏は植物を成長させたり、枯らしたり出来るのだと。
シャイードは手にしていた王笏を反転させ、石突きを膝と膝の間に思い切り突き立てる。そこにもまるで絨毯のように、蔓が絡まり合っていた。
「命を……、吸え!!」
王笏の石榴石が輝いた。
途端、蔓が蠕動を止める。
突き刺さった王笏の石突きを中心に、じわじわと円が広がるように色を失い、ひからびていく。
シャイードの身体を貫いていた蔓も枯れてぼろぼろと崩れ落ち、彼は王笏を手にしたまま枯れ草の残骸に尻餅をついた。
「くっ……!」
刺さっていたものがなくなったお陰で傷口が開き、先ほどよりも勢いよく血が流れ出た。
(まだだ。まだ、意識を失うわけには……)
脇腹に左手を添え、顔をしかめながら王笏を支える。右手が震え、王笏がぐらついて倒れそうになった。
と、背後に大きな影が立つ。見上げてみるとアルマだ。
王笏の天辺に左手を添えて支え、彼は詠唱していた。
『……エル・アルト・ソロフィール・マレス・デア・トロフェール……』
いつか聞いた呪文だ。
アルマの象牙色の長い髪が、黒い長衣の裾が、下からの風に煽られたかのように揺れる。
崩れたビヨンドが金色の粒子となって、まっすぐに突き出されたアルマの右手に吸い込まれていった。
『……フェスタ・エスト・ナイメール・クウェール・サヴェール・イグノヴァンス!』
アルマが右手を、何かを絡め取るような仕草で引き寄せる。
ビヨンドは消え去り、シャイードは法廷の絨毯の上に座り込んでいた。ことん、と、何か硬くて重い塊が石床に落ちる音が近くから聞こえた気がする。
だが既にシャイードの瞼は閉じられ、意識は遠のき、上半身がぐらりと揺れた。




